思い出すまま - No85 / pre top next

思い出すまま


幻蝶さんの個展
守田法子「やみからひかり」

まだ梅雨の明けない七月下旬の雨の日、鷹の台の本屋さんの地下の会場まで出かけた。アニメや舞踏会や色々企画があったようですが、折り合いが悪く最終日にようやく間に合った。

作品が明るくのびのびとしてきて、実に気持よく、作っている様子がわかるような作品たちでした。きっとそれは彼女が、いま充実しているということでしょう。

できたら「ボタン」ちゃんに会いたかったのだが、お母さんに劣らず不思議な魅力のある子なので、今どういう風に大きくなっているのか見たかったのですが、残念。

また、いい機会を見つけ一緒にやりましょう。








 冷夏・・・そして

 今年は十八年振りに阪神が優勝。そして十年振りの冷夏。阪神優勝の年にバブル経済に入ったそうですし、十年前は善く覚えている。初めて自民党支配の五十五年体勢が崩れた年で、僕がヨーロッパに行った年であり、不作でタイ米を食べた年です。過去は大きな変化のあった年ですので、これから大きなことが起こるのかも知れない。できたら僕の身にも大きな変化が起こってほしい。

 いい変化を望むのは当たり前ですが、「変化」を悪くするか善くするかは「変化」に対してこちらの受けと目方の次第で変わるものです。悪いことは往々にしてそれを反面教師にしてすばらしいものに変わる可能性を秘めているので、悲観的にものごと考えないほうがいいと考えることにしています。

 この冷夏、勿論地球全体の異常気象、温暖化といったものの現れかも知れませんが、つくづくなんと僕らは幸せな時代に生きているのだろかと思う。五十年前以前ならこれだけの夏寒が続けば、飢饉になって関東以北は大変なことになっいます。宮沢賢治の「雨にも負けず」の世界です。農業技術が上がったことやたとえ米の収穫が減っても外国から輸入して昔のようなパニックにはならない。こんなことはこの日本の有史以来の出来事です。

 僕は思うのですが。何と地球は人が多いことかと。動物や植物は大量発生するとそのために生態系のバランスを崩したちまち食料難になって大量に死んで元のバランス状態に戻る。人間は農業と言うものを発展させ、次に工業と言うものを開発してこの自然の平衡状態を抜け出し人口を増やしてきた。それももう限界だと思う。人類の文化的文明的遺産を引き継ぎ豊かに暮らそうと思えば十億人ぐらいが限界です。

 生態系のバランス、更に大きな地球自然の平衡というものが引き起こしているのが異常気象であり、戦争とかテロとかいうの起こるもっとも根深いところにある原因であるのだと思う。今の国際政治とかがコントロールできるのは十億人ぐらいだと僕には思えるのだが。



←百鬼夜行

お化け

六月、木場にある美術館でこの夏やっていた「ジブリ展」の立て込みの仕事をやった。惜しかったね、カメラを持ってゆき写真を撮っておけばよかった。オスカーの透明の覆いを取り付けたりしていて、手に触りはしなかったけど、触ろうとすれば触ることもできた。

夏はこういう仕事が多くて、お盆は横浜のデパートで「ゲゲゲの鬼太郎展」の仕込と。ジブリは違うけど、お化けとか幽霊とか言うイルージョンは不滅の生命力がある。余談ですが、水木さんのマンガも僕は「正義」を振りかざさない頃のマンガが好きです。メジャーになり子供に対する影響力が大きくなれば、時々悪さをする鬼太郎では困ることはわかるが、お化けの真髄は「善悪の定まらないところにある。」からお化けなんだろと思う。

お化けとか幽霊は人間の心の陰画なんです。幽霊が出るのは死者に対して後ろめたさがあるから出るのです。と思うのですがそう簡単に割れ切れないことも多いのでおもしろい。理性で割れ切れないことを物化もののけの仕業と言うことで結論のでない迷路に迷い込むことを避けるのは人間の知恵です。明治以降近代化と言うことで迷信として日本中どこにでいた小さな神様や物の怪達は避けられてきたけど、科学でものを分析して知識としてわかっていても心の処理は残されたままなのです。昔の人は、一つ事件に対して物の怪の仕業と理解すると同時にその前後処理、心のケアーも忘れなかったのです。

すぐにプッツンして人を殺してしまう。とか単純な動機の事件が多くなってきた。昔の人も迷信と言われるように原因を他のものに求める愚もあったけど、物の怪と同居する不透明領域がたくさんあったので、精神衛生上心の干渉領域として機能していたことは大きいような気がする。空想力いったものは陽性であろが陰性であろうが心の緩衝地帯です。

僕も昔、美学校の入間の教室にいた頃、幽霊とも物の怪ともつかない音までは確実に聞いた。軒下を歩く人の足音、階段を上がる音までは聞き取った。恐かったけど姿までは確認できたなかった。残念なことでした。



朝鮮王朝

北朝鮮のことが昨年からニュースなどでクローズアップされているのに朝鮮半島のことはあまり知らない。古代のことは教科書にたくさん出てくるのに朝鮮王朝以降のことはまったくといいほど出てこない。

これから知りたいのは、どうして朝鮮王朝は儒教一辺とうの国になったのか。なぜ近代化(西洋化)が遅れたのか。などです。あの元と十回に及ぶ大戦争をしながら、王朝を守り通した、日本の元寇の比じゃないです、あのクラスの戦争を五十年もやっているのです。それ以前も中国の王朝の存立を揺るがす戦争を何度もしていて、民族の誇りを保ってきたのに、日本の植民地時代の抗日闘争は見るべきものがないと言うのも疑問です。

僕が思うに、朝鮮王朝時の清との関係が今日まで悪く尾を引いているような気がします。明と清が擁立していた時期、王朝内部で親明派と親清派の対立があり、親明派が先を見ていた王様を殺してしまい、それに怒った清が王朝を攻撃して大敗、外交権、軍事権を清から剥奪されてしまう。明治の頃、日本を初め西洋諸国と外交関係をまったく結べなくなってしまった。

宗教的に儒教一辺とうじゃなく、仏教、道教、古来のシーマニズムがもっと強ければ、両班と言っても武官貴族がもっと強ければ、その意見の狭間から、当時の実学は、独立派が実力を持つことができたと思うのですが。

朝鮮半島では、朝鮮王朝時代に日本の「武士」のような、軍事貴族が成長しなかった。「武士道」のかわりに、花郎徒「ファランド」精神が韓国軍の精神になっていると言う。新羅時代に唐と果敢に戦った貴族達を花郎徒といった。青春に「花」という字を当てて響きが言い。

余談ですがサッカーなんかで「日韓」対抗戦になるとやたらと盛り上がる。僕が朝鮮人ならわかるような気がする。日本は中国文化圏の中で文化の果てるところ蕃国だったのです、和寇とか海賊の住む国だったのです。それがここ百五十年の間に立場が逆転した。中国とは違いが大きすぎ比較の対象にならない。国の大きさも同程度、気に触るのは当然です。適当に喧嘩しながらというのがいいんじゃない。兄弟民族として。



会場の風景とメインステージ ↓

福生
カニ坂フェステバル

福生の長嶌君から電話があり、サブ(朝吹真秀)とチアキ(招魂舎痴明)がえーりじゅん追悼で踊るので照明をやってほしいとのことであった。久しぶりに福生の祭りに出かけた。カニ坂は招魂舎痴明が中心になり毎年、真夏に多摩川の河川敷にある公園行われるロックフェステバルで、暑さに耐え切れず帰った記憶が何度かある。

 今年は冷夏で幸い晴れても倒れるほどの暑さでないので助かった。夜は川風が吹き心地よかった。僕が担当した小舞台も23日はバリダンス、フラダンス、ベリーダンスのグループが、24日は舞踏を中心にと充実していた。僕も夏の終わりのひと時を楽しませてもらいました。


バリダンス ↑ とスモークの中でのベリーダンス ↑
↓  細田麻央         朝吹 左  痴明 右  ↓



















高杉晋作

 毎年幕末から明治にかけての志士が話題になる、ことは「新選組」か??・・・僕の趣味から言うと「高杉晋作」ですね。行まで言えばいいとこの不良お坊ちゃん、良い意味で遊び人、親父の会社を継がず、詩を書いたり、絵を描いたりしているのだが、正義感が強く何かあると前に出て行く様な人かな。

 好きなのは、西郷とか良いう下級武士出身者と違って垢抜けている。流されない強さと言うか、時代の本質を見抜いているから先走らない、流されない、とこですか。芸術家詩人タイプの志士だと思う。

 彼の最大の日本史的貢献は「奇兵隊」を作ったことです。庶民の軍隊を作ったことです。この庶民の軍隊が、長州藩内革命を起こし、明治維新を単なる幕府から薩長への政権交代ではなく、市民(庶民)革命という方向性を明確にしたと言うことです。

 ここで、彼が上流武士の出身というのが、行動に即決したのだと思う。下級出身者の場合、上の人に対するコンプレックスをなかなか解消できない、ので行動がにぶる。まだこの時点では。日本全体を見たとき、何がこれからの力になるか見えていたのが、彼なのです。

 もし長生きしていたら、新政権とそりが合うはずない、とはいっても西郷さんのように人に引き摺られて反乱軍の対象に祭り上げられるようなことはしなかったでしょう。「俺の仕事は終わった。」とか云って政治とは縁を切って、ヨーロッパを放浪していたかも知れないし、ユニークな組織を、商人かな、作っていたかも知れない。いろいろ想像してみるのも楽しい。