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山菜
菅野 幸江


 毎年5月の連休になると 雪解けまもない会津の山間に山菜を求めて登る。もう20年近くも続く私たち夫婦の恒例行事だ。
「姫川」に沿って山道を行くと小さなダムがある。その上に立つと「雪だ!」。土や葉っぱに汚れてはいるが、確かにそれは雪崩が谷間に溜まった「雪」である。厚さ2メートルはあろうか。氷河のように固まってトンネルになり下を川が流れている。5月だというのにここはあまり日が差さない谷間のため「雪」が残っているのだ。
 近くで「ホーホケキョ」が鳴いている。雪を踏みしめてさらに登っていくと、だんだん道はなくなり沢をこぐように進むしかなくなってくる。「カタクリ」の花々が可憐な紫でうつむいて咲いている。
 薄暗い杉林に入る。3年前の大雪で縦に裂けた杉の大木達が あちこちに無残な姿で倒れこみ放置されている。そこはあたかも古代恐竜が暴れて行った後の様である。なんという鳥なのか「ギャーギャー」わめきながら頭上を飛んでいく。
 沢筋から左に入って、獣道のような険しい藪山を登る。道しるべがあるわけではないが、確かにここだったよね、と二人で記憶をたどりつつ登る。昔、養蚕が盛んな頃「桑畑」だったという斜面にでる。桑の木の残骸すらないが 日当たりの良い所で雑木も高くないせいか「ゼンマイ」が生えている。
ここの「ゼンマイ」は大抵「家族」で生えている。「オトコゼンマイ」と呼ばれる硬くて食べられない背高な奴が「家族」を守るように立っていて、その根元には、綿帽子をかぶった女こどもの「ゼンマイ」が4〜5本ずつぎっしりと生えているのである。
15cmぐらいの「ゼンマイ家族」を見つけたときの喜びは ちょっとした「小人の国を荒らす怪物」気分である。後ろめたさを感じながらもワクワクする。
夢中になって採っているとガサガサ音がする。「ヘビ」だ。冬眠から覚めたばかりなのかのろのろと横切っていく。さっきしましたといわんばかりの「カモシカの糞」があったり、油断のできない冒険行である。 
さらに険しい道なき道を登っていく。一歩踏み外したら命がない崖っぷちを辿りながら、二人で大声でしゃべることも忘れない。熊よけのためである。今年は熊がでたと聞かないが、毎年のように近隣の村では山菜取り人が熊に襲われる事件がおきている。
「たしかここから沢に下りるんだったよな」「違うよ、もっと先の炭焼き釜跡の辺じゃない」
「いや、ここだろ」――結局迷子になり、相談するお巡りさんもなく、携帯電話も圏外で、喧嘩しながらもようやくたどり着いたのが「尻高山(671m)」(シッタカザと読む)。
 いつもここは「コゴミ」の群生地である。ところがどうだ。コゴミというコゴミはみごとに青々としたシダの群生地になっているではないか。遅かったのだ。今春は暖かい日が多かったと母ちゃんが言っていた。呆然とする…。
 でも、転んでもただでは起きない二人である。「山ウド」があるはずだ。もう少し登ったところに生えているはずだ。家を出てからすでに2時間弱 登り続けてヘロヘロなのに「山ウド」求めてさらに登る。あったぁ。まだ小さいけどしかたない。柔らかい根元近くからそっと折り取る。ウド独特の香りが強くする。12本採れた。
「バサバサバサッ」いきなり足元から雉が飛び立った。びっくりする。きっと近くに卵があるよ。二人で一生懸命枯れ萱の間を探したけどみつからない。賢い親雉だ。
 休憩しようか。おにぎりを食べて湧き水を飲んで う〜んとひっくり返ると 青い空にの〜んびり雲が浮かんでいて 聞こえるのは小鳥の鳴き声と小虫の羽音だけ。いいなあ。私たちはこの「時空間」を求めて毎年ここに来るのかもしれない。うとうと…。
 さて帰ろうか。今年は殊のほか収穫が少なかったけど、こんな年もあるよ。しかたがない。昔は二人で背負えないほど採れて、ウンウン唸りながら帰ったこともあったっけ。
 山桜を眺めながらの帰途、ふと左側を見るとあれは「ワラビ」ではないか。そうだよ、「ワラビ」だよ。この山は入ったことなかったけど、ちょっと行ってみるか。「ワラビ」は日当たりのいい斜面に一本ずつすっくすっくと生えて 穂先でこんにちはをしている。
 まるでロッククライミングのような急斜面を 片手で木につかまり もう片手で山菜を採る荒業をしながら 夢中でサルのように駆け巡る。何回も滑り落ちたり擦りむいたりしたけど「ワラビ」「ゼンマイ」あわせて10kgぐらいは採れた。これなら村人に「都会人の遊び」と笑われないですむ。
 意気揚々と引き揚げてきた二人であったが、翌日から足腰が痛く腕も上がらない有様である。年々体力が落ちていることを実感する。年一回の恒例行事は もしかして体力確認の行事なのかもしれない。来年は果たして登れるのだろうか?
 体力もさることながら、山も痩せてきているのがわかる。林業に見切りをつけた村人たちは誰も山を手入れしなくなり、荒れ放題に荒れた山には実のなる木もなくなり「猿」も「熊」も食料を求めて 人里に下りてくるようになったと聞いた。「ハクビシン」「マミ」「ムジナ」も農作物を盗みに出没するという。賃労働に追われ山を振り向くゆとりのなくなった人間も哀しいが この動植物たちはもっと切実な思いだろう。彼らの叫びが聞こえてくるような そんな気がした山菜登山であった。

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