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『自分の感受性くらい』に励まされて
〜詩人・茨木のり子氏の死去を悼む
菅野 幸江
 
なんという凛とした美しい言葉を持った人だろう。
なんという強さを秘めたやさしい心を持った人だろう。
きっぱりとして それでいて暖かい包容力のある詩の数々に 私は幾度となく抱きしめられ、背中を押され、叱咤激励されてきた。
一番大好きな詩が『自分の感受性くらい』だ。
 
 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
 
 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか
(中略)
 初心消えかかるのを
 暮しのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
 駄目なこと一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄
 
 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ
 
一行一行が身に覚えがあることばかりで ドキッとしていると最後に「ばかものよ」でキャイ〜ンと尻尾をまくのである。
また、『落ちこぼれ』という詩がある。茨木さんは
 
 落ちこぼれにこそ
  魅力も風合いも薫るのに
 落ちこぼれの実
  いっぱい包容できるのが豊かな大地
 
と称え、「落ちこぼれ 結果ではなく 落ちこぼれ 華々しい意思であれ」と詠い放つ。
過去に、組織の中の様々な人間関係の軋轢のなかでぼろぼろに傷ついていた時、この詩にであって私はどれほど救われた思いだったろうか。
「そうよ。私は自分で選んだ『落ちこぼれ』。世界一華々しい落ちこぼれになるわ」と、そのとき顔をすっくと上に向けて立ち上がった自分がいた。
もうひとつ好きな詩に『汲む』がある。
 
 おとなになってもどぎまぎしたっていいんだな
 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
 (中略)
 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
 外にむかってひらかれるのこそ難しい
 あらゆる仕事
 すべてのいい仕事の核には
 震える弱いアンテナが隠されている きっと…(後略)
 
この滴るような感性にふれて、思わず私は心の鎧兜をぬぎ、あたたかい涙をながしたこともあった。強がらなくていいんだよ。ありのままで…とハグされている気がした。
敬虔なカトリック信徒が折にふれて聖書を開くように、私もまた折りあるごとに「茨木のり子詩集」を拠りどころにしてきたのだった。
 
2006年2月 茨木さんが亡くなったことを毎日新聞の朝刊で知った。彼女らしいきっぱりとした死に様だったという。1926年生まれ。80歳(私の亡父と同じ年!)
未だに私は、私の中の大きな樹を失ったような寂寥感を埋めきれないでいる。合掌。
 
※文中引用:茨木のり子詩集「落ちこぼれ」理論社

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