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梨棗なしなつめきみに粟あはぎ 延ふ田葛くず
     後も逢あはむと 葵花咲く         
万葉集
  この葵は寒葵で立葵とは別植物、双葉葵の仲間馬の鈴草科。


くやしくぞ つみをかしける あふひ草
   袖のゆるせる かざしならぬに    源氏物語 柏木


  葵は特定出来ませんでした。寒葵か双葉葵と思われますが。


鴨の子を 盥
たらいに飼ふや 銭葵       正岡子規



 

寒 葵              銭 葵





    こちらは双葉葵

   馬の鈴草科カンアオイ属でタチアオイとは
  名前は同じでも別の植物。
   京都の下鴨神社の神紋、徳川家の家紋で有名。








 立葵は中国から薬として渡ってきて平安時代頃までは「唐葵」と言われていたが江戸時代までには「立葵」言われるようになった。
 アオイ科とても広い科で和紙の粘着剤に使うトトロアオイ、その仲間のオクラ。銭葵。芙蓉。ハイビスカス。木綿。カカオ。ドリアンと人間深い関係の植物が多い。
 山葵はアブラナ科、葉の形が立葵に似ているので、葵の漢字を使うようになった。








立葵は6月15日の誕生花
立葵の花言葉は

大きな志、大望、野心
気高く威厳に満ちた美、 高貴

(黄)率直、開放的









  たちあおい   (はなあおい)     〔あおい科〕 
Althaea rosea Cav. 
 小アジア(または支那ともいう)の原産で、普通人家に栽培してその花を観賞する大形の越年生草本で高さは2.5m内外になる。茎は円柱形、緑色で毛があり、高く直立する。葉には長い葉柄があり互生し、円形で基部は心臓形、5個ないし7個に浅く切れ込み、ふちにはきょ歯がある。6月梅雨の頃葉腋に短かい柄のある大きな美しい花を着け、下から次々と咲き上り、こずえの部分では長い花序となる.小包葉は7~8個あり基部は互にくっつく。がくは五つに裂け花弁は5個、ラセン状に捲き,鐘形で上半は開出し、色は紅、濃紅、淡紅、白、紫などで、また八重咲もある。単体雄しぺの柱にはやくが密集し、花柱は1本で上部は多数に細かく分かれている。心皮は輪状に並ぶ。昔一般にアオイと呼んでいたのはこの植物を指していたことが多い。
 〔日本名〕立葵で花のついた茎がまっすくに高く立つことによる。〔漢名〕蜀葵。
-牧野植物図鑑-








 六月なると葵の花が咲き始めます。葵祭も徳川の家紋もこのタチアオイに関係していると思っていたのだが、全く別の植物とは驚きです。当たり前植物について知らない事が多いと改めて知りました。
 また、タチアオイの仲間にトロロ葵、オクラ、ココア、木綿、芙蓉、ハイビスカスなど、人間にとり重要な植物がたくさんあるのも、今回調べて分かった驚きです。 (ま)


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参考として双葉葵の牧野の解説も入れておきました。
 牧野さんは寒葵や双葉葵に葵の漢字は間違いと言っています。大和言葉の方から見れば、寒葵や双葉葵は固有種で「アオイ」と呼んでいたわけで、後から入って立葵の仲間は漢字そのものを「アオイ」と呼ばなければ良かったのかも知れません。でも混同してきた歴史の方が重要です。植物学の方がごく最近の知見ですから。


  ふたばあおい (かもあおい)     〔うまのすずくさ科〕 
Asarum caulescens Maxim. (=Japonasarum caulescens Nakai) 
 山中の樹かげにはえる多年生草本。茎は多肉で平滑な円柱形、汚紫褐色、径5mm内外、地上を横たわり、長い節間と2~3の短い節間とが交互し、下面からは細いひげ根を出す。春、茎の先端に2~3の鱗片が互生して、扁平な芽となり、のちに芽の中から長い1本の茎がのび先端に2枚の葉が接近して互生する。葉には長い柄があり、直立し、散毛が立つて生え、葉身は心臓状腎臓形、長さ4~8cm先端は短い尾状で急に尖り、基部には半円形の両耳があって深い心臓形となり、全縁であるが長い毛が列生し、薄質である。葉間に柄のある花を1個下向きにつける。花は淡紅紫色で径1cmほど、子房下位で子房とともにがく筒の外面には巻縮毛が生える。がく筒はわん形で内部は平滑,隆起は全くない。がく片3個は無毛,強くそり返えりがく筒の外側をおおっている。花柱は合して単柱状、先端は分裂して6個の柱頭となる。おしぺは12個、花糸は長く、外方へ曲がっている。
 〔日本名〕双葉葵は1株に必ず2葉が出るからである。また一名カモアオイは京都加茂神社の祭礼にこのアオイを用いるからついた名で、徳川家の紋章はこれにもとずいたものである。しかし葵の字をこれに用いるのはあやまりである。
-牧野植物図鑑-

 そして、、、出世するアオイ。
 元々アオイは控えめな花です。都が京都に移る前からあった、土地神の神紋だったのです。恐らく神社の近くがアオイの群生地でだったので、土地神の植物として当然だったのだろうと思います。
 それからアオイは出世コースを歩むわけです。土地神はこの土地が都と定るや、都を守る守護神と出世し、アオイも霊験あらたかな植物と誰もが知る存在になったのです。疫病退散のお祭りが始まるとその代名詞となったのです。源氏物語に書かれ、時代が降り徳川氏は都のアオイの力にあやかりたいために、家紋にしたのです。徳川氏が権力の中枢につくと、権力そのものまで出世することになるのです。
 奈良時代頃日本にもたらされた、アオイ科の植物は、日本原種の馬の鈴草科のアオイ、双葉葵などと、葉の形が似ているなど理由で、同じ「葵」の漢字が使われ、同じ仲間の植物と考える様になるのです。外来のアオイ科の植物は華やかな花を付けます。元々控えめで地味だった葵は、霊的な植物となり、権力も表し、更に華やかさまで兼ね備えることになったのです。

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