No73 No75 No74 top pre next

~ 第二回 Open Art Festival  四川, 中国(2001年 8月) 参加報告 ~   

Happy Japan!                      

荒井真一

 私(42歳/独身)は8時30分に起き、8時50分に家(60000円/月=6m x 8m、電話代5000円/月、光熱水費10000円/月、1元=15円、100円=6.7元)を出る。自転車で10分、駅前の駐輪場(2500円/月)にとめる。切符(400円)を買い、中央線快速で中野に向かう。ラッシュアワーは過ぎているとはいえ、新聞を広げて読むことができないくらい混雑している。20分して中野で地下鉄東西線に乗り換える。地下鉄は始発なので座ることができる。20分して今日の職場である出版社に着く。コンピュータ雑誌の誤字脱字、内容をチェックする(20000円/日)。昼は近くの定食屋で刺身定食(800円)、煙草(250円)とお茶(120円)を買う。6時に仕事が終わる。事務所に携帯電話をする(5000円/月)。明日は仕事がない。本屋で少し高いが前から欲しかった「コンセプチュアル・アート」(4400円)を買う。葡萄舎という馴染みの飲み屋に行く。ワイン(2400円/ボトル)をとる。仕事上の不満、世間のパフォーマンスアートへの不理解を愚痴りながら泥酔する。12時半、5000円を払い終電(450円)で1時間かけて帰る。終電は私のような酔っぱらいがいっぱいだ。当然座ることはできない。

 私はアーティストだと言いながら、実は普通のサラリーマンのように満員電車に押し込まれて仕事に出かけ、金を得ているのだ。ただ、彼らと違うのは月に5日から20日と働く日数が不安定であり、それを自分自身でコントロールできない点だ。

 私が「Happy Japan!」で着ている制服は海外青年協力隊のものだ。海外青年協力隊は40歳までの男女を2年間いわゆる開発途上国に派遣し、日本語や自動車の修理、農業を教えたり、コンピュータシステムの構築などにかかわらせたりする、国家が後押しする組織だ。中国にも地方を中心に日本語教師、農業指導などの職種で多くの若者が派遣されている。私は1992年-1994年東アフリカ、タンザニアの新設美術学校で版画を中心に美術を教えていた。この組織に参加するためには試験を受け、約3カ月の合宿訓練に参加しなければならなかった。私は仕事を手配する事務所や両親・友人に2年間タンザニアに行くことを告げ、自宅の借家を整理し友人に2年間住んでもらうことにした。大家にもそのことを了承してもらった。つまりすでに日本を離れることを前提に合宿に参加していた。合宿が終わってから出発まで10日ほどしかなかったためもあった。訓練の最後に協力隊の総裁である天皇に「拝謁」する行事があった。私は自分の考えをまげて他の隊員多数とともに天皇に「拝謁」した。「拝謁」に参加することを拒否して、そのことが原因で海外青年協力隊に参加できなかった場合、法的に戦うことはできた。しかし、まったく別の原因(たとえば健康や訓練中の態度)で参加させなくするという脅しを訓練所の教官たちから受けたからだ。つまり私は協力隊行きを断念することでこうむる、仕事に復帰できない、友人に迷惑をかける、両親などに恥ずかしい、裁判は面倒だという気持ちを、天皇に「拝謁」したくない気持ちよりも優先させたのだ。

 私が「Happy Japan!」で口に詰め込んでいく小林よしのりの漫画「戦争論」は、発売されて2年以上たつが現在も若者を中心に100万部近くを売り上げている(小林は現在問題になっている教科書を作る会の重要なメンバーでもある)。日本軍は朝鮮・韓国そして、東南アジアの女性たちに性的なサービスを行なわせるため、無理やり引き連れていた(軍の言い方では従軍慰安婦)。彼女たちは日本軍の性的奴隷そのものだった。しかし、小林よしのりの漫画では、彼女たちはその行為により報酬を得ていたのだから、ただの売春婦だった(つまり、日本軍は彼女たちに対して罪を犯していなかった)と主張するのだ。私はこの主張に彼女たちへの共感を欠いた、とても冷たい自分勝手さを感じる。しかし自分はというと、現在の天皇を総裁とする海外青年協力隊という、日本文化を押しつける「平和な軍隊」ともいわれる組織に参加し、タンザニアの酒場で日本円の強さを暗黙の了解にして、多くの女性たちに酒をおごり、ちやほやされ、いい気になっていたのだ。

 私は小林よしのりに熱中する多くの若者たちが、歴史の事実をねじ曲げる保守・右翼論者たちに耳を傾けるのは、それが自発的であるだけに危険だと思っている。

 しかし、これについても私自身が25年前に、まったく逆の形で経験したことだった。

その頃、高校で習う歴史に疑問を抱き、社会の矛盾に悩んでいた私は、羽仁五郎というマルクス主義歴史家の著作に影響を受けた。1975年頃は70年にピークを迎えた日本の左翼的学生運動が衰弱していく過程にあったが、その中で羽仁は独自のマルクス主義歴史観で左翼的学生運動を鼓舞していた。その頃彼は学術書よりも、その歴史観を展開した社会批評を多く著し、大学などでの講演活動を精力的に行なっていた。彼は「日本のいろいろな問題はすべて資本主義体制に原因を持っている。それを解消するには社会主義、あるいは共産主義の社会に変革していかねばならない」そして「どんなにスターリンが多くの罪のない人々を粛正したといっても、現在の日本よりもソ連のほうが住みやすい。また中国の文化大革命は民衆による政治への直接参加の実験であり、素晴らしい。ともかくどのような点においても社会主義は資本主義よりも優れている」と繰り返し語っていた。私は、社会主義という考えに初めて接したために圧倒された。そしてどうしようもない日本の現実と比べて、彼の語る社会主義国を夢のように思ったのだった。

 そのため、その後長い間中国、ベトナム、カンボジア、ソ連、東欧諸国、北朝鮮などの社会主義国の、または関与した国際事件に対しての報道が資本主義国(西側)の通信社によって行われている虚偽のものだと考えていた。たとえばカンボジアでのポルポト派の大虐殺も西側によって大げさに報道されていると漠然と考えていた(つまり、社会主義の国ではそこまでひどいことをしないだろう。それは西側が社会主義を悪く見せるために行った報道なのだろうと考えていたのだ。事実ベトナム戦争、キューバなどについては西側による虚偽の報道もあった)。そして社会主義国で行われていたことをいろいろな角度から考え、そこに住む民衆がどういう気持ちで生きていたのかについて想像することすらしなかった。80年代の終わり、東欧諸国の革命が始まって、やっと社会主義と資本主義(左-右あるいは東‐西)という構図を外して、民衆の立場、つまりもし自分がそこにいたらどうだろうという視点で考えられるようになってきた。

 だから、私は小林よしのりを支持する若者たちに「君たちは保守派に騙されている。そういう考え方は日本国内の外国人には敵対し排除しようとし、国際関係については日本の考え方を他国に押しつけ、お互いの立場を考え合うことを拒否することになり危険だ」と言っても簡単に聞き入れられないであろうことは、わかっている。私自身がかつて新聞報道でさえも右派による虚偽の報道だと思っていたのだから。では、彼らとどう向き合えばいいのか? この状況に対してどう発言できるのか? インターネットの掲示板で彼らと論争すべきか? 新聞や雑誌に私の意見を投稿すべきか? 彼らの動きに反対する市民運動に参加すべきか?

 2000年12月20日朝のことだ、「結論から言うと、今回中国人のビザは出ないということです。その理由は一切言えません。担当官の決定です。中国人には後日連絡が行くでしょう」と外務省の係りは初めてはっきりと言った。電話の前で呆然とした。明日は彼らの来日というのに、とうとう最後通告を突きつけられたからだ。エアチケットはすでに送り、中国の友達とともに毎日毎日ビザが下りるのを待っていたが、あまりに出ないので、ここ一週間毎日のように外務省に電話をかけていた。しかし、いつもはっきりしない返事だったのだ。

 舒陽と陳進は私が実行委員のひとりであった2000年の12月23、24日のイベント「Perspective Emotion 3」1998年、1999年開催。向井千恵主宰)に参加するためにビザを申請していた。彼らがアーティストとしてのビザを取るためには、私たちの「Perspective Emotion」がしっかりした団体であることを日本国に認めてもらう必要があり、今回は時間がなくその方法を採れなかった。そのため私が個人的に中国の友人を呼ぶという形のビザにした。私は招聘保証人として

1.彼らの来日の目的と、その詳細な日程表、および来日中の保証人となることへの同意書
2.彼らとどういうことで知り合いになったかの経緯書
3.写真、手紙等友人関係を証明するもの
4.中国に行ったことがあるのならば、そのパスポートのコピー
5.課税証明書
6.住民票

 以上の書類を舒陽と陳進を通して中国の日本大使館に提出しなければならなかった。

もちろん舒陽と陳進は彼らの必要書類を作成して提出した。5についていえば、わたしの課税証明書での所得は140万円ということだった。以前日本に中国の友人を呼んだ友達は「荒井君、500万円が相場って話だよ」というので、外務省に確認した。額は関係ないが多いに越したことはないというニュアンスだった。そこで、サラリーマンの友達にも保証人になってもらい、彼の課税証明書もつけた。というのは「Perspective Emotion」の実行委員には私よりも多く税金を払っている者はいなかったのである。

 なぜ、これだけの書類を用意してビザが取れないのか? 一週間の電話のやり取りで見えてきたことは、外務省は中国人にビザを出したくないということだった。これは中国だけでなく、ビザの申請に日本人側の招聘保証人を必要とする国すべてがそうなのである。少なくとも欧米人の来日には観光ビザであれば、日本人側の招聘保証人など必要としない。係りの人間は事務的に「ビザの発行は今回難しそうだ」と言いながら、私が執拗に食い下がると「中国人が簡単に日本に来日するようになると、どういうことになるか不安でしょう。それで、私たちも審査を厳しくしなくてはならないのです」と何回も言うのであった。しかし、これほど条件を厳しくしておいて、まだまだ「簡単に」来日できるというのだろうか? あるいは貧乏日本人は中国の友達を呼んではいけない、貧乏日本人は中国人の不法入国の手伝いをするとでもいうのか?

 陳進には、その3カ月後フィンランド・ヘルシンキの「EXITフェスティバル」(Roi Vaara主宰)で会った。私が陳進に「フィンランドのビザは大変だった?」と聞くと「No problem」と笑っていた。

 その後、2001年春外務省の機密費が問題となった。機密費は会計監査を受けないお金で、外務省の責任者がそれをいいことにして何年にもわたって何億円もの金を自由に使っていたというのである。彼の個人的な犯罪のように処理されたが、実際には政治家も絡んだ外務省の組織的犯罪ではないかといわれている。外務省は日本より貧しい国の人々を犯罪者ではないかと恐れ、理由を開示せず、一方的にビザを発給しない。それを彼らは国益を守ることだと言っていたのだ。しかし、書類が完備して保証人もいる人々すべてにビザを発給したとしても、彼らの仲間が犯していた罪以上のことを、つまり国益を損なうようなことを、来日した人々がやるとは思えない。むしろビザが発給されなかったことで、外国の友人との信頼関係がややこしくなり、日本を悪く思う人々(その多くが近隣諸国である)が増えることのほうが国益を損ねると思うのだ。

 結局、私はパフォーマンスを続ける。観客はいつも少ない。しかし、こうやって豊かで、民主主義が成熟し、表現の自由があるといわれる日本で、ただ、こう叫ぶしかないのである。

「Happy Japan! Happy Japan!」と。


(私、ムトウに送られてきたmailの前文)

 前略。

 私は8月12日-16日まで第二回Open Art Festival 四川, 中国(実行委員 陳進/CHEN Jin、朱冥/ZHU Ming、 舒陽/SHU Yang )というパフォーマンスアートフェスティバルに参加してきました。第一回の昨年は北京で行われ、警察の介入を受けました。

http://www.asahi-net.or.jp/~ee1s-ari/bipaej.html (日本語版)

 

 今年は多くの参加アーティストが北京から一緒に30時間の汽車の旅で四川へと向かいました。北京から離れていたためか今回は無事に終了できました。
 また、前回は3人だった中国外のアーティストも、13人に増え、真に中国唯一の国際パフォーマンスアートフェスティバルになったようです。
参加作家は

Skip Arnold (米国), Anita Cahill (アイルランド), CHEN Jin (中国・北京),
DAI Guangyu(中国・成都),Jozsef R. Juhosz (スロヴァキア), Miriam King (英国),
Myriam laplante(カナダ), Eric Letourneau (カナダ), Lennie Lee (英国),
LEE Wen (シンガポール),LI Qiang (中国・北京) , System HM2T- Helge meyer & Marco Teubner(ドイツ),
Despina Olbric-Marianou (ギリシャ), Beate Roning (ドイツ), SHU Yang (中国・北京),
SONG Yongxing (中国・成都), TIAN Liusha (中国・広州), YIN Xiafeng (中国・成都),
YU Ji (中国・成都), ZHU Ming(中国・北京), ZHU Yu (中国・北京), 荒井真一 (日本)               

です。

 このフェスティバルの非公式webを作りましたので、どうぞご覧ください。

http://www.asahi-net.or.jp/~ee1s-ari/sichuanj.html(日本語)

 また、このメールの末尾に「Happy Japan!」という文章をつけます。これは実行委員の1人 舒陽/SHU Yangが編集をする中国の新しい美術月刊雑誌「新潮--NEXT WAVE」(今年7月創刊)の求めに応じて書いたものです。日本では発表のあてはありません。みなさまのご意見をお聞かせいただければ、幸いです。            

No73 No75 No74 top pre next