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      ナナフシの散歩道
            一人太極挙
 
たむらななちあん
田村七痴庵
 
 
 三月四日(水)
 S先生からPET検査の緒果を聞く。イイデスヨ、手術可能の期待が強まる。都立K病院に所見をもって診察していただくこととなり、それにあわせて富士山のみえるO病院からいっとき退却、もとい、退院させていただくこととなる。
 
 三月五日(木)
 午前中、「キムラさんというかたがご面会です」と看護師さんが部屋をのぞいて声をかけてくれる。ハイ、どうぞ。でも、どこのキムラさんだろう、古本屋のキムラさんなら、あの人、美学校ならあの人、ストイケイオンならあの人、「こんにちわ」と七月堂の木村栄治さんだった。このヒトの下で一年問、ワタシは七月堂古書部という名の古本屋さんをやったんだ。つまり、一年間の戦友。聞けばここで、木村さんも漢方薬をもらってるんだそうだ。同病とは間いていたが、ここでも戦友、イヤイヤ、木村さんは食道がんかかえて四年の大先輩。しかも、酒も煙草もひきつれて、というから大怪人だ。東北話で盛りあがる。
 
 三月六日(金)
 都立K病院の予約が三月十一日午前九時半にとれる。ということで十日に退院、その前の七日、八日は、久しぶりの帰宅。病院側からみれぱ、外泊ということになりマス。
 
 三月八日(日)
 病院ではないので久しぶりに怠けてる気分で九時までベッドの中。T書林さんより電話。よく帰ってるってのがわかったなァ、土曜日おみまいに行ったんデスヨ。わぁすいません。コノゴロ俳句をナサルというから、句集をもってきてくれたらしい。アリガタイ。朝のうちに「月曜倶楽部」用目録をちゃっちゃと製作。昨日所沢で途中下車。「彩の国古本まつり」で、久しぶりに古本の山、彩の河原で、拾ってきたもの。昼食がわりのホットケーキは妻の手づくり。午後は、このために外泊帰宅したんでおます、の確定申告書類整埋。
 夕方、三人で、チビが四月から通う、東大に一番近い中学校付近をぶらついていると、山極勝三郎博士のお住まいが、ここでアリマシタ、という表示板。山極勝三郎博士というのは東大の先生で、ウサギの耳にタールをぬって、がんをつくったという、ウサギにとってはメーワクなタールがんの実験で有名、トハ、モチロン表示板の説明を読んで知りました。なるほど、今目の夕食はウサギ鍋、は出来ヌから、あんこう鍋にしませう。
 
 三月十日(火)
 一月二十日入院以来五十日。お世話になったO病院の道場で、しばし別れの太極拳。あなたに会えてよかった。
 
 三月十一日(水)
 妻と二人でバスに乗って、都立K病院におもむく。O病院からの紹介状と、CTフィルムを小脇にかかえて、めざすは食道外科。
 フィルムをにらんで沈思黙考する先生。切歯扼腕とはチョと違うか、固唾をのんで待つ二人。キンチョーの中、やつてみましょう、その前に検査をさせてください。うーん、なんだか重い木の扉があくような音がしたかな。
 入院の連絡待ちの手続きののち、ちょっとおそい昼メシは病院内食堂でいただく。何だか大学の学食みたいだなア。ワタシは今日の定食、妻はカッサンド。
 
 三月十二日(木)
 朝から、病院帰りでたまったセンタクをしつつ漢方薬を煎じる。先煎じといって、貝がらのカケラのようなものを先に煎じたりするので、一日分を煎じるのに一時間半はかかる。
 途中、センタクモノを干しつつベランダで、太極拳の八段錦を演じる。演じるって誰も見てねえヨ。煎じおわった漢方薬をポットに注ぎ、智能功のCDをかけ、目をつむって三十分演じる。だから誰も見てねえんだって。
 
 三月十三日(金)
 毎回呼んでくれるM田さんの本の整理の件でうちあわせ、自宅と事務所ともう一力所、三力所をつないだルートを、M木さんの車で回ってもらうこととする。M田さんと、M木さんで、さながらM資金だな。
 夕方買い物をかねて散歩。本屋さんで、つげさんのちくま文庫新刊に手が伸ぴる。『苦節十年記/旅籠の思い出』。今夜はオイっこがやってくる。刺し身の盛りあわせで盛りあがるとするか、いや、オイも含めて、酒はナシなんですが。
 
 三月十四日(土)
 オイっこといっしょに南部支部入札市が開かれている五反田へ、久しぶりの面々にアイサツ。元気そうじやないのォ、元気なんですよォ、がんだけど。オイっこは五反田初見参、みんなに招介、あとはまかせて地下鉄へ。
 夜九時頃、0病院同室だったF氏より電話あり。タムラさんがいなくなって、体調が悪くなっちやった。そんなこと言うなよオ。
 
 三月十五日(日)
 T書林さんのおみやげの句集のうち、やっぱりシロートにはこの『久保田万太郎句集」ってのがいいようでゲスなア。
 花曇かるく一ぜん食べにけり。なんてこたないのがいいよなあと思いつついくつか。
 春泥も石蹴りの子もなく道かわく
 すぐ彼岸友が見舞いの万太郎
 などと思案中に、もうすぐ卒業のためか、チビの友人男女二名ずつ四名が遊びにきてくれた。追いだされるかたちにてベランダに、しばし、一人太極拳。おとなりのドアがあき、外出のお二人から、アラ、太極拳ですかア、と声をかけられる。は、ま、そのような。
 
 三月十七日(火〉
 都立K病院から明日入院してくださいとの連絡が入る。さっそく妻に連絡、会議中。
 
 三月二十一日(土)
 九時外出。以前入院していた大きな病院に今回手術の為の参考資科として、わたしの画像を借りにうかがう。第三内科外来にてうけとったあと、前の神社に参拝。境内にていいかげんな太極拳を奉納。智能功の一部も奉納。
 本屋さんが開店準備中。どうぞと誘われて買わんわけにいかんじゃないか。おお『ボン書店の幻』もまだ特別扱いじゃ。おっ坪内祐三さんの新刊『人声天語』がアル。よかったなア。里見清一『偽善の医療』もいっしょにいただく。散歩コースにやなか銀座に向かってみるとおお、まるで巣鴨か浅草か。スゴい人出だ。そそくさと病院に帰る。
 
 三月二十二日(日)
 実はこの病院からも富士山が見える。ワタシのお部屋は十三階。角の患者が集まるロピーから、ドーン。今日は東京マラソンだ。0病院の太極拳の先生も、今日は完走予定で参加のハズなんだが、三万人だからねえ。
 
 三月二十三日(月)
 骨シンチグラム(R1)検査。ワタシの担当看護師さんは、イノウエさん。胃の上って食道だよなア、このギャグが使いたいのだが、中々うまく切り出せない。困ったもんだ。
 
 三月二十五日(水)
 外泊許可をいただき自宅に一泊、自宅でも外泊トハこれイカに、だナ。それも本日のチビの卒業式への参列のタメ、卒業証書授与式ってんですか、六年間ありがとうございました。卒業生は二十三人。一人一人が抱負をのべて、卒業証書を受け取る。途中で空から涙雨、雨音を聞きながら、今こそ別れめ、だ。
 病院に舞い戻り、今日の検査は上部消化管内視鏡検査でアル。食事は昨夜の午後九時まで、今朝からは飲マズ食ワズで、点滴をつける。検査室に入って型通りのジンモン、コップの薬を飲んで「マズイ」とこぼすと「病院でオイシイものなんてないわよオ」と看護師さんにイッカツされる「いや、マアマアのものはアル」「そうね、お食事とかね」じゃ、そこのイスにすわっててね。順番に従って、のどの奥に薬剤をフンムされる。二回。この前、わたしはマゾってったヤツですが、今回はここからが違う。ベッドに横たわり、ツバを飲んじゃイケナイよ、だらだら口から出しなさい、と教えられ、あ、先生がきたなあ、点滴のヒモしごいてるみたいだなあ。「四でいこうか」四ってなんだろうなあ、とマウスピースを口に入れられ、それをかみしめ。……「おわりましたよ」と声かけられるまで、まったく記憶がない。ウーン、まったくないってのも味気ないもんだよなあ。
 
 三月二十六日(木)
 夕刻、妻とわたしと主治医の先生、スタッフの先生、4人で集まり、検査の結果を聞かせていただく。結論としては、現在の状況では手術は見送りましょうということ。やってやれないわけではないが、無理をするにはリスクが大きい、ここまで小さくなったのだから、もう少し小さくしてから手術しましょう。小さくなるもんですか、なりますとも、ここまで小さくなったんだから。おっしやるとおり、検査の結果、食道も見た目は本当にキレなんだから、オドロく。わかりました。つぎにくる時は手術台の上のミシンとこうもりがさじゃあ、コノ人ハ何ヲ言ッテルノカネ。
 
 三月二十七日(金)
 都立K病院退院。結局九泊十日の検査入院であったが、成果があったということがわかった、という成果もあった。これからなを、養生という楽しい生活がつづく。病室にかざっていたG画伯がおくってくれたおみまいかけじくをぐるぐるとかたづける。コレ何ノ絵?たずねてくれた看護師さんがいました。ウーン釣りをしていると古本が釣れた、という絵みたいですねエ。
  
 
『彷書月刊』2009年 5月号より

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