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音楽的喧嘩師についての二、三のこと
武藤 守


 吉沢さんとはかれこれ十年の付き合いになります。何の前世の縁があったんのでしょうか。近所の友人として彼の最後に立ち会うこととなりました。不思議なことです。そして、人の最後に立ち会ったにもかかわらずずいぶん冷静であったような気がします。それは、一つは十年という時間は長くて、出会い初めの頃の感動はずいぶんと是正され整理されいますし、また、本人とメグちゃんが避けられぬ運命に混乱しているとき、その回りにおる一人として感情的になることはできませんでした。
 「挫折」ということがあります。その乗り越えるひとつの方法を彼からは学びました。夢があれば挫折もあります。夢が多きければ挫折も深いのです。また「純」であれば生活とか言った社会的なものにとどまらず、最後は自分の体をも害さざるを得ません。更にけして、輸血時のウイルスだけの理由で肝硬変に罹ったのではないとぼくは思います。彼の「我の強さが」が自分の体を蝕んだのです。でも音楽という夢を追いつづけなければ生きられない。恐らく僕も同じ状況なら同じようにしたかも知れませんが、しかし、そう単純には「音楽に徹した芸術家」として喜べないものが残ります。昔、メグちゃんとの新居の国分寺の借家に遊びに行った僕に、「ゴッホは間違いだよ。」と僕が絵を描いていると知って最初に言いました。確かに、ゴッホよりは長生きしましたし、自殺したわけでもありません。病気に対してずいぶんと努力した。でも、肝硬変になった時点でもう遅い。若死したゴッホと同じではないか。という疑念が僕には残っています。六十七歳は今の時代ではちと早い。
 ここ何年かは、彼のコンサートにもあまり顔を出さなかった。もっと縁遠くなってもかわないと思っていた。大方知りたいことはわかったし、腐れ縁は良くないから思ったからです。が、亦、いつのまにか近づいてきて、昨年上野原に引っ越してから近所付き合いになってしまいました。今年の二月にガンが転移したと聞いて、最後は僕らが見るしかないかと、はなはだ憂うつになりました。おかげで、明確な予定を決めかねていた、今年の僕の漠とした予定は消し飛んでしまいました。
 僕は音楽のことについてはあまり知らないし、時には無頓着です。吉沢さんの古い友人のノラが「山下洋輔が吉沢元治はリズムを刻んでおるべきだ」といったと感慨ぶかく言っていました。ジャズバンドにおけるベースの位置。コントラバスはバントの裏方?もし、彼がピアノやトランペット奏者であったら、はたしてベースソロの世界に踏み出したか?と思うことがあります。そして、この辺に彼の音楽家としての秘密があったような気がします。体を犠牲にしてもすべき彼の理由が、裏方には徹しられないという理由があったと思います。
 でも、普通人から見たら、ここまで自分勝手に徹して、我がままを通したら六十七歳も大往生だと言えるとおもいます。最後まで我を通せたのだから幸せ者だったと思います。近くに居るとなかなか大変で腹が立つことも多く、言い方が悪いと彼を怒らせたりするので、僕は少し距離を保ちながら付き合うという術を身に付けてしまったたようです。でも、その我がままも、自分の身を犠牲にしてのことだから許してあげましょうか。
 昔、国分寺に居る頃、よく音楽的喧嘩道をよく聞かされました。ジャズからベースソロへ踏み出した時期にあたっていたかも知れません。それがすごいと思ったのは、同世代の音楽家のそれも一匹狼的な面々とのセッションの時でした。ハーモニーとか正反対のことです。音で相手の音をつぶしあう。けしなしあう。バィオリンがきれな旋律を弾いていると、すかさずコントラバスがそれを崩すリズムを刻む。それにに負けじとさらに高い旋律を奏でる。そこにドラムがバババーンと割り込む。やられたらやりかえす。とはいってもお互いを知り尽くしている。その場を壊ことはない。まるでルールのもとでの格闘スポーツのようでした。それ故に、全体としてはすごいふくらみのあるセッションとなるのです。一人一人が、自分の楽器を改造し、自分にしかできないテクニックを持っているので、出せる音の質、幅がオーソドックスな音楽家の出す音の三倍四倍と広く深のです。三、四人で十人、十五人のバンドがやっているようなのです。すごい人たちがいるなと思った。その頃の感動が今まで彼との付き合いを長引かせたのです。
 そうです。彼はコントラバス一つでジャズではなく、音楽そのものに喧嘩を売ったのです。売ろうと努力したのです。最後の最後まで。
 もう新しいものは出てきませんが、評価はこれからのような気がします。最後を少しばかりお手伝いしたのですから、評価がもっと上がってくれたら僕らもやりがいがあったと思えるのですが。
 余談になりますが、入退院する生活の中で、看護婦と喧嘩をしたと聞くと「良かった喧嘩するほど元気になった」とメグちょんや山崎さんやルミちゃんと笑いました。
 色々あったけど楽しかったよ。病気の看病の手伝いとか嫌だけど、生前供養コンサートの企画が出たあたりから、同じ死に方でも新しいものが見えて興味深かった。散骨式はすばらしかった。だからありがとう。    
 そして、僕はもっと先まで行きますからね。それからもっと金持ちで死にたい。先に死んだから悪いんだよ。バイバイ。
 体を大事に、元気で。
守       
1998年10月31日

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