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彼氏と彼女だけの指
松田 ユウ
 
10時間に及ぶ陣痛の苦しみの末 生まれた子どもは「障害児」だった。
「2860gの元気な男の子です。でも、右手の指が親指と小指2本しかありません」
「先天性の奇形児ですね。妊娠中睡眠薬とか、神経に作用する薬とか服用した覚えはありませんか?」
「最近は多いんですよ、原因不明のこういう子が――」
「ところで旦那さんはどこですか?」「あ、ごめんなさい。いないんだ…」
トトロに似た体系の中年の大柄な女医は、饒舌に話しかけてきたが、私は彼女の話をほとんど聞いていなかった。広すぎる、明るすぎる分娩室で、私はただ目を閉じ涙を流し、現実を受け止めきれずにおののいている23歳の産婦でしかなかった。
障害児・奇形児------ そんな言葉が私の頭の中でグルグル回っていた。
 
先天性手指欠損症・障害4級――私は、その子に「シオン」と名づけた。
親も友人・知人もみんな 好奇と憐れみの目で私とシオンを見、問い詰めたが、誓って言うが、私は本当に「クスリ」はヤっていない。
世に先天性の障害児がたくさんいることは知っていたが、よりによってどうして私のところに来たの?と、一時はノイローゼのようになって シオンの首に手をかけそうになったこともあった。
乙武洋匡さんの『五体不満足』を読んだのはこの頃のことだ。彼は先天的に両手両足がほとんどないという、やはり原因不明のシオンよりも重い障害者だが、大学を卒業し今はテレビのスポーツキャスターをしている。特殊な車椅子で彼はアメリカでもどこへでも出かけていく。友人もたくさんいる。結婚もした。「障害は不便ではあるが、決して不幸ではない」という、乙武さんの言葉に私は尊い啓示をもらった気がした。そうだ、私がシオンを乙武さんのような明るい前向きな人間に育てていけばいいのだと。
もうひとつ、二人で強く生きて行こうと決心したのは、シオンが類まれな美しい赤ん坊だったからと言えば「親馬鹿」だろうか?白い肌、大きな瞳・きりりとした眉・やわらかい唇・すーっと通った鼻筋――この子と一緒ならどんな迫害にも負けない気がした。シオンには日本人離れした整った顔立ちと、人を惹きつけて止まない魅力が確かに備わっていた。
実際の話、某有名赤ちゃん雑誌の人にスカウトされたり、テレビ関係者から名刺を渡されたりはしょっちゅうあり、外国人観光客から一緒に写真を撮らせてくれと頼まれることも珍しくなかった。シオンはいつでもニコニコしながら左手でピースをして、さながらアイドルタレントのように愛嬌を振りまいた。シオンには、いるだけで周りを幸せな気分にしてしまう魔力があるかのようだった。シオンを連れて歩くことはその頃の私のステータスでもあった。
 
でも、子どもは確実に成長していくものだ。いつまでもペットのようではいない。
この冬、シオンは3歳になる。
彼は、自分の背負った忌わしく重い十字架をそろそろ自覚し始めている。
「ボクの手っては赤ちゃんなの?大きくならないの?」
「どうしてママの手ってとちがうの?」
美しい眉をひそめて聞いてくるシオンの疑問に 私はどう答えたらいいのだろう?
幼稚園や小学校に行けば 友達にいじめられてくることも当然あるだろう。
「僕なんか生まれてこなければよかった…」なんて言い出すこともあるかもしれない。
そんな時、私はひとりで彼をどう受け止め どう力づけてやったらいいのだろう?
反抗期・思春期を乗り越え、乙武さんのような強い人間に育てることが、私ひとりの力で本当に出来るのだろうか?
「おまえなぁ、親指と小指は彼氏と彼女だ。一番大事なんだぞ。大事な指しかないなんて最高だぜ!」―そんな時カズマサは、シオンに片目をつぶってオキラクに答える。
「そーっか、サイコウかぁ!」シオンはカズマサの膝の上で、にっこり親指を立ててガッツポーズをする。
カズマサとは高校時代から7年も付き合ってきた。22歳の時、私達は当然のように結婚した。でもカズマサは私の妊娠中、浮気した。浮気がばれた時土下座して謝ってきたが、私は絶対に許せなくて別れた。シオンが生まれる1ヶ月前のことだった。
最近、私はこれからのシオンにカズマサのようなあっけらかんとした明るさと、父親という存在は必要になってくるかもしれないと思い始めている。
「もう2度と浮気はしない」「おまえ達と暮らしたい」――というカズマサの何百回かの謝罪の言葉をそろそろ信じてやってもいいかと思い始めている。
悔しいことにシオンは カズマサの唇と眉にそっくりなのだ。
 
シオンの3歳の誕生日、私達は3人で東京ディズニーランドに行く©
「家族」を作り直す記念日にしようと思う。「彼氏と彼女だけ」だと脆い愛も、「家族」になると深く強い愛になるような気がする。そして、指の足りない不便さなんか不幸でもなんでもないと、元気に笑って生きていけるエネルギー源になるような気がする。今度こそ本物の「家族」になれるように頑張るつもりだ。
ディズニーランドでまたスカウトされたら、今度はこう言おうと思う。
「家族一緒に載せてくれるんだったらOK―!」
 

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