思い出すまま - No115 / prev top next
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 今世界は
 今年に入り、世界は大きく変わろうとしています。アメリカの経済危機がその発端ですが、石油高、食糧不足、温暖化と世界的規模で変化が進行しています。世界の政治経済の構造変化、調整局面に入ったのだと思います。
 政治的には、ソ連崩壊以降続いてきた、アメリカの一国支配は終わり、徐々にサミット主要国主導へと移り、更には中国、インド、ブラジル、南アフリカといった急速に経済成長を遂げている国々との集団指導体制への方向に進むと思います。経済の相互依存がますます進んでいますし、「先進国」云われてきた国だけでは、何も解決しなくなってきています。CO2削減はそのいい例で、中国、インド抜き決め手も何の解決にもなりません。
 
 食糧問題はこれからじわじわと世界を苦しめて行くでしょう。気象変動による収穫量の減少と人口増加。60億の人口を養っているのです。大変なことです。食糧価格高であえぐ国々には短期的には資金援助ですが、長期的には技術援助でしょう。基本食糧はその国で賄うていうということが、一番安全でコストのかからない方法です。日本のような国は、基本食糧不足に苦しむ国の裏返しで構造的には同じです。現在の食糧不足で非難されるべき国の筆頭です。
 
 オイル高はこれからも高水準のままでしょう。太陽電池による、化石燃料からの切り替えという大きなエネルギーのシステム変化が終わるまで続くでしょう。技術は出来ています。後は社会のシステムが変わる時間だけです。脱化石燃料といったとき、原子力は安易すぎます。僕は太陽電池が一番有効なのだと思います。
 
 もはや国と国が戦争する時代ではない。でもテロはこれからも起こります。片や贅沢に世界中の物産を掻き集める人々と、明日の食糧にも事欠く人々がいるかぎり、テロはそんなマイナスの不満を掻き集めて起こっているのです。テロリストは敏感にそのことに反応した人々であって、彼等の暴力性は非難できても、この現実に目を背ける人々に、それ以上の非難する権利はありません。
 
 僕はあんまり絶望していません。唯、ガソリン高とか食糧不足の暴動とか起って自分の自身が困らないと、人は動きません。また、未来のないものにしがみつくほど愚鈍でもありません。恐らく、今年のような危機はこれからも何度も起こるでしょう。その危機によって初めて世界は改善されるのです。
 
 始まったエネルギー革命
 18世紀の産業革命は「薪から石炭へ」のエネルギー革命をもたらした。二十世紀に入り、それが石油へと主力を移し、第二次世界大戦後、大衆消費社会を生み出した。それが全世界に及ぶに至り、第三のエネルギー革命の必要に迫られているのです。この革命は今までとは、桁違いの大規模となります。
 地球から見たら、植物たちが過去に貯めた太陽エルネギーを人間が使い、過去の時代の大気に多少戻るということでそんなに大騒ぎすることではない。温度が上がり、CO2濃度が上がれば植物たちにとっては「環境悪化ではなく環境改善」なのです。「地球に優しい」とかいう標語も、自分勝手な人類の自分勝手ないい草だ、地球に心があったら、そう顔をしかめているかも知れません。
 
 そこで、次世代のエネルギーが模索されてきましたが、僕は石油に変わるべき可能性があるのは、太陽電池だと思っています。原子力は放射性物質をという副産物を大量に排出するので限定的にしか普及しないでしょう。使ってはいけないものです。水力発電はもう開発され尽くしているし、新たな環境破壊が懸念されるのでこれも駄目。風力発電も限定的。海底のメタンガス、天然ガスもCO2を増やすばかりだから駄目です。そういうことを考えると太陽電池が一番有効です。
 現在その技術開発は目覚ましいものがあり、エネルギー交換率も、かっては20%程度から、現在では30%40%と上がりつつあり、理論的には50%60%可能です。
 また、従来のシリコン型から、化合物を使ったもの、有機物を使ったものと多種研究されていて、普及の最大の難関だった、コスト高という難点もクリアーされつつあり、低価格が始まっています。
 
 太陽電池とセットの蓄電池の開発も進んでおり、この二つの技術開発を元に、今後、人類は第三のエネルギー革命に突入することとなります。これからの半世紀の間に、世界の屋根という屋根にはソーラーパネルが取り付けられ、自動車は電気自動車に移行するものと思います。化石燃料は科学製品の原材料、夜間や高緯度での使用と除々に補助的なものに変わるでしょう。
 
 太陽電池がもたらす大きな変化は、砂漠地帯の緑地かとかいったものもその大きな一つだと思います。海水の淡水化プラントを動かすのに電力が必要です。太陽光が豊富な砂漠地帯で化石燃料に頼らず動かすことができたら、砂漠を緑化出来ます。
 
 今のところ太陽電池のデメリットは見えてきませんが、盲進するのは間違いでしょう。砂漠の緑化にしても、人間の手をかけない自然が自律的に緑を保てるものが基本でしょう。

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 情報
 八月に入り、NHKの深夜など戦争中(太平洋戦争)の報道番組など多くやっています。あの戦争で多くの死者を出したのは、圧倒的な情報不足です。情報戦も、アメリカに負けたのです。戦争ばかりでなく、大災害で避難が遅れたり、その後暴動を起こしたりするのは、大きく正確な情報不足が関係しています。
 人間は、いつでも誰でも危機に対して正確な情報が与えられれば、正しい判断をします。これからの社会、自然災害はもちろん、温暖化による人間社会の大きな構造変化に対しても、賢く対応するんじゃないでしょうか、僕は楽観視しています。
 実際は、ガソリンがない、食糧が手に入らない、といった自分の生活に直結した危機に至らなければ動きません。かけ声だけで、遅々とCO2対策が進んでいなけど、身の危険を感じていないからです。
 マスコミの機能と電話とパソコンの機能を併せ持つ携帯電話の普及は社会構造の根幹を変えました。マスコミだけなら、情報をコントロールできたのですが、ここまで広まったインターネットをコントロールすることは完全には無理です。
 大切なことは、情報さえ正しく与えられれば、人々は賢く判断して、賢く行動すると言うことです。今後予想される世界的変化にも、賢く自らを変えて対応するだろと、僕は思っています。
 
 時々考えます。今の人類の文明で人々が文化的に豊かに、他の動植物に負担をかけない人口は5億人ぐらいだろう。短時間に氷河期の気候に戻ってしまう、温暖化の最悪気象シュミレーションも、長い親類の歴史からいったら、いいことかもれません。とにかく人類は増えすぎた、それが僕の素直な実感です。
 それと温暖化の悪いところだけ言われていますが、人類が文明を育んで来れたのは全て温暖な時期、悪いことだけではないはずです。総合的に情報を分析すべきです。
 
 半人前
 人生の半分行ったところで、僕の人生振り返ると、まあ「半人前」もしくはそれ以下です。確かに少しばかり自分の主義に反しないことはやってこなかったかも知れないが、一人の生活者としては落第です。
 今でもアウトローすれすれ、ワーキング・プアすれすれじゃ、落第でしょう。貧乏人はそれになれてしまうと楽なんです。金が無いと言うことでいろいろ責任を逃れることが出来るしね。ちょっとばかりそれに満足する怠惰さと、居直る勇気さえあればね。そういう自分が時々見えてしまいます。だからまだ半分しか出来ていない僕は「半人前」。
 
 昔、若い頃、日雇いの労務者と一緒に生活したことがあります。だめなんです。それに慣れてしまった人々には、回りには彼等を心配する団体や人々多くいるというのに、彼等が抜け出そうとする気がない、意志が弱い、そうなったことを他人のせいにする、自分を変えようとしない。明らかにみんな心の病気にかかっていました。そこで、二年付き合って僕は縁を切りました。
 当時左翼の思想に、彼ら最も最下層の人々が立ち上がれば革命が起こるという思想があった。赤軍派なんかの思想ですが、僕は最下層の人々の実体を見て、革命なんか絶対起こらないと思った。
 これから残りの半分取もどすため頑張らないと。

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 オリンピック
 マスコミはオリンピック一色である。オリンピック自体には余り関心はない。しかし、それ以降の中国には興味がある。遅れた国と言うコンプレックスを中国の指導者も中国人も自信を持ってほしいものです。強権的な当局の対応は、自身なさの裏返しなんです。
 まだまだ時間はかかるでしょう、報道の自由化や政治の民主化には。これから中国本土の人々にとって、台湾や香港の存在は大きいと思います。同じ民族がやっているシステム導入を妨害するものは中国人のうちにある、保守的なものだけです。
 四千年、五千年の伝統ある文化です。それらを現代の技術や文化として、現代の知恵として蘇らせたとき初めて、世界は中国を認めるのです。だからまだ半人前です。
 僕は国が大きい分だけ日本よりは混乱するかも知れないが、旧ソ連崩壊のような混乱にはならないと思うのだが。それを妨害する国やイデオロギーはないのです。
 僕が中国の最高指導者なら、とう小平の一国二制度の拡大、やりやすいところから自由化してゆく。更に特別チームを作り、暴動など起こり問題が深刻なところの問題解決にあたらせる。一番恐いのは地方政府の腐敗でょう。官僚の腐敗を最終的に無くすには政治の自由化しかありません。
 あと、大中国主義は時代に合わない。世界は狭まっているのです。チベットやウィグルは独立させたほうが良いと思うのですが、特にウィグルは、テロがこれから多くなると思います。力で押さえ込むほうのリスクのほうが大きくなると思いますし、独立したって、経済的には中国に依存せざるを得ないのだし、政治的リスクは避けるべきだと思うのですが、如何でしょうか。
 
 オリンピックの開会式少し見たけど、ちょっとまだ固いですよね、中国の現状でしょう。マスコミで取り上げた、「漢民族の子供たちが少数民族の衣装を着ていた。」問題もオリジナルの良さ判っていない。日本でも同じですが、根こそぎアイヌの人々の文化取り上げておいて、継承困難になってから、慌てて保護がどうのこうのと言い出す。少数民族こそ、巨大な中国の価値なんです。多様性の価値、世界中で携帯電話が通じたって、知れたこと。何千年と培ってきた伝統や文化の方が、比較にならないほど重要で偉大です。
 
 今年の夏は
 前半は湿気が多く夏ばて気味です。予定していた金が入ってこなかったり、なかなか気が抜けません。だらだら過ごす羽目となりました。木下での昼寝もどうも飽きたし、などと暇潰しに山のほうに車を向けたら、五日市にきれいな緑の公園を見つけた。(小峰公園)徳へ綱と頃でないのですが、たまたま僕が通りがかったとき、木漏れ日の加減が奇麗だったのです。そこの丘の上は風が涼しいし、人も余り通らないし、何より蝉時雨がすごかった。

 右耳。実は、蝉時雨を待っていたのです。今年は蝉がなかなか鳴いてくれない。うるさい程の蝉の声を聞いていると、右耳の聞こえ方が改善するのです。それで、そこで昼寝しながら、蝉の声を聞いていました。ずうっと色々試してきたのですが、聞こえずらい右耳を鈴で刺激したり、ヘッドホーンで音量下げて聞いたりとか、それで、日常生活には支障がないまでに改善したのですが、音の伸びとか、風が運んで来る微妙な音とかは、人口的な音ではだめ、最終調整は自然の音でないとだめです。ずいぶん良くなったので春頃から、蝉時雨を聞いたら、ぐ~んと良くなる予感があったのです。
 一週間、蝉時雨の下で、ただ蝉の声を聞いていただけで、良くなったと言うより、今まで全く反応していなかった、高音域の耳のセンサーが反応し始めたのです。この領域を左耳と同じ程度にすれば完璧です。聞こえてくるに従って、この領域じゃない音の響きがよりなり、繊細な音も更によく聞こえるようになるんじゃないかと思います。今ここまでやっと置けば、十年二十年後補聴器が必要な難聴にならずにすむと思います。

 体が悪くなるのは仕方ありません。大切なのはバランスよくです。左右バラス良く悪くなるならそれは仕方ありません。体は弱いところに集中的にストレスがかかり、そこだけが急激に悪くなります。体には自動補正機能がバランスが悪いことに普通気づかないのです。音の場合、聞こえない音を脳が想像して作って聞こえたようにしているのです。左で聞こえた音が右でも聞こえているようにしてしまっているので気づかない。三年前、耳と一緒に膝が痛くなった。右膝が急に痛み出した。こちらは、利き足じゃない左足を意識的に使うことで、一年で良くなった。これもバランス。時々利き手でない左手を使うようにしています。分かっていても忘れちゃうんですよね。

心霊写真じゃないよ。雨粒です。上が痴明 、下のダンサーは知らない。 

 カニ坂   藤野町の文楽は午後から雨が激しくなり、気が重くなったので出かけるのをやめた。お盆過ぎから雨が多い。
 カニ坂の祭りの方も雨。気が重かったが手伝いを約束していたので止めるわけには行かない。雨に濡れながら、照明係の準備をしていたら、元気が出てくるから不思議だ。イベントはお客として行くより、スタッフとして参加する方が板に付いてしまったらしい。 でも、翌日から仕事早々に引き上げてきた。

 有り難いことに八月下旬からは仕事が忙しくなりました。秋は頑張らなくちゃ。  
 

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