編集後記
表紙/田圃の中の大芸術
○ 基本的に何もかもあまり期待しない。ですかね、思うことの二割三割実現したら、良しとするほかないでしょうかね。でも頑張りましょう、戦いましょう。前向き、前向き。自分の「品」は保ちたいですから。心が貧しくなったらおしまい。
○ 新型インフルエンザが発生し、世界がパニックっています。次から次ぎ起こりますね、まさに変動の2009年です。僕らは最も豊かな時代の最も安全な社会に生きていることには変わりありません。悪く考えたら罰があたりますよ。
○ 今回は僕一人の原稿で作りました。七月にNo120を出します。
ではお元気で、バイバイ 5/12 まもる 拝
今年のお彼岸に義姉の法事があった。会津の田舎に帰るのに、高速で行き高速で戻るのはつまらい。いつも寄り道します。行きは田中正造が戦った、埼玉と栃木の県境ある足尾銅山からの鉱毒を沈殿させるため、谷中村民を強制移転させた、渡良瀬川遊水池を通った。広大な遊水地は春先のこの時期、野焼きをする。その煙が上がりっていた。
帰りは、福島県生まれの僕だが、太平洋側はあまり知らない。福島市に出て相馬に回り、浜通り地方をドライブした。途中で温泉に寄ったりしながら。
これは、福島市の隣、保原町で見つけたオブジェ。交通安全の人形です。壊れかけているところがまたなんとも言えない。芸術ですね。こういうの見つけるから、明確な目的を作らない、ふらふら旅行はやめられない。
余談ですが、この福島市あたりは、「伊達」という地名なのです。伊達氏発祥の地なのです。伊達氏は米沢に移り、政宗の時代に東北の覇者なり、会津に本拠を移しました。そして秀吉により、まだ荒れ地の多かった仙台に封じられたのです。そして仙台を開拓し、東北一の穀倉地帯としたのです。 (ま)
帰郷の他の写真
かっての足尾鉱毒事件の現場。旧谷中村、渡瀬川遊水池。春先は野焼きの季節でした。 | ||
智恵子抄安達太良山 | ||
猪苗代湖は波高し、見える山は磐梯山 | ||
智恵子抄安達太良山 | ||
智恵子抄の安達太良山 | そして保原町の人形 | |
肝心の浜通りは、いい写真スポットに出くわさず、撮っていないのです。道の駅の温泉はなかなかよかった。 |