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    幸 福 の 木
菅野 幸江
 
 正月過ぎ、ふと気がつくとつぼみらしきものが葉っぱの間からひょっこりのぞいている。
 
 「あら、また咲くのね。4年連続じゃない。大丈夫なの?」思わず声をかける。
 
 高さ120cm程、4本立ちのうち3本のてっぺんから5cm位のブロッコリーの赤ちゃんのような花軸が立っている。経験から考えると、このつぼみはこれから3週間くらいかけて、背を伸ばしながらコデマリのようないくつかの丸くて白いかたまりに膨らんでいく。
 この植木鉢の「幸福の木」は20年以上も前、今は亡き夫が知り合いの花屋さんから安く譲ってもらってきたものである。
 
 「この木は縁起の良い木なんだよ。花を咲かせたらなお良いことがあるんだって」
 「へぇ、本当なの?」
 
 南向きの部屋の窓際に置いて、ガラス越しのお日様に当て、10日にいっぺん水をたっぷり与えるだけで、あとは適当にほったらかしていたのだが、7年くらいたった頃、初めて白い花が咲いた。線香花火のような小さな花がたくさん咲いて、部屋中クラクラしそうな匂いに包まれた時はびっくりして、
 
 「本当に咲くんだね」「すごい匂いだね」と、二人で興奮したものである。
 
 その年たまたまだろうが、下の娘に子どもが生まれたり、私の昇進があったりと慶事が続いたせいもあり、我が家では「幸福の木信仰」が俄かに高まったのであった。
 せっせと栄養剤をあげたり土を入れたりしてまた咲くことを期待したのだが、その後、この木は反抗期に入った中学生のように、背がずんずん伸びるばかりでむっつりと押し黙り、花の気配すら見せなくなってしまった。
 
 そうして年月は流れ、伸びたすぎた枝の剪定とたまの水やりはするものの、いつしか私の関心外におかれ、再び窓際にほったらかされていた幸福の木だったが、どうしたことか4年前の正月にいきなり花を咲かせた。数えてみると最初の開花からすでに11年たっている。
 この幸福の木を買ってきた夫は、この時すでに亡くなっており、暮れに彼の三回忌を済ませたばかりだった。まるで彼が「俺のこと、忘れないでよ」と言っているかのように、ことさらフローラルな香りを振りまきながら、花火みたいな白い小花をたくさん咲かせたのである。
それからというものなにが気に入ったのか、この幸福の木は翌年もその翌年も咲いた。
 
 そしてまさかと思っていたが、今年もまた咲いたのである。4年連続5回目である。
 夕方5時ともなると、1㎝程の小さな滴型のつぼみがまるでカサブランカのミニチュアのような花を咲かせるのだ。一度に全部のつぼみが咲くわけではない。今夜はわたしよ、というように期の熟した子から順番に、渾身の匂いと共に花びらを広げてそして朝には枯れる。一夜花なのだ。次の日の夕方には別のつぼみが咲く。こうして7~10日にわたり夜の間だけ順繰りに咲き続ける。花軸には涙型の蜜?が幾筋も流れ、葉や床にも垂れ落ちて、健気な小花たちの涙のようにも思えてしまう。 
 
 調べてみると、この木は環境さえ整えば大体5年から10年に一回花を咲かせるそうだ。ただ毎年咲くのはやはり珍しいらしい。咲く季節は決まっていないというが、我が家の幸福の木は、いつも1月中旬から2月初旬に咲く。これも年の初めで吉兆めいている。
 花言葉はもちろん「幸福」である。
 
 毎年咲いているならさぞや我が家には幸せが満載かと思われるだろう。
 だが、決してそうではない。この3年の間には母を亡くし、大好きだった親戚のおじさんやおばさんの死も続き、昨年は従兄も亡くし、自分も背骨を骨折する大怪我をした。何よりも、このコロナ禍で大好きな温泉旅行も行けないでいる。内心「何が幸福をもたらす木だ」と、憤まんやるかたない思いだった。
 
 「年寄りが天寿を全うして死ぬのは当たり前のことよ。あなただって半身不随や寝たきりにならなかっただけでもご利益があったと思わなくちゃ」
 
 友人たちは口々に慰めてくれる。
 そうかもしれない。確かに、心配していた孫のひとりが大学に合格したり、私の念願だった本の出版が叶ったり、手作りみそがうまく出来るようになったりと、小さな喜びと幸せは家中に転がっている。「幸福」の字がついているからと言ってこの植物に人の運命や幸不幸を左右する力が備わっているわけではない。そう考えたら肩の力が抜けた。
 
 「今年も花を咲かせてくれてありがとう」
 「無理して毎年咲かなくてもいいからね。長生きしてしてね」
 
 あまり手のかからないおとなしいペットに話しかけるように、今日も私は「幸福の木」に話しかける。こうして物言わぬ動植物を慈しみ、日々の暮らしを丁寧にいとおしむことこそが、本当の「幸福」につながるのかもしれないと思う。そうは言っても、5回目の今年はどんなささやかな「幸福」があるかなと、つい幸福の木に熱い視線を送ってしまう欲張りな私である。
2022/2 

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