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風楽草子   2009 正月
 
 
 ブラジルのお正月は夏休みの真っ只中だ。家族親戚一同が集まるのはクリスマスイブ、それも過ぎるとそれぞれが思い思いの時間をすごしている。
 今年は私がこちらに移住して十五年目。とうとうこの十年は日本に帰る事が無かった。さすがに大きな変化もままあり、日本からは親しかった方々や親類の方たちの訃音もうけとった。しかし世界的に次々に起こる大きな変動に驚きながらも、ここの生活は平穏であったかも知れない。そして今年の冬休み(日本の夏休み)には今度こそは家族を引きつれて帰郷したいものだ。恩師や友人知人そして兄弟にまで余り音里なくきてしまった。さぞ浦島太郎になっただろう。でも案外人の心は変わっていないと感じるかもしれぬ。
 
 
 私のこれまでのブラジル生活は、子供達の成長力に支えられながらシサとともに家庭を築いてきた事に尽きる。いまから思えばそのために私たちは日本を離れざるを得なかった。そして八年前にサンパウロ郊外の山中に林のある家を買い、大学の講師などをしながら庭に稽古場を建設し始めた。そして昨年十月,風舞妙韻(風楽の公演)「旅人」を終えたあたりで一つの時期が終わり次の展開に入っていると思えてきた。
 
 
 気がつけばどうやらこの土地に足が着き、言葉の障害も和らぎ多くの人とともに苦楽を共にして仕事をこなしている。大学の責任の重い務めも任され、公的にも税金を払いながら煩雑な手続きの末にプロの芸術家として登録されて助成金も受けることになった。十五年前に描いていた夢はもしかしたらこうして実り始めているのかも知れないと。
 ある友人の評論家が公の場で「トシ、あんたは文化の耕作者よ」と言ってくれた。昨年は日本人移民百周年を向かえ多くの日本人達がこの土地で農業の開拓民として働いた事が評価されており、それに準えたのだろうか。しかしその言葉は有難かった。
 
 
 かつての数多くのブラジル移民がそうであった様に私も大きな夢を抱いてやって来た。それは生命としての文化交流、すなわち「風」だ。
 人から見れば私の現実は要するに日本で食い詰め赤子を連れて女房のお里に都落ちして足掛け6年もマスオさん状態が続いたことになる。その頃のどの写真も確かに私は翳った冴えない表情をしているけども、私の性格なのかそれはそれで成り行きに任せ、むしろ夢を信じて生きる事が出来た。時にそれは周りの人を呆れさせることになっただろうが、目先の現実を追ってアルバイトで繋いでも食い詰めて家庭が破局仕掛けたけたのだから日本式はもう止めようと心に誓っていた。それはきっと良かったのだろう。
 
 
 結局子供達を育て、養い、簡素で落ち着いた家庭を築くことがいつの間にか人との交流の波紋を広げ、面白い事に経済的にも自立出来る様になって行った。親としてまた教師として教えるより教わる事のほうが遥かに多いというのはやはり経験的事実だ。そのときの親密な人と人の関係性が家庭を育み教育現場なり社会を培う風土となりうる。そして子供が歳をへてどこかへ旅立ったときそこは懐かしい故郷となるだろう。心の何処かに帰るべき処をもてる人は幸せではないだろうか。人生を本気で全力を挙げて挑戦することを自ずと知っているだろうから。
 そう自覚したとき我が家を「風の家」(casa do vento)とし、ここでの活動を「風の庭」(jardim dos ventos)と称するようになった。そして子供達や生徒たちと遊びや稽古を通じて生まれてきたパフォマンスそれが「風楽」(fugaku)である。
 
 
 今や文化交流といっても特に構えたものではなく私の場合すなわち自然体のことだ。家では日本語で話し畳の生活をしてここを訪れる生徒には雑巾がけや正座をしてもらう。ときには庭の草むしりや池掃除などもやってもらう。それができれば少しずつ整体法の技法を学びながら芸術の研究に入ってゆくという具合である。そこまで来た数少ない人たちと共に年に数回「風舞妙韻」を打って行くという形が昨年あたりからできて来た。言ってみれば種からやっと双葉が元気に開いたような。未だ幼く危ういがしかしどこか根が付いたような感じがする。近頃は松尾芭蕉の「奥の細道」を日本語とポルトガル語で読み込むとこから風楽を立ち上げようと5人の同志で奮闘しているところだ。
 
 
 何はともあれ、帰郷したその時はきっとお前も歳を取ったなあと冷やかされるに決まっているが、日本を発った十五年前の夢を未だにこうして暖めているのだから心意気は少しも変わらぬはずなのだけど… 楽しみな事である。
 
                                       2009、1、5 エンブーにて
田中トシ


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トシのメールアドレスです。携帯でも遅れます。彼も喜ぶと思います。(M)
 toshi mail : casadovento@hotmail.com

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