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枇杷黄なり 空はあやめの 花曇り
        山口素堂
(1642-1716)

枇杷の 花咲くや揚屋の 蔵の前
        太 祇
(1709-1771)

枇杷の 花鳥もすさめず 日くれたり
        蕪 村
(1716-1783)

輪番に さびしき僧や びわの花
        召 波
(1727-1771)

職業も 分らぬ家や 枇杷の花
        正岡子規
(1867-1903)

枇杷積んで 桜島より 通ひ舟
        伊藤柏翠


   枇杷は夏の季語で、枇杷の花は冬の季語です。






桃栗三年 柿八年 枇杷 (は早くて) 十三年






 仏教の経典の「大般涅槃経」の中で、ビワの木は「大薬王樹」ビワの葉は「無憂扇」と名付けられ、優れた薬効があると伝授され古くから知られている。

 その薬効は、ビワ葉の中にあるアミグダリンという成分。ガン細胞を正常に戻す働きがある。ガンに限らず、日常のさまざまなケガや病気に有効。

 高血圧予防、動脈硬化予防、脳梗塞予防、心筋梗塞予防、がん予防、アンチエイジング(老化防止)、風邪予防、など。








び  わ     Eriobotrya japonica Lindl.     〔ばら科〕

 四国、九州の石灰岩地帯に野生はあるが、通常果樹として広く我培される。常緑性の高木、高さ10m内外、枝は開出し、樹冠は円形となる。若枝は淡褐色のラシャ状の毛を密にかむる。葉は互生し、大形の長楕円形あるいは倒皮針状長楕円形で、長さ15~20cm、鋭頭、基部はせまいくさぴ形で短い葉をもち、ふちには低い波状のきょ歯がある。表画は暗緑色、はじめは有毛であるが、後には無毛となり多少光沢があり、葉脈は凹み、葉身部はふくらむので表面は凹凸がある。裏面は淡褐色のラシャ状の毛を密生する。葉質は厚くてかたい。秋の終りから冬のはじめにかけて、長さ5~6cmぐらいの小平に分枝して開出した三角状の円錐花序を枝項につけ、白花を開く。中軸、花柄、がく片ともに淡褐色のラシャ状の毛につつまれる。がく片、花弁ともに5、芳香を放ち、翌年の夏になって球形の梨果が黄色に熟して食ぺられる。果実表面には綿手があり、に大形の赤褐色の数個の種子がある。茂木ぴわは果実が長く、田中びわは唐びわの一品種であって果実は大きく径4cmぐらいある。しばしば葉は民間薬として用いられる。
〔日本名〕漢名枇杷の音読みである。枇杷は楽器の琵琶(ぴわ)に似てしるので名付げたとされているが葉形か果実の形のいずれが似るのかがはっきりしない。
-牧野植物図鑑-







  枇杷の花は11、12月頃の花で1、2月ではないけど、花が少ないしこの時期、少し広げて、冬に咲く花として入れました。また、今薬草として注目していることも入れた理由です。(ま)


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ビワの仏教医学
  3000年の歴史をもち古来から伝承されている、ビワの葉療法とは、緑の濃い厚手のビワの葉の光沢のある面を焦げない程度に火にあぶり、2枚合わせて10回ほどすり合わせて、1枚ずつ両手にもって熱いうちに皮膚を直接なでます。腹部やへそ下を6~7分丹念にマッサージします。
 これは、ビワ葉には、アミグダリンとエムルシンとが含有されていて、葉の表面を火であぶることにより、相反応して微量の青酸が発生して、それが皮膚を通して吸収されて、甚大な効果を発揮すると考えられています。


枇杷葉湯
  江戸時代には「枇杷葉湯びわようとう」として、庶民の夏の暑気払に盛んに飲まれていました。
 「枇杷葉湯びわようとう」は、ビワの葉に、肉桂にっけい、霍香かっこう、莪述がじゅつ、呉茱萸ごしゅゆ、木香もっこう、甘草かんぞうの7品目を同量混ぜ合わせて、煎じて作ったものです。
 てんびん棒を肩に「ご存知本家天満難波てんまんなには橋朝田枇杷葉湯びわようとう・・・」と売り歩くさまは、浪花や江戸の風物詩だったようです。


肉桂(にっけい)シナモンの日本名
霍香(かっこう)シソ科のパチョリの全草または葉。
莪述(がじゅつ)ショウガ科の多年草です。薬として使うのは根っこの部分です。
呉茱萸(ごしゅゆ)蜜柑科。この実は胃腸薬、利尿薬に使われる。
木香(もっこう)キク科の植物。根は木香(モッコウ)という日本薬局方に収録された生薬であり、芳香性健胃作用がある。
甘草(かんぞう)マメ科カンゾウの根を乾燥したものでグリチルリチン,配糖体などを含有します。鎮痛、抗炎症、胃痛、鎮咳去痰、解毒、十二指腸潰瘍などにすぐれた効果をあらわし、かぜ薬にも用いられます。


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びわの種類

茂木
(もぎ)
西日本におけるビワの代表はこの「茂木」です。江戸時代に長崎の代官屋敷で奉公していた女性(三浦シオさん)が、中国商船から持ち込まれた「唐枇杷(中国原産の枇杷)」の種子を茂木町の自宅の庭にまき、そこから広まったといわれています。果重は40~50g程度と小ぶりですが、甘みはやや強めで酸味は控えめ。主な産地は長崎や鹿児島、香川などで5月~6月頃がシーズンです。
長崎早生
(ながさき
    わせ)
早いものは1月頃に出荷されるという「長崎早生」。寒さに弱いためハウス栽培されることが多く、露地ものに比べると2ヶ月ほど早く店頭に並びます。果重は 40~60g程度で糖度は比較的高く、みずみずしく上品な味わいです。この品種は「茂木」と「本田早生」の交配で、1976年(昭和51年)に登録されています。
田中 1879年(明治12年)頃に植物学者である田中氏が、長崎で食べたビワの種を東京に持ち帰り、自宅にまいて育成したのが始まりとされています。果実は釣り鐘形で、果重は60~80g程度と茂木に比べるとやや大きめ。甘味は強く、酸味も適度にありバランスのとれた品種といえるでしょう。シーズンは6月頃です。主に愛媛県や千葉県、香川県や兵庫県などで栽培されています。
大房
(たいぶさ、
  おおぶさ)
ビワ栽培が盛んな千葉の富浦町で多く生産されている品種で、大きいものは100g前後もあります。「田中」×「楠」として誕生し1967年(昭和42 年)に命名されました。寒さにも強く、「ビワ栽培の北限」といわれている千葉でもよく育ちます。酸味が少なくほどよい甘みで果汁も豊富です。旬は6月で、「房総びわ」としても流通します。
瑞穂
(みずほ)
1936年(昭和11年)に「田中」×「楠」として誕生した品種。ほどよい甘みと適度な酸味があり、食味の良いびわです。サイズは100g前後と大きく、果皮は淡いオレンジ色で、薄い緑色の小さな斑点が出ることもあります。主産地は千葉県です。
白茂木
(しろもぎ)
果皮と果肉がやや白っぽい黄白色をした品種です。長崎県果樹試験場で「茂木」の種子に放射線を照射し、突然変異を誘発して作らたもので、1982年(昭和 57年)に品種登録されました。果形は卵形で果重は40~60g。肉質はやわらかく多汁で、糖度と酸味のバランスもよく調和されています。6月中旬頃から出回ります。
土肥
(とい)
静岡県土肥地域の特産の白いビワ。1877年(明治10年)に中国から持ち帰ったビワの種から誕生しました。果重は30~40gと小粒で食べられる部分は少なめですが、白く繊細な果実は香りがよく美味といわれています。収穫時期は5月下旬頃から。ただし風雨に弱く傷つきやすいため、市場にはあまり出回らず、お酒やゼリー、ジャムなどに加工されることが多いようです。
涼風
(すずかぜ)
「楠」と「茂木」を交配して誕生し、1999年(平成11年)に登録された新しい品種です。糖度が高く酸味が少ないのが特徴。果重は50~60g前後で6 上旬頃に出荷されます。また、同時に品種登録された「陽玉(ようぎょく)」は「涼風」よりも一回りほど大きく、甘さと酸味がほどよく調和した品種で、こちらも6月上旬頃に出荷されます。このほか、やや大きめで早熟な新品種「涼峰(りょうほう)」や、やわらかくて甘酸適和の「麗月(れいげつ)」なども登場しています。
希房
(きぼう)
2004年(平成16年)に千葉県農業総合研究センターで誕生した新品種の「種なしビワ」です。ビワといえば大きな種がゴロリと入っているのが当たり前ですが、この「希房」は邪魔な種がなく、実の多くを食べることができます。ただし生産数が少ないので、あまり見かけることはありません(※2009年現在)。親は「田中」と「長崎早生」です。
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