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企業戦士・その後1
今野 聡一 
 
 
 絶対に私と同年代と思われるのに妙に髪が黒々した男性医師が、パソコン画面を見たまま私に質問する。
 
 「今日は何月何日ですか」「平成何年ですか」「何曜日ですか」「年は幾つですか」「ここは何という病院ですか」
 「三つの言葉を言うから覚えてね。梅、犬、自動車 覚えたね。はい、言ってみて」
 「じゃあね、ここに5個の品物を並べるよ。歯ブラシ・定規・十円玉・栓抜き・靴べら。
 よく覚えておいてね。仕舞うよ。はい、ではここにあったものを言ってみて」
 「100引く7はいくつかな。そう、93引く7はいくつかな」
 「野菜の名前を10個言ってみて」
 「樹木の名前を10個言ってみて」
 
 ……これは認知症のテストである。30点満点で21点以下は発症と判定される。
 ちなみに私は22点だったそうだ。
 
 私は昨年まで、大手電器メーカーMに勤務するサラリーマンだった。バブル前後の頃は会社も仕事も本当に楽しかった。4人の営業マンで「東北の営業所一周10日間のカレンダー配り」なんて観光旅行まがいの仕事に行ったこともあった。仕事もバリバリやったが遊びも半端じゃなかった。社員旅行・運動会・スポーツ大会と、世話好きな私はよく幹事を引き受けたものだった。
 ところがバブルがはじけてからの会社の締め付けは年々厳しくなって、100円の経費も追求される有様になっていった。中でも、私が定年退職するまで5年間いた営業U課は最悪だった。連日午前様帰宅の早朝出勤、土曜日は接待ゴルフという殺人的毎日が続いた。慢性的睡眠不足に陥っていた。大きな声では言えないが自殺した社員も一人や二人ではない。それでも私は長年いたこの会社を愛していたし、仕事も他人に負けないだけの自負があった。多少具合が悪くてもがむしゃらに働く私は、まさに絵に描いたような「企業戦士」であった。
 
 医者が写真を貼り出して説明をはじめた。
 「脳波の検査では特別問題はないんだけど、MRI検査だと海馬の萎縮が確認できるね。アイソトープ検査では、もっとはっきりと右後頭部血流異常が確認できる。これはたぶん『びまん性レヴィー小体症』という病気だね。アルツハイマーではない。でも認知症に似た症状を伴う病気だ。大丈夫!最近はいい薬があるからね。」
 「原因?それは一概には言えないね。ストレスとか喫煙とかいろいろあるからね」
 
……激務のせいだ。仕事のしすぎだ。私は過労死寸前だった。あの頃から、時々頭がモャーっとしたり、耳鳴りがすることがあった。仕事上の大事な約束をすっかり忘れて冷や汗をかいたことも多々あった。交通事故寸前のこともあった。そうか。あの頃からこんな病気に罹っていたんだ。僅かな退職金で放り出されて ふと気がつけばポンコツのスクラップ行きになっていたって訳か。
 
 ……実は、医者の説明だって私はほとんど覚えていられない。付き添ってくれた妻のメモを見ながら今これを書いている有様だ。
 
 妻は「アルツハイマーでなかっただけでも良かったじゃないの。お医者さんは直る病気だっておっしゃっているんだし、頑張りましょう」と穏やかに笑って言う。
 ありがとう。私は家族のことを考える暇もなく企業戦士をしてきた。そのつけが今、廻ってきたのかもしれない。確かにアルツハイマーでなくて本当に良かった。この病気がどんなものかはよく分からないが、薬で治るというのなら1回戦でアッパーカットを喰らって、ちょっとふらついたようなものだと思えばいい。
 私はまだ61歳だ。これからやりたいことや行きたいところがたくさんある。かつては企業戦士であったかもしれないが、もう私の人生はまるごと私のもののはずだ。私は私の人生を闘おう。会社のせいにしてギブアップなんかしたくない。
 第二ラウンド開始の鐘がなっている。
 
 私は自身の闘いに行く。
妻よ!どんなことになっても決してタオルを投げないで見ていてくれ。
君がいてくれれば私は負けない。

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