思い出すまま - No86 / pre top next

思い出すまま



 新しい季節の始まりを告げる鐘は高らかに鳴っているのに・・・・
 気持ちのほうはずいぶん前向きになってきつつあるのに、なかなかこれぞというのが見つかりません。季節を変えるもの、それは感動です。相模湖方面に引っ越そうと思ったのは、1990年にたまたま藤野町の山の中での砂の「マンダラ」というイベントでした。東京から山一つ越えただけなのにやることがゆったりのんびりとしているのでこれはいいと思ったからです。なれてしまうと新しいものがほしくなる。それが今の現状です。
 新しい感動を求めて詩人達は古代から流浪の旅を続けてきた。僕も気持ちだけでもそうあり続けたい。医者が「御臨終です」と宣告するまでそうあり続けたいと思うのです。そうできたらなんとすばらしいことでしょうか。
 来年は何が起こるのでしょうか、わくわくです。少しで多くの感動を感じ方が人生勝ちです。戦いましょう。何が起こっても、自分さえちゃんとしていれば、なんでもすばらしい感動的なものにすることができます。

 

 蕎麦・そして
 今年も田舎のお袋に電話して、玄蕎麦一斗(10升)を頼んだ。新蕎麦の季節です。これから新蕎麦の味を楽しみましょう。
 今年の冷夏と凶作、毎年この時期田舎から新米を送ってもらうのですが、今年は収量が少ないので、おまえの分まで回らないとのこと、昔なら大事だけど、おいしい米が食べられないのは少し残念。でも、蕎麦気違いの叔父の蕎麦は質がいい、九月から天候が持ち直したからでしょう。
 「蕎麦」というと僕の頭からはなかなか「貧乏の食材」というイメージか抜け切れない。昔、今年のような冷夏の年、夏凶作になるかも知れないと分かった時点で蕎麦を蒔けば、秋の終わりには収穫できた。また春早く蒔けば夏の初めに収穫できるこの作物は、なんと頼りになるものだっただろうと思う。
 飢饉の代替食料。それを上品な食品に変身させたのは江戸の町人の飽くなき好奇心である。江戸の蕎麦は今の蕎麦のようにツルツルしたものではなく、粉が粗くザラザラしたのであったらしい。繋ぎは使わない、というのはうどん粉の方が高かったためです。汁を少し付けて食べるのも醤油が蕎麦に比べ貴重品だったからです。それを、信州の更科出身の人が、一番粉だけ使う、白い蕎麦を更級蕎麦として売り出すようになって高級な食品の仲間入りをしたのです。
 初期の蕎麦は繋ぎをつかわなかったり、粉が粗かったりして、茹でずらかったので蒸していたのです。その名残りが盛り蕎麦なんです。海苔の載ったのが盛りではではありませんよ、蒸籠に乗せて初期の蕎麦を思い出すためにあるのです。
 同じ飢饉の食品の黍きびや粟あわが、健康食品として注目されている。蕎麦ほどの大型食品にまでは成長しないと思うけど、未来のことは分からない。

 歩く
 そろそろ修理工場に持っていかなくては、体育の日の連休が明けたらなどと思っていたら、連休の入り口でエンジンがかからなくなってしまった。自動車に電話したら、連休明けないと直せない、台車も出せない、とのこと。仕方ない歩くほかない。駅までの6km、一時間余り。一日二日と歩いて仕事に通ううち、さすがに足がパンパンになってきた。
 ここは旧甲州街道、蛇行する車道の所々に近道の入り口や出口がある。この道のほうが古いのです。道の横に小さな祠があったり歴史を感じる。朝、丘の上に出ると鮮やかな朝焼けが町の上に広がり、カメラを持ってくれば良かったなどと思い、駅に急いだ。自動車では感じられない発見の一週間であった。
 それにしても足が弱っていることか、若い頃はよく歩いた。駅を二三個飛ばし、時間さえあれば歩いていた。疲れれば喫茶店で一休みし、また歩く、そしてバスをよく使った。



 はらっぱ祭り
 府中の自動車試験場の裏にある武蔵野公園で毎年開かれる「はらっぱ祭」今年は11月1,2,3日開かれたので出かけていった。毎年大きくなっているようです。2日の日は天気もよく歩けないほどです。ここ来ると会える友達がたくさん居るのです。
 聞くところによると世代交代が始まりつつあるとか、この祭を始めた人の子供達が今年、実行委員に入ってきたとか。
 3日は雨まで降りだしてきたが、誰も気にしていない。長嶌君達の舞台の手伝いなどして帰ってきた。  




















 













  選挙
僕も不在者投票に行きました。過半数といっても、投票率が60%じゃ実質30%の支持です。僕も二十代三十代までは選挙には行かない主義だったが、(選挙に行かない今の若い人とは同じ部分もあるけど、無関心だったわけではなく、「選挙には行かないいう主義」だった。)これじゃ政治家がおかしいといっても少々は仕方なし、結局は自分のところに戻ってくるのです。
  なかなか変わらない。もう少し劇的に変わってくれるかと思ったのだが。野党が民主党に収斂したと言う形です。変化の兆しはいろいろ言われているけど、政権交代が起こらなければなんにもかわらない。政治も高度成長型の青年期から、成熟期の環境・福祉型へ変わらざるを得ないのに、何んとのんびりしていることか。人とはなんと保守的な存在か。
  前回の通信で今年は変化の年といいましたが、半分ですね。これからの努力次第と言うことですか。僕も努力しないとずるずると時間だけを無駄に過ごすことになってしまう。くわばらくわばら。