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小さな来訪者
菅野 ゆきえ
 
 
 夏の暑い昼下がり、冷房のきいたリビングルームのソファベッドの上に、コロンとひっくり返っている小柄なおばさん。半袖半パンの胴体にプラスチック製の物々しいコルセットを巻きつけ、仰向けになって短い手足をバタバタさせている、その姿はまるで瀕死のコガネムシである。
 笑ってはいけない。実はこれは私である。
 つい二週間ほど前、階段状に積まれた木製台の二段目を踏み外して転げ落ち、腰椎圧迫骨折なるケガをしてしまった。杖をついて歩くのもヨチヨチとおぼつかなく、一度寝たらベッドから起き上がるのに「痛い、痛い」と叫びながら七転八倒、悪戦苦闘で十分以上もかかる有様だ。全治三ヶ月の自宅療養を言い渡され、痛み止めを飲みながらひたすら骨芽細胞達が頑張ってくれるのを待つ、なんともトホホな毎日である。
 
 それで、先ほどのコガネムシ状の私に戻るが、そうやって一番楽な姿勢で横になってウトウトしていた時のことだ。天井と壁の境目に黒い点があるのに気がついた。アイボリーホワイトと言えば聞こえが良いが、築ウン十年 かなり黄ばんだ白地の壁紙にもその黒点は目立った。何だろうと、じっと目をこらして見ていると、最初は動いていないように見えた黒点は、非常にゆっくりとしたスピードでじりじりと境目に沿ってリビングルームの奥の方に進んでいく。
 蜘蛛だ。体長七ミリくらいだろうか。高さ二メートル半の天井だが、この四月に白内障の手術をしたばかりなので良く見える。真っ黒というよりはチャコールグレーに近い色だ。それにしてもどこから入ってきたのだろうか。窓も網戸も閉まっているのに。
 
 蜘蛛の動きがあまりにも遅いので、こちらも反応する機会が見つからず、それよりも何よりも起き上がるのに激痛と闘いながら十分余もかかることを考えたら、ここはひとつ静観と決めこんだ方が得策だろうと判断して、私は時々目を閉じて夢の世界の入口付近をさまよったり、また目を開いて蜘蛛をながめたりしていた。
 それにしても歩みののろい蜘蛛だ。もう三十分近くもたつのにリビングルームの長辺五メートルにも達していない。相変わらず天井と壁の境目をひたすらまっすぐに、時々延々と立ち止まり、また思い出したようにそろそろと歩き出している。寄り道したりサイドボードの裏に隠れたりしないのが不思議といえば不思議だ。
 とうとう小一時間もたとうとする頃、私はうたた寝からはっきり目覚めた。蜘蛛は律儀なことに長方形のリビングルームの辺だけをなぞるように進んでいて、今は私の昼寝しているソファベッドの向かい側、テレビの後ろ壁上に佇んでいた。あと二メートルも進めばテラスの掃き出し窓に行きつく。
 
――この窓を開けてあの蜘蛛を逃がしてあげなきゃ。
――よっこらしょ、あぁ痛い、やっぱり痛い。どっこいしょ、イターい。
 
 コガネムシ状の私は脂汗をかきながらやっとのおもいでベッドから降り、杖を頼りに立ち上がった。蜘蛛は向かいの壁上からそんな私をじっと見ている。
 
 ヨタヨタ歩いて玄関まで行ってほうきを手にし、台所に寄って使い捨て手袋をはめ、再びリビングルームに戻って、さあ蜘蛛くん外に出て行ってね、と見るといない。壁はもちろん、テレビ台の後ろにもカーテンのひだにもどこにもいないのだ。あんなにのろまな奴だったのに、たった二~三分でそんなに遠くに行けるはずがないと、さほど広くもない部屋中をくまなく探したがやっぱりいない。蜘蛛は現れた時と同じく忽然と姿を消してしまった。
 
――ああ、かぁちゃん! かぁちゃんだ。
 突然そう感じた。母の面影が目の前に降りてきた。
 
 昨秋、老衰のため満八十九歳で亡くなった会津の母。民謡や演歌を歌うのがとても上手で陽気な母だった。朝早くから畑仕事に精出す働き者で、できた野菜を東京の私に送るのが楽しみでもあった。亡くなる前の晩、母と私はLINEのビデオ通話でお話をした。
 
「コロナが収まったら真っ先に会いに行くからね。それまで元気にしててね」
 「んだな。にしゃ(おまえ)も体にきぃつけろ。いだぐ(ケガ)すんなよ」
 母は優しくそう言うとにっこり笑って、画面に向かって「バイバイ」と手をふった。
 翌朝、穏やかな寝顔のまま母は目を覚まさなかったという。
 
 いい年になってもいつまでもおっちょこちょいの私を、最後まで心配していた母であった。 私が腰の骨を折ったと知って、蜘蛛になって様子を見にきてくれたのだ、きっと。
 そういえばもうすぐ新盆だ。
 死んだ人が、小さな虫になってゆかりの人や場所に訪ねて来る、とは昔から言われてきた。死んだ人の魂が残り、血縁の者に何かを伝えようとする、あるいは親愛の情を表現しようとするのに小さな虫の姿を借りるのだろうと言われている。その目撃情報の多くは蝶々のようだが、たまに蝿とかバッタの報告もある。ならば当然、蜘蛛だってあるはずだ。
 
 あの蜘蛛は間違いなく母だったと信じている。
 なぜならあの日以来、腰のグキグキした激痛は信じられない速さでとれていき、今ではコルセットをつけてはいるものの、杖なしでもスタスタ歩けるようになっている。蜘蛛に化身した母がおまじないをかけてくれたからだ。
 この分だと一周忌には元気に会津に行けそうだ。待っていてね、かあちゃん。
                     2021年 秋

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