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無数 

○大気は石、あらゆる雷(らい)は石が石じたいを組織しなおすために。石に犇く石。石は自らを砕きつづける。間々そよぐ。晴れが驟(はし)る。

○すべての関心には無関心の裏打ちがある。意欲には向きがあり、向きにはつねにその位置を捨て去ろうとする居ずまいがある。この消息を忘れてはならないし、恕(ゆる)されると思ってはならないのだ。無関心の裏側ではたらくものを調べとすること。

○私が通るとき、そこは狭間であり、私が狭間である。狭間はわななくことで通ってゆく。

○北上はしない。北に生じてただ偏えに垂れてくる。

○唄うのは当事者ではない。当事者ではないことの痛みが唄い継がれてゆくのだ。

○光は休らわない。ということは、光に休らうことなどありえない。休らうとき、休らっているのではないのだ。

○髪は風のなかにおく。流れを流れのなかにおく。

○生きても死んでも風にそよいでいる。

○誰にでもかかる魔法などない。魔法は大概、そのひとのためだけのものなのだ。すべての出来事がそうである。この世の出来事はすべてすれ違った魔法にほかならない。ひとは自分のためかもしれない魔法を遅れて追いかける。

○静かに暮すとはそういうことだ。己れの孤独にも過剰にも堪えて静まる。過剰であること、どうしても余ってしまう、それが己れである。最初にも最後にも不意に静けさとなって残るほかないもの。

○風景は絶えず瀬戸際にある。風景であることは風景でないことに連なっている。風景はどこからも掩(おお)われていない。求めることはできない。恋はない。迎えるほかないが、受け容れようもない。まなざしは風景の一点にすぎず、嵩むことなく、風に沿わず、風景に梳られ、風景に突かれ、私のまま、風景を風景にひろげる。

○鬼は隠れていない。私が鬼から隠れている。私が現れるとき私は鬼である。ところをこころとはき違え、私は風景を来たす。

○王を聞くことはできない。王はいない。夜ふけて物みな寝しずまる頃、私が聞いているということが王を聞くことを妨げていると知るのだ。それが歌である。歌の発端にすぎなくとも、歌である。王かどうかは知らないが、私が聞いているのは私が聞えないことそれじたいにほかならぬ。私は聞くことに於てそのように君臨する。それを王と称(よ)ぶなら、私がいないのだ。聞くことが私を脱げばいいだろう。私は王に対して眠ることができる。王に眠りはあるまい。

○速度とはべつに。水は温度によって水をやめる。あるいは越える。暗がりで、部屋いっぱいに水が揺れる。私が流れ込んで、揺れたことに揺れる。揺れつづける。

○食卓に就くとき、鬼である。食卓を去るとき、わずかに人である。鬼は人ではないが、人は鬼である。食卓へ季節が殺到する。

○そうした矛盾に引き裂かれながら、裂けめとしての自分を繕い繕い日々生きてゆく。日常の営みは繕いにほかならず、どんなに麻痺しようとも痛みを辿るしわざを意味する。麻痺することが傷口の誠実さなのだ。癒えはありえない。溢れることをやめた血は内へ溢れ返り、流れを深めてゆく。麻痺のしわざがそのまま術(じゅつ)である。私は立ち働きながら横たわり、こころ静かに痙攣している。ほとんど気づかぬうちに。

○咀嚼されながら、ガムの表面はどこだ。

○片隅に光。ひとたびうつればあとは光差さなくとも片隅は光。

○抜き差しならぬ関係を求めているのだろうか。関係はどのみち抜き差しによるほかあるまい。一撃あって、凶器がゆっくり(と見える)引き抜かれる。傷口はこの退きが遂げられてはじめて現れるのだ。関係の前に存在はない。一致はまず最初にあり、一致が引き抜かれ(一致から引き退がり)、生じた距離に準じて互いの存在は立つ。傷口は一種の時計にほかならない。

○私の代りに死を演じたのではない。私の代りに死ぬことも、私が代りに死ぬこともひとしく不可能だということを演じたのだ。かけがえのない者の死を、当人以上に私が死んでしまっているという事態、それが死者を置き去りにしてしまっているという事態、それはフィクションである。

○火で支えるように、目をつぶる。落下先は、少くとも過去ではない。

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