思い出すまま - No83 / pre top next

思い出すまま

世界市民

 ここ一週間(3月14日当時)イラクへの戦争反対のメールが二、三舞い込んできた。連日のニュースで国連の戦争決議のニュースが流れている。昨年の9.11からアフガン戦争の時は、アメリカへの同情の方が勝って、戦争反対の声は小さかった。しかし、今回は世界中に戦争反対の声が持ち上がり、週末には世界各地で反戦デモが起こっている。

 世界が変わりつつあるのです。ますます世界が狭くなり、人々は自由に世界中の人とインーネットでコミュニケーションをしている。「世界市民」という概念が定着して確実に力を増し、自国政府を動かし世界を動かしている。今の時点で戦争になるかどうかは分からないが、アメリカという巨大国家が勝手に戦争したりすることは難しくなったことは確かである。僕に回ってきた反戦署名のメールにはいろいろな国の人が名前を連ねていた。フランス、スエーデン、ニュージーランド、アメリカ合衆国、イギリス、香港、etc.

 かってのベトナム戦争時は、自由主義国での反戦運動だったが、今回は旧ソ連圏、イスラム諸国、アフリカ、南米と世界中に広がっている。まだ中国には目立った動きはないが、情報は入っているので、そのうち国内の民主化とともに中国市民の存在感も生まれてくることは確かだと思う。そしてマスコミと言うときに硬直しがちな報道機関とは別に、インターネットいうミニ&グローバルコミュニケーションは、さまざまにレベルでさまざまなコミュニケートが可能でコミュニケートの多様性という点では数段大きくなっている。

 コスモポリタリズムということは今に始まったわけではなく、古く仏教もキリスト教も、イスラム教も古い時代のコスモポリタズムです。そして、かっての社会主義運動もそうです。21世紀のコスモポリタズムは、コミュニケーションの時間が早いこと、多様な価値が話し合われること、さまざまなレベルので話し合われると言うことにおいて今までとは比較にならない。ここに21世紀型政治の根の部分が生まれたのだと思います。人がいて初めて政治があるのです。ここに三世紀の国家と言うものが弱くなればいい。今のアメリカや旧ソ連やかっての大英帝国などの超国家は21世紀には必要ない。国は連邦制国家の地方政府のようになればいい。そういう社会に向かう原動力が、ミニ&グローバルコミュニケーションであるし、世界市民です。話し合いが十分にもたれればその分、戦争とか力による葛藤は少なくなる。もう時代は21世紀なんです。

 確かに衆愚政治という言葉があるけど、「世論」というのはこれだけ多様な情報が飛び交う社会にあって、冷静に現状を分析する力があるのだろと思う。世界で異常なのは、9.11以降のアメリカ社会なのだろと思います。共産主義との戦いに勝ったと言う奢りです。国家社会主義という社会主義の一種に勝っただけなのです。相互扶助こそが人間が社会を作る根幹ですし、社会主義ナシには社会が成立しないし、自由主義も民主主義もないのです。今のアメリカは勝ったと誤解してしまった人々の不安であるし、バブルの崩壊による不安であるし、テロという正体のはっきりしない敵に対する不安からおかしくなった。今のアメリカ社会は病的なのです。世界はアメリカなんかよりずうっと大きな社会です。軍事力とか経済力なんかで世界を動かせると勘違いするほど馬鹿げたことはない。アメリカのこの種の保守的なものは世界世論によって潰されます。僕にはそう思える。

 日本の場合、「世論」はイラク問題に対しては健全だと思う。アメリカの社会よりは冷静に世界を見ているし、感じている。北朝鮮に対してはこんなに冷静に対応できないと思うけど、後の時代から考えてかなり冷静に対応できると思うし、そう信じたいけど、さて。

 

 追記1

 アメリカ、今が一番良い時期じゃない。経済も軍事も政治の力も世界一で偉そうにできるのは今のうちだと思うけど。後ゆっくり落ちて行くだけのような気がする。昔はアメリカと言うとなにか興味を引くものがたくさんあった、でも最近はされが少ないのです。嫌いなものだけ目に付く国になった。不条理の付けはその後倍返しで来ると言うことでしょうか。

 

 追記2

 朝鮮半島の歴史は二千年間外から侵略され続けてきた歴史なのです。中国の属国として完全独立でなかったし、日本からの侵略、北の遊牧民、和寇などの南の海賊。李朝末期清朝から外交軍事権を奪われており、その結果近代化が遅れ、日本の植民地化を招いた。戦後も、十分な民族国家になる前に、冷戦の犠牲になった。

 北朝鮮の超軍事国家は半島の歴史からしたら特別なのです。儒教支配の悪いところばかり目に付くけど、儒教は武力ではなしに「礼」「仁」によって社会を維持しようとした、古代、中世の平和主義思想なんです。朝鮮人は日本人なんかよりずうっと潜在的に平和主義者なのです。今の体制は現代の魔法です。かって仏教国のカンボジァの人が大量虐殺をしてしまったように、武力の良さ悪さに対する免疫が弱い故の悲劇です。

 北朝鮮と戦争のようなことをしなければいけないこともあるかも知れません。日本人としては、それは魔法の呪縛ゆえのことであり、同じ東アジアの兄弟の国と考えるべきです。僕はそう思う。 しかし、その魔法は強力ですし、周到ですので、毅然としないとなかなか解けないような気がする。

 

↓ 土手で見つけた天道虫とチョウ 

 萌える頃

 桜の花が咲くまではまだ寒さも残り、木々もつぼみは大きくなったと近づいてみるとわかるが、裸の木はやはり殺風景で楽しみが少なかった。しかし、桜吹雪が舞うと、ほんの一週間ほどの違いなのに、野や林や山々は、一斉に芽吹きが始まり、毎日毎日色を変えて行く。グランド一杯に勢揃いしたダンサーが

桜の開花という前奏に合わせ一斉に踊り始めたような感じに思えてくる。

 やっと寒さを覚えず、散歩できる。談合坂のサービスエリアに裏口から入り、駐車場の外れにあるベンチに腰をかけ、山々を眺めるのは楽しい。もう燕が飛んでいる。この季節この国に生まれこの自然の中で空気を吸えることは、なんと幸せなことだろか。

 今日は特別暖かく、六月の気温である。セーターを脱ぎ半袖になった。しばらくすると、なにか夢のように想像力が広がって行く。そして、イメージはどんどんマイナーな方向へと進む。これも「あなたは安心して負性の思考をしてもいい」とこの健康的な陽気が保障してくれているからと気付く。

 活発に動く蠅や天道虫や雀や、淡い緑の欅や草は、今年も同じように素直に生きている。なのに、僕ら人間は欲張りでそんなに素直には生きられない。昨年と同じようにしようとしてもできない。虫達とは別な原理でうごいている。 感動は常に減衰する。失う分だけどこからか補充しなければ、現状維持さえできない。感動は老化するのです。感動した感激がからだあふれて人間は人間であるのです。だから大変なんです。

 

← 王仁わに塚の桜と富士桜 

 

 今年も韮崎にある王仁わに塚の桜と富士山にしかない「富士桜」を見に行った。 王仁塚は日本武尊の王子、武田王は桜の御所という所で政治を行ないここに葬られた。時代が下って、源太郎信義が「武田王」にあやかって武田の姓を名乗った。ここが甲斐武田氏の発祥の地なのです。こんもりとした20m四方に大きな染井吉野と「王仁塚」と書かれた看板があるだけ、回りは田圃や畑になっている。農家のおじさんが、腕章を付け見物人に「畑に入るな」とうるさく言って回っていた。

 甲府盆地からなだらかに山につながる中腹で、ここから甲府盆地が見渡せる。桜は百年か二百年ぐらいかな、武田王の桜の御所に地なんで植えたのだと思うが、横に縦に大きな枝を伸ばしなかなか見応えのある。隠れた名所です。

 昨年は四月十日に行ったが、昨年は咲くのが早すぎたからで、今年は二十日前に行ったがまだ咲いておらず、二十二日に行ったら富士吉田の町に近い所では咲いていたが、御殿場に抜ける高速道路の上ではまだった。

 この桜かわいいんです。「小桜」という種類で、花弁が一回り小さいのです。又大きくなっても三メートルぐらいにしか大きくならのです。山桜よりまだひっそりという感じです。色は白にほんのりとピンク色。清楚とかわいらしさを兼ね揃えている。世に冗舌な桜に見飽きた人は是非来年見に行ってください。





  

今年こんねんも 樹海に桜 訪ねけり

富士桜 木々の間に 慎ましく

 

 

  修ちゃんと恵美ちゃんの結婚式 

 4月27日 アートランドでの結婚パーティー、4月中旬に札幌でパーティーをやりここは二度目。集まった人の大方は五十代。結婚披露宴は次第に崩れてゆき、舞踏あり、ロックありのライブへと変わる。不思議ですよね。みんなまじめに馬鹿をやってきたのですが、こんな年に年をとるとは。でも、自分の路線は変えられない。

  当面の二人の目標は、かのアパート「十王荘」を脱出することだそうです。脱出できなければもう離婚の危機とか??? 前号でもうしましたがそれは地縛霊との戦いですぞ。

  恵美ちゃん、修ちゃんは僕の友達の中でもちっとも嫌みを感じない少ない友人の一人ですので、僕からもよろしくお願いします。

 

五十路いそじ縁   春は何時でも   心次第

 

野に青葉 濡れてますます 目にしみて