思い出すまま - No179 /  prev top next

 キムチ
 日本の漬物に比べキムチは辛い、南の国なら、暑さ対策、北の国なら寒さ対策で、辛味の味付けをするのは分かる。それ程緯度が違わない朝鮮半島なのに、日本の漬物との辛さの違いは大きい。
 それと日本では漬物の味付けは色々あるのだが、韓国では、唐辛子を入れない漬物はあまり聞かない。
 隣の国なのに、国民性の違いが漬物の特徴に現れているような気がしする。
 
 日本人の感覚からすると、やり過ぎと感じることが多すぎる。「積弊清算」で政治家や官僚を追求するのは良い。官僚ならその職場を替えるのも分かる。それだけに済まず、刑事訴追は日本人としてはやり過ぎに感じる。
 
 古代の民族組成的には、北は遊牧系のツングート、南は日本の山陰や北九州と変わりありません。その後の千年の歴史が、国民性の違いを作り出したのでしょうか。朝鮮半島は中国の冊封体制に入った。巨大な中華帝国の一地方へと純化していったという事でしょうかね。
 新羅、高麗王朝は仏教に特化して、古来の自然宗教は失われて行く。大和言葉と伝統文化を守るために心血を注いだ日本とは対照的です。朝鮮王朝に変わると、仏教批判運動が起こり、儒教、しかも儒教原理主義というべき朱子学一辺倒となります。本家中国以上に中国的である事は、小国の処世術の賜物です。何事も純化してしまう指向性です。
 
 そんな政治的文化的背景の中で、キムチは作られた。和芥子(秀吉軍か持ち込んだ辛子)と初めは敬遠していた唐辛子を、新たな野菜白菜の導入と共に解禁し、辛くなった。
 朝鮮半島はコンパクトな地勢です。北は同じツングート系か、中華王朝の治める国。南は海隔てて日本。古代に分裂していた民族も融合し単一民族化して、納めるやすい国家なのです。
それ故にでしょうか、「純化=過激」と言った民族性を持つようになったのは。、、、
3/26 ノラの命日 
 韓国、民主化
 韓国からは、慰安婦や徴用工の反日の政治的側面だけ強調され、何が変わり何が変化しているのか、なかなか細かい報道は少ない。日本の1960、70台起こった、政治運動に近いのかなと、直感していたのだが、それらを裏付ける様な、細かい事もわかる様になり、成る程と思っています。
 
 僕らが過ごした青春は、学園紛争から始まり安保反対や沖縄返還など、激しい政治運動がありましたが、同時に「価値観の変換」と言った、自由を求めた文化的な側面が、より本質的かも知れません。経済成長という物質的な豊かさに対する、選択肢の多様化の要求です。同じ事が韓国でも起こっている様です。
 
 ロウソク革命は、儒教的倫理の強い韓国社会の価値観を根本的変える事でした。デモににより政権を代えたという自信が、下の者が上の者に意見を言うということ。価値観の逆転が起こっているからです。労働組合と言った組織的なものだけではなく、新たに生まれた女性団体のフェニミズム!役人や国会議員の優遇を告発すること市民団体などが、活発な告発を行い始めたからです。
 また有識者やジヤーナリストによる、国際社会から見た韓国社会の独善的価値観の批判!他者に責任をなすりつけようとする傾向批判!などなど様々な意見や活動が生まれて来ています。
 
 韓国社会の一番の問題は、上下関係重視する儒教倫理と、家族から宗族を基本とする社会構造です。そこに経済格差の拡大、大企業の恩恵を受ける人々とそうでない人々の格差です。起こるべくして起こった民主化とその運動です。
 対日関係の悪化は、今動いている現象の本質ではないと思っています。歴代政権がとって来た、安易な日本批判による支持率確保です。一世紀も前な事を現実味を帯びているはずはありません。日本批判に偏る政権運営にも批判が出ています。
 
 年間七百万人の日本旅行者、彼らは親日家です。政治的な発言する人々では有りませんが、改革するなら日本のようになれば良いと思っている人々です。
 
 日本に観光に来ただけで、人が変わる。
 インターネットニュースで面白い記事を見つけた。「日本に観光旅行しただけで、人家が変わる」という記事です。
 外国人、特に中国人のアニメ好きな若者は、日本に一二週間滞在すると、なり振る舞いが変わるそうです。彼らは小さい時から日本のアニメや漫画を見て育ったのですが、日本人と接触すると、アニメに出てくるキャラクターのなり振る舞いが、日本人の普通の行動と分かり、脳みそに深く蓄積されたキャラクターの行動が、自分の行動と重なるようなるので、他の中国人から見たら、突然性格が変わったように見える。だそうです。
 
 日本のアニメには、格好いいヒーロー、ヒロインはあまりいない。絶対的な悪人もいない。日本人の日常生活をモデルに、そこに架空の話を絡めて、延々と続く。日本人と接触すれば、日本人的行動が分かるとのことです。
 思いやり、恥の文化、道徳観、礼儀などといったものは、東アジアの古典的なもので、現在はそれらは形骸化してしまって、誰も実践していないのを、思い出すので、外国人でも中国人は、日本人的行動に即感化されるということです。恐ろしやアニメ文化です。
 
 追伸
 日本は古い宗教が残っています。仏教や儒教も混在しています。親切や思いやりは、性善説が根底にあるから自然と出てくるわけです。村落共同体の基本的な役割、助け合いをする対象として、道行く他人を見ているわけです。それらは、どこの国にもあったものです。ただ社会が複雑になり、民族間抗争などの中で忘れられてきたわけです。
 更に近代という、ヨーロッパ合理主義主導の中で、その良さを上手く取り込み、古い価値と共存させたのは、長年外国からの様々なものを受け入れ調和させて来た、日本文化の柔軟性のなせる技です。
 
 東アジアや東南アジアの人々が、ヨーロッパ人には何処かで違和感感じていたものが、日本なら馴染みやすいと感じているのは、日本人として嬉しいことです。
 
 台湾の桜
 台湾でも最近は桜の花見が盛んらしい。テレビで特集を組んでいたのでそれを見て成る程と思うことが多々あった。
 日本より時期はかなり早く、一月下旬から三月下旬までとかなり長い。旧暦のお正月に当たる時期なので、お祝いムード自然と高まります。
  成る程と思った一つに、大陸からやってきた中国人には元々花見の習慣はなかった。でも先住民は、春の到来と農作業の開始を桜の開花に合わせて祝っていたという。日本と同じです。
 花見は日本の影響が一番大きいようです。日本統治時代にたくさんの植林が行われ、お花見の習慣が少しずつ、台湾人にも移っていったようです。
 
 国民党時代は多少日本の真似にはブーレーキもかかったと思われますが、政権が代わり、韓国ような心理的なタブーは無くなったので、現在の桜ブームを招いたようです。
 映像を見る限り、中国人らしく、赤身の濃い花が喜ばれているようです。時期が早いので寒桜系統、八重桜、河津桜などが好まれているようで。忘れてはならないのは、台湾固有の桜も沢山あるという事です。先住民の桜です。
 驚いたのは、冨士桜、富士山山麓にかない桜も移植されているとか。
お花見には理屈は必要ありません。綺麗な花を愛でるのは、桜れてあれ何であれ、盛り上がる事は良い事です。
 
え・ちえ 
 事大主義
 最近ではあまり使われなくなったが、この言葉が、東アジア、特に日本、韓国、北朝鮮の政治的な発言を左右してきた。
 元々は中国古典の「事大」(大いに使える)に由来するのだが、明治の初め、中国の清朝の外交方針を立てに、なかなか日本との外交に応じない李氏朝鮮を揶揄す言葉として作られた、そこに英語の語「ism」(主義)を付けた造語です。
 初めは、朝鮮王朝のみ使用だってのですが、沖縄の本土政権を意識する、政治動向を表現する様になり、日本国内の地方政府が、盲目的に中央政府を意識することにも使われました。また、世界常識(欧米)を意識しない、日本独自の意識、島国根性と同列に扱われました。
 欧米が作り上げた国際社会の常識に対する、「遅れていると」と卑下する言葉として使われてきたのです。経済力が欧米諸国に追いつき、庶民の生活水準も上がるに従って、使われなくなってきたのです。
 
 朝鮮半島では、日本からこの言葉が輸入され、南北分裂後、お互いの政治を批判する言葉として使われて来ました。韓国による、北朝鮮のソ連、中国追従の政治批判として。方や北朝鮮は、韓国のアメリカ追従批判として。です。面白いのは、北朝鮮の「主体思想」は事大主義の反対語として作られた言葉です。
 
 近代化という、欧米諸国に追いつけといった、一定の方向性が、曲がり角に来ているのが現在の世界です。今までの政治的価値観の再点検が必要になって来たということです。
 
 
 「活下去」中国不動産バブルの崩壊
 「中国の不動産大手万科(Vanke)の2018年秋季社内経営会議で打ち出されたスローガン。中国語で「生き残る」という意味だ。「活下去」の文字が大きく映し出された会場の写真がネット上で流れていた。」
 インターネットのニュースの記事です。本当に今年あたり、不動産バブルの崩壊始まりそうです。中国政府もそうなったら大変なことになるので、なりふり省みず、財政支出して支えていますので、まだ分かりませんが。
 「逢九必乱(末尾に9が付く年は必ず波乱する)」という事で、1989年は天安門事件、1999年は法輪功事件、2009年はウルムチ暴動、と9のつく年は大事件が起こっています。しかもこれらは自由を求める人々弾圧の歴史です。2019年は不動産バブルの崩壊よる企業倒産で、大量の失業者の暴動などが予想されますが、そうなったら、共産党政権の存続も困難になる訳で、中国から目が離せません。
 
 最近は、韓国との緊張、北朝鮮の核問題の陰に隠れていますが、世界に与える影響力では、こちらの方が大きいのです。見ての通り、9のつく年の大事件後、中国政府は自由の大弾圧して来たわけです。物質的豊かさとは反比例して、心自由度は減少して来たのです。その意味で大反乱が起こっても良いのです。
 ただ今年がそのジンクス通りなら、もう予兆が見えなくてはならない。上の一企業のスローガンだけじゃ弱すぎる。中国共産党をこのまま存続させてはいけません。人権を無視したこの政権は、世界に悪影響しかもたらさないからです。経済破綻し再出発することこそ、中国人にとっても世界にとっても良いことだと思っています。
 

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