思い出すまま - No84 / pre top next

思い出すまま


 子供はかわいい

 子供は小学低学年までが最も可愛い。もちろん子供は皆可愛いのだが、幼稚園ごろから十歳頃までどんな子供でも素直で特に可愛い。車で用事に出ようとしたらとなりの子供が泥んこになって遊んでいるので思わず写真を撮ってしまった。都会ではなかなか泥んこにもなれないところも多いので、子供たちにとってはここ山梨上野原あたりは幸せの地区である。

 隣の子供に何度か竹とんぼを作ってやったら、隣のおばあちゃんから学校から子供達皆で竹とんぼを作るのを見学に来たいと言う。連休の明けたある日、大鶴小学校の二年生二十人余りに一時間余り庭で竹とんぼの講義をする名誉にあずかった。

 「それでは、何か質問ある人いますか。」「おじさん何して食べているの」とすかさず現実的な質問。「絵描きなんだけどそれで食べれないので大工さんやっている。」とちょっと汗かきながらの答弁。これ、小学二年生だからこの程度済んでいるけど、高学年なったら、「どうして一人なの」「彼女はいるの」と突っ込みがきつくなって、こちらがしどろもどろする場面も出てくる。

 できたらこんな時代に僕も戻りたいのだが。

 

 森さんの入院と料理ブック

 森政一が直腸癌で入院した。初め陽性ポリープだけなら誰でもあること見舞いに行くほどでもないか、と山崎さんと電話で話したのが四月の下旬。連休も明けた頃酒井君からメールがあり、まだ入院していると言う。これは悪性だな見舞いに行かなければ、と酒井君に電話で話したのがが五月半ば。まだ、チューブだらけで話もままならなと言うので、下旬になって見舞いに出かけた。

 入院する前、水眠亭であった時には病気とは思わなかったが、からだの切れは以前より悪くなっていることは薄々気付いていた。顔色も悪かった、それに比べずいぶんやせたが顔色がいい。名医のおかげで人工肛門も付けずに澄むとのこと。そうだとわかればもう遠慮する必要はない、冗談ずくしの会話となった。この程度は仕方ない、誰でも一度は経験する。怪我の巧妙というべきです。「これで十年寿命が延びた。」と話して分かれた。

 二三日前こんな本をが届いたので笑ってしまった。あんまりにもストレートである。中年以降の病気は大方生活習慣病。生活習慣病を引き起こすが食事。しかし、これが大変で、病気にならないとなかなか直せない。どうせ病気になるなら早めがいい、四十五十代ならその後の生活の改善で病気以前に、それ以上に回復することができますよ。   

 僕の胃にとてもいい料理がいっぱい、早速作ってみよう。写真のジャガイモのすいとん、これ気に入った。写真のレシピ分かりますか、要は小麦粉の代わりにふかした(または煮た)ジャガイモをつぶし、片栗粉をつなぎにして塩を加え団子にして入れたものです。みなさんも試してみてください。

 PS
 北朝鮮のテレビでジャガイモ麺を作るのをやっていた、確かつなぎなしで麺にしていたと思ったが、すり下ろしたジャガイモを熱湯に入れたら団子になるんじゃないかな、この方法も今度試してみよう。


 

 梅干しババアならず梅干しジジイ

 毎年個の時期になると、仕事にかこつけ、梅雨のうっとうしさに面倒になり見過ごしてしまって、七月になり、ああやっておけば良かったと後悔する。時に自家製のものをもらったりすると、うれしくなりすぐに食べてしまう。買ったものは値段は高いのになんで味が悪いのだろか。

 1kg300円と言う破格の安さの梅を2kg買ってきた。いい梅じゃない、一晩塩漬けにして、入梅宣言前のよく晴れた日、一日日干しにしにして、梅酒用の瓶に紫蘇を加え漬けた。毎日少しずつ脱色して梅干し色に変わってゆくのが楽しい。薄塩にしたが、一週間したらかびが出てきてしまったので塩を足した。でも味はいい、二カ月後が楽しみである。2kgじゃ足らないのでもう2kg買ってきて又新たに漬け始めた。

 梅は大好きなんです。小さい頃から胃腸が弱かったので、祖母が作った梅肉エキスは僕の胃腸薬だったのです。梅肉エキスを作るのは大変なので、梅干はそのかわり、体調調整薬なのです。

 PS 梅干しと言うと田舎の梅漬けを思い出す。僕の田舎会津では梅干しではなく梅漬けにするのが一般的である。思い出すのはそのしょっぱさなんです。たまに田舎に帰っても今は生活改善運動が進んでしっぱい漬け物は見かけなくなってしまったが、昔は保存が優先され、これでもかという程塩を入れていた。梅漬けを皿に取り一時間もすると白い塩の結晶が表面を覆ってくる。茄子や瓜の味噌漬けも同じである。若い頃このしょっぱさが時々懐かしかったのを思い出す。

 あれじゃ脳卒中が日本一と言う当然、親父も高血圧で脳血栓で死んだ。若い頃胃潰瘍で胃を切り、強い味付けが一時まったく食べれなくなり今に至るが、あの時胃潰瘍になっておらず、二十代の食生活を続けていたら、中年になってもっと大きな病気になっていたことは間違いない。 

 

 やっとそばが打てるようになった。

三年たってやっといつでもそばがまずまずに打てるようになった。打ちやすいそばの練り加減と茹で上がっておいしいそばの間には微妙なずれがあって時々間違える。三年と行っても秋から春にかけ月二回ぐらいのペースなので、そば打ち教室にでも行って毎週打てば、半年から一年ぐらいの時間です。

よくそばよりうどんの方が楽だという人がいるけどどうなんでしょうか。うどんは粘りがあるので麺にしやすいことは確かですが、おいしいうどんとなるとどうでしょうか。最近讃岐うどんブームでTVで手打ちうどんの特集などやっているのを見るけど、うどんも奥が深そうに僕には見える。見様見真似でうどんを打ってみたが、いい加減に打つといつも失敗する。

昔、ラーメンに押され日本のそば、うどんの麺文化が失われるのでないか言われたことがあったが、そんなことはない、新しく進化し続けている。パスタ、冷麺元気でますます盛んになっている。麺は皆ヘルシーで大好きなんです。

最近は「そばがき」にこっている。クリーム状にそばをこねるこれが難しい。TVそばがきの作り方をやっていたのでそれを真似てみたがうまく行かない。プロのやり方であるが、そばと水同量を鍋に入れ火にかけながらひたすらへらでこねる。へらのの動きがまねできない。結局そばが固い部分と柔らかい部分ができてしまう。なら直火はなく湯煎でと思いやってみたら滑らかなクリーム状になった。もう一歩である。  

 

話は前後しますが、五月のある日、明野村の浅原友子さんの家のホームパーティーにそばを打ちに出かけた。彼女とは美学校の描写教室から縁の続いている少ない友人ですが、春に行くと山菜が台所に山ほどおいてあったり、秋には茸と山好きの人からもらったものがおいてある。毎年松茸も入るらしいが、折り合いが悪くいつも事後報告である。

子供二人とも家を離れ、最近旦那から家具展の案内状など届くようになって「あれっ」と思っていたら、本格的に家具を作るんだと行ってサラリーマンをやめたと言う。こういうの見ていると夫婦もいいよなあと思えてくる。

次回は秋そばが出てきた十一月以降、それまでに「そばがき」をマスターして行くことを約束して帰ってきた。

 

浅原氏・右端↑
明野村・浅原家でのホームパーティー
都会から移り住んできた芸術家が多いのですが、
友子さんにカメラを渡したのはいいが本人は写って
いない。


僕のやっている展示会の大工の仕事、企業の製品の展示が主な仕事なので景気と仕事量が直結して、そんなわけで時々株価を見ているのですが。ここ一二カ月株価が上がっている。バブル以降長く続いた不景気の時代が終わりを告げつつあるのかも知れません。専門家じないから勘でしか判断できないが、戦後経済的豊かさとしての「物」に偏った経済社会構造の弱点は一応でそろったと言うことでしょう。やっと方向転換ができることになったと言うことでしょう。
やっと普通の日本人が、企業戦士ではなく心の豊かさについて本気で考えるようになった言うことでしょう。お金や物は程ほどあればいいのです。少しはこれからいい世の中になるかな。のんびりゆったりと行きましょう。


  

追記
 岡田さんの会があるというので何年かぶりに見に行きました。なかなか良かったですよ。下はそのとき撮った写真。彼はマイペースで頑張っています。


 

 

 

 

 

 

 

            岡田隆明
      パホーマンス「二重の外出」
      6月22日 アートランド
                   より



 

訃報

 舞踏家のえ~りじゅん君が仕事中に三階の足場が崩れ落下、7/8 死亡しました。
 ユニークな個性でみんなに好かれていました。
 残念なことです。ご冥福を祈ります。