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介護は他人ひとのためならず

菅野 幸江

↓ 菅野さんと「ヒデ」おばあちゃん。

 そもそも、「介護ヘルパー2級」の資格を取ろうと思ったのは、父がガンで入院している頃、度々付き添いで病院に泊まり込んだ時、着替えや床ずれ予防、入浴介助など もっと専門的な知識や技術があったら――という思いを何度もしたことがきっかけである。
 残念なことに父はまもなく亡くなってしまったけれど、その後、通信教育で「介護ヘルパー2級講座」があると知って、即申し込んだのはもちろんのことだった。
 学科は8領域のレポート採点方式でそれぞれ80点以上得点していることが必要だが、いろんな意味で、辛かったのは「実習全6日間」であった。 

 特別養護老人ホームのショートスティに実習に行った時のことである。ショートスティは、自宅に生活する老人を、家族の都合や本人の状況によって2日間とか1週間とか施設で泊り介護をするところで、比較的軽い痴呆の人が多い。
 H氏(77歳)は、元大会社の重役かなにかをしていたらしく、難しい顔をしながら「秘書を呼んでくれ」「車を手配してくれ」「社長に報告しなければならないことがある」と、尊大な態度でずーっと怒鳴りまくっている。
 Mさん(83歳)は、浅草の呉服問屋のお嬢さん時代にすっかりワープしていて、
「お稽古に行く日なんだから、支度をしておくれ」なんて鏡を見ながら化粧の真似事をしている。
 さんざん嫁の悪口を言っていたTさん(78歳)は「さてと…!」とやおら立ち上がり「そろそろ帰らなくては!息子に電話して迎えにくるよう言ってくださいよ」という。「今日はここに泊まるようにと息子さんが言ったでしょ?」といっても承知しない。
 「うちの息子がそんなこと言うはずがない。あの嫁が言わしてるに違いない」と地団太踏んで悔しがる。
 窓辺の夕日を見ながら「うちに帰りたい、帰りたい、帰りたい」と涙ぐむN氏や、ケラケラ笑いながらお漏らしをして歩くT氏等、ここはまさしく人生終着駅行きのプラットホームである。あまりにかしましくそしてもの哀しい。
 どう対応したら良いんですか?――職員に尋ねると、きまって「どうせすぐ忘れるから、適当に相づちうっておいて。できればうんと運動させておいてくれ。夜寝ないで徘徊されると困るから」という。
 「寝たきりにさせないいきいきホーム」を売りにしている施設なのに、実際は手不足から、談話室に老人を集めておいて「座らせきりホーム」になっている現実。もっと個々人に人間らしい丁寧な対応が出来ないのだろうか?――そんな不満が残った2日間であった。 

 ディサービスセンターに実習に行ったときのことである。ディサービスは、送迎付老人幼稚園みたいな所である。朝9時頃から午後3時くらいまで、童謡を歌ったり、輪になって手遊びをしたり、簡単なゲームをしたりし、昼食を食べ、おしゃべりをし、好きなクラブ活動(マージャン・習字・囲碁・折り紙など)もする。
 通所してくる人は、要介護度1〜2程度が多く人格もしっかりしているためかえって仲間同士のトラブルが起きがちである。もともと協調性のない人やプライドの高い人などは、年と共にその性格が際立ってくるため、集団行動がうまくできず嫌われたり喧嘩仕掛け人になったりするようだ。
 私のような若輩者の実習生が人生の大先輩に説教するわけにもいかず、1対1で話を聞いてあげると少し心を開いて、若い頃の自慢話を始めたりし「あ〜この人は寂しい人生だったんだな」と共感してしまうこともあった。職員に言わせると「そこまでしなくてもいい」のだそうだ。  

 その他、身体障害者の身辺介護の実習にも行った。20代の「脳性麻痺」青年の車椅子を押し、買い物に付き添い、掃除をして夕食を作ってあげただけなのに、不自由な言葉で「あ・り・が・と・う」と言われた時は、思わず「頑張ってね!また来るから」と約束してしまった。帰り道、彼の未来を考え涙がこぼれた。
 「紙オムツ体験実習」などというおぞましいこともやった!。寝たきり老人の紙オムツを体感しようという試みだが、私は3時間でギブアップ…。「漏れない、匂わない、さらさらサラッと」――なんて宣伝しているが、大嘘である。確かに漏れはしないけど、臭いしおしりにかぶれが出来た事は報告しておきたい。介護の現場では人手不足から、紙オムツは「おしっこ6回までは(取り替えなくても)OK」と有難がられているという。 

 本業(公務員)をしながら、こうして約半年かけて私は「介護ヘルパー2級」の資格をとった。しかし、ヘルパーをライフワークにしようという意欲は、この時完全に失せていた。
 多様な人間対人間の関係を「ビジネス」としてクールに割切れず、のめり込むには、あまりに安い賃金と膨大な責任の現況を知り、ただただ慄いてしまったのだった。

 こうして3年が過ぎた今年、思いがけず「介護ヘルパー2級」の資格を試す時がきた。会津の母(71)が膝の手術のため入院したのである。
 当然、同居している祖母の面倒は誰がみるのか――という問題に直面する。
 「おらは一人でいられる。ショートスティなんかさ 行かねぇ」――頑固な祖母は言い張り、まさか94歳のまだら呆け老人を一人にしておくわけにもいかず、親族交替で田舎の実家に泊まりこむ事になったのである。
 私の当番は7月上旬に廻ってきた。職場に休暇届を出し、リュックを背負って出かけた。10日間の予定である。

 祖母は今年5月、94歳になった。朝6時に起きると、顔を洗い、僅かな髪の手入れをし身支度を整える。おしゃれである。毎朝、仏壇の前に座り「ナンマイダブツ ナンマイダブツ」と先祖に今日ある命を感謝し家族の健康をお祈りする。信心深い。
 入れ歯の具合があまり良くないので、歯医者に行こうと誘うと「もうすぐ死ぬから歯など治さなくていい」と言い張る。何につけ頑固である。
 新聞折り込みの「町会議員選挙広報」をながめて、今度の日曜日の選挙には誰に投票しようか、思案する。鉛筆で字の練習までする。前向きである。
 足が不自由なだけで あとはどこも悪いところはないと豪語するが、書いた字もすぐに忘れるし同じことを何度も何度も聞いてくるので、呆けているのかと思えば「燃えるゴミの日だから、早くゴミ出して来い」と指示するしっかり者だ。扱いにくい。
 ストレスが溜まり 気晴らしに町まで自転車で買い物に行ってこようかと出かけると、玄関の外まで出て私が帰ってくるまでずーっと待っている。「にしゃが(おまえが)自転車で転んだらどーすべぇと心配していた」と言う。心配性なのである。
 簡単なお昼を食べると、祖母はお昼寝タイムに入る。この隙にと10分ほどの畑まで出かけ、草取りなどして小1時間ぐらいで戻ってくると「もうどんなに心配したか!」「黙っていなくなるなんて!!」と涙を浮かべて怒って待っている。寂しがりやなのである。  

 このからめとるようながうっとうしくて私は32年前この家を捨てたんだったなと、急に思い出す。母も「籠の鳥のような」閉塞状態が堪らなくなって、足の手術を決心した部分もあるのだろうと推測できる。
 祖母はオムツはもちろん、軽量失禁用パンツすら履いていない。杖をついてちゃんとトイレに行く。孫の私に気を使っているのか、すこし漏らしたパンツは自分で洗おうとしている。プライドが高い。「すまないね」と言いながら、泊まりに来てくれる親族も自分の好みで選ぶ。わがままである。見舞い客が来るというと、接待用のご馳走を私にあれこれ指示して作らせる。見栄っ張りである。「固定資産税は払っただか?なんぼだ?」などと、家計を仕切りたがる。
 「折り紙遊びは もうやらねえ」「なんで?」「覚えらんねと腹たつから」――負けず嫌いである。しみじみという。「長生きするとは、寂しいもんだよ。友達も知り合いも 皆あっちに(あの世)いっちまって、おらだけ残っている。寿命がこねえと死ぬわけにもいかねぇし、考えるとシンと寂しい気持ちになるだ」――哲学的である。
 夜、「おしん」を見てお風呂に入って牛乳を飲んだら、9時には就寝する。規則正しい生活を守っている。長生きするわけである。

 昔、私は人間年をとったら皆、悟りを開いた坊さんのように穏やかな性格に昇華していくのだろうと、漠然と憧れていたことがあった。しかし、介護の勉強をするようになってから、人間年をとったらとっただけ、本性が剥き出しになっていくものだと知って空恐ろしくなった。
 1人ひとりに個性があるように、介護にも個々の対応が必要なのだ。一律に知識や技術を当てはめようとしても、介護はうまくいかない。老人を人間として尊重できるキャパシティが介護者にどれだけあるのか、試される機会でもある。逆に言えば、将来自分が尊重された介護を受けられるかどうか、今の生き方が問われることになるのだ。
 私はどうだろう?どう老いようとしているのだろう?
 まさに、介護は他人(ひと)のためならずー―を学んだ10日間であった。

 母の手術は成功し、7月末に退院した。計2ヶ月半の入院だった。リハビリは必要だが以前のように痛くて歩けない事はなくなり、表情も明るくなった。
 母の退院を一番喜んだのは、もちろん祖母である。「かあちゃん帰って来てよかったぁ」と涙を流して出迎えたものである。親族の間では、この二人を「一卵性親子」と密かに呼んでいる。喧嘩もするがお互いがお互いの一部になってしまっている存在のようだ。
 どうか二人とも 元気で長生きしてください。ヘルパー2級の私の出番がないように…

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 ↑ 従兄妹の菅野さんの「ヒデ」おばあちゃん。おん年九十四歳。僕の親戚の中で最高齢だと思うが。まだまだ元気。(M)