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 まったく…この世の中は。(晩秋の出来事。)
麻梨    2008 11/15
 
 今年は田んぼに出陣できなくて少々元気がなかった。「土」と生命etc.の威力はスゴイ。
しばらくぶりでの原っぱでの出来事。(1年ぶりですねー)
 福生の面白おもしろアパートを出てからというもの、私自身、体精神と都内の生活の不一致。人生、波乱万丈である。
 
 高齢者との生活。コータロの文句。をこなしつつ。原っぱの前日、半年ぶりくらいに友人に会いに行き、音楽ビデオ3本をコーヒーがぶのみで完徹夜。家に戻り、そうじだの「コータロめし」をすませて、楽器、コッヘル、皮ジャンを着込み、チューハイを2本買い、久しぶりのバスと電車、電車は日曜日なので人は比較的ゆるりと乗っている。駅を降りてコンビ二に…生まれて初めてカップのしじみ味噌汁とおにぎりを買い現場に直行、この間チューハイは、のどうるおし、すでに空になりつつ。ほとんど頭は、まわっていない。
 道を途中で聞くと、ていねいにおしえてくれるおじさん。30m程歩くと「さっき道をたずねているのを聞いてたんだけド…」とまた道を新たにおしえてくれるおじさん。川っぷちのコンクリートではない歩きやすい道をおしえてくれた。心の中で「なんか温かい人に会ったもんだなぁ、感謝!」てくてくと歩く。草道は足にやさしい。久しぶり…ほとんど家の中か、家の近所しか出られない状況なので、ホントに久しぶり。やっぱり、きゅうくつなマンションの一室にいるより、同じ都会でも、広い空が見えるというのはこの上ない私にとっての平和。
 入り口にたどりつくと、久しぶりのHANAちゃんの姿。「おにぎりにぎりに帰るの。」などと、ホッとする一瞬、君も元気で良かったよ。ずんずん進むと、いるいる、いつものメンバーに、New Face 、米を炊いてたり、芋を焼いたり、一升ビンは、いっぱいあるし、魚も(肴)もいっぱい。今年は、おうちのおふくろ様が一人で歩けんくなったり(今は大丈夫。また歩ける様になるのに7ヶ月かかった。)全く、気のぬけない、身動きができない状況だ。私の将来はどーなるのだろー?と思いつつ、時間はかかっても状況を打破しなくてはならないし、最近の雇用状態もけっこうキビしい、いずれここをまた出なくてはならない。やっぱり大都会の冷たさというのをしみじみ感じる。もっともっと強くならなくてはと思うのだが…。だから1〜2日外にでて、大勢ですったもんだしながらごはんを食べるのは楽しい。手作りならなおさらの事。
 
 やっぱり「時間」というもののはスゴイもんだと、今さらの様に思うのだ。10年、20年、30年の知り合いや友達に会うと…自分を再確認できるし、落ち込んだり、元気になったり。いろいろだ。本当にみんな体と心、健康であります様と願う。素敵な音楽好きの人達や、食のこと、世の中のこと。
 まるでサーカスの様。自分で自分の事が出来なかったりすることの時間の苦しみと楽しみ方。きっと、日本という国が滅亡の危機にさらされているからなおさら、ここの場所(space)時間(time)感じる事(feel)感謝するんだろう。みんな、おバカになっている。おバカfriend 万歳!それにしても頭にくるのは、30年の友達の言葉だった…。
 
 店をまわり、ねんどの粉(モンモリロナイト)を買って、はちみつと混ぜて、顔パックでも初挑戦するのだと心に決め、いそいそと“うふふ、あこかれのエステ!”と言いなかから歩いていたら、何ヶ月に一回と会う、30年の友達(そいつはたまたま下町育ちの悪ガキ男)次の瞬間“何っ?エステ?そんなものもう遅い!とか、やってもムダだ!”とか言う。心の中で“コノヤロ!このドロをハチミツでねって、遊びに行った時におまえの顔にぬってやるっ!”と思ったのであります。
 私はいつも、そいつのかみさんの味方なんだ…。苦労かけるなよ!おまえ。それにしても眠っていないのに、ちょこちょこと動きながら酒をちまちま飲んでいるのだが、やっぱりだんだん分からなくなる思考回路。
 
 高齢者のボケが毎日いる分、こういう時に自分の脳味噌にじっくりしみてきているのかしれにゃい。あーこわい、こわい。などと思っていると、またお酒をもってやってくる人もいる。友達んとこの犬もいる。
 片手にお酒を握りしめ犬と遊ぶ…どうやら覚えていてくれているらしい。“うちのコータロはお留守番なんだよね。昨年は車に乗っけてくれる人がいたからコータロも一緒に来たけど、病気で田舎に帰っちゃったからなあ。”帰った時の不服そうな顔がまた頭に浮かんでしまった。またうろうろと歩いていると知り合いの少年、初めてバンドでここのステージでやるらしく。
 「どうしよう、きんちょーしてきちゃった。」と素直になっている。飲物(コーヒー)を飲もうとしていたところに…気付けにコーヒープレゼント♪
 「いいよ。このステージにあがって見える風景を野菜畑と思いなさい!」
 歩いている人やきいてくれる人、葉付のにんじんとかほりたてのじゃが芋とか…と、少年に IN PUT、ちゃんと山の上できいてあげるからね!・・・・Goodでした。お疲れさん。
 
 
 夜はふけ、Good Sound 状態が終わった後。やっぱりやんや状態なんだかんだでまぐろやいている風景もー眠りたい。腰も首もちょっと痛い。一日のスケジュールが終わって、みんなやんややんや状態。
 一升ビンが何本も回っている。焼けたマグロ1cmほど誰かに口に入れてもらい。もー眠る。マグロおいしいと言ったまま、「もー遠くに行きます。おやすみ。」と、爆睡状態に陥った。誰かおこしに来たようだが、そんなのはかまわず寝ている。そしてこの夜の一番最後の飲んべー達が数名まだ外で酒を飲んでいる頃。“ナンコツ!”の一声で目が覚めた。
 とたんに自分の両側からGoodいびきんぐぅ Sound System ナンコツ、ナンコツとほふく前進して文句いいつつ逃げ出す。
 
 外に出るとナンコツあげとびーるがあった。なけなしのサイフからは交通費を除いて¥2000が消えていた。きっとあのお金は一升ビンに変わってしまったのだろう。これだからのんべの集まりは嫌だと思いつつ、また飲む。まったく素晴らしいナンコツfeeling。そして私が起きてくると、大抵また盛り上がりを見せ、私がフォローに入る。(…つもりはないのだが…)まったく。夜明けまでにこれを片づけろってか?
 
 悪夢ののんべの夜である。ほんとうにこの人達は…(と、どこかで自分だけは違う!と勝手に思い込んでいる。)たき火の火の番をしている友達はイスに座って明らかに眠っている。もう一人は、うちわをパタパタ火遊びに酔っ払いながら涙を流しはまっている。片づけるどころではない。(新入り君、ガンバッテイル。)私が起き出したから長老者何名かは、暗黙の了解で安らかな眠りに落ちるのだ。(俺は寝る。後はよろしく!の目配せ。)
 一升ビン10本弱。その他もろもろの酒の空きビン。ここが飲み屋だったならば店主は左うちわだろう。まったく、こいつらは、ざるダ!うわばみだ!カメワーリだとか一人で小声でぶつぶつ言いながら、一段落つくとまた飲んでしまう私なのである。きっとみんなおまえはまたか…とそれぞれお互いに思っているのに違いない。
 
 夜がまた、明けてしまった。こんなのが一週間も、もしも続いたら、大半の人はおうちがあってもおうちに帰りたくなくなるに違いない。それがあぶないのだ。そしてあらかたの片づけは今日の午後には終わらなくては、(大工さんご苦労様、)ならない。そしてお昼にはまたむかえ酒のBeerがやってくるのだ。今年、皆様の心の中は豊作だったのでしょうか?いろいろと…みんな飽きもせずよくやるよ。お金もないのに…
 かってはここにテントばかりの“小金井しょんべん横町”みたいなものががあったのだが…それは、それで、良かったけどまた出現して欲しいものだ。
 ほんとうにケンカがないから(ドタバタの)不思議だ!
 
 みな様、お疲れ様、また来年ね。
 
 We love Green Field & Peace
 帰りぎわ初対面の若者が首をかしげながら一人でつぶやいていた。バランスとれているのかな?
 
 
 そしておうちに帰るとコータロの「帰って来たっ!」おかえり。しっぽパタパタの次に文句が出るのである。
 コータロ、ごめん。マグロがあったけど眠ってて…もうなかったの。骨もらってくんの忘れたぁ。SonもGuuも元気だったよ。
 また無一文になっちゃったよ!本当にどうするんだろう?
 そして禁酒の?飲めない日々が続くのだ!






 「時間」自分の人生においての時間。
                                              麻梨    2008 11/16
 
 とてつもないものだ。人、それぞれ異なるし、異なるものが重なっている。
先日、実感してしまった。時間ってスゴイ。
宇宙の流れ、この星の上で、人と人、喜怒哀楽。
教え、そして慈しみ。
 
 たった一杯のかけうどんを全く違う所で食べている時、
たった1分なのに、とても長く想ったり、
そんなこんなしているうちに、
自分の人生の中の時間はあっというまに過ぎ去ってしまうのだ。
 
 あの時の(過去の)私はいったい何だったのだ?
とか、考えはじめるときりがない。
きっと、年をとってきた証拠なのだ。
都心にむかう電車の音を聴くと、
人が動く箱の中にぎっしりつめられている状態が目にうかぶ。
ぜったい私には無理。そんなのに乗ったら泣き出してしまう。
 
 ナンジャクな自分になってしまったものだ。(友達は、ぜったい信じないだろう。)
ズルく(賢く?)生きて行ければいいのか?自由などないのか?煩悩の毎日。
やはり都心に来てから、いまいちの自分。
 
 都心がもう息苦しいのだ。
時間がゆるく流れている所で、これからの時間を過ごしたいのだ。
「樹」を一本。どこかに植えたいのだ!!
 
 
〜続き〜
12/8の出来事。
 
昨日まで、いろいろな事で、てんぱりまくっていた。
息ぬきしないと全くダメな状態。
高齢者問題は今の私にとって重要だ。
役所(福祉)に行ったり。親戚に連絡したり。
 
気を使う…(ひょっとしたら必要以上に気を使ってしまう性格がいけないのかもしれない…)よし!心配事は少しずつでも解消していこう。
でも、やっぱり親せきには、遠く(九州)離れているのでやっぱり気をつかう。
強くならなくちゃ。と思う。みんなこの年になると、似た様なものだ。
越えて行くのだ!!まるでお風呂屋さんの風景(富士山が見える)親せきにも連絡したり。忙しい。
 
今、住んでいる街からちょっと出かけて、とっかかりをつくってくれた友達に会いに行った。彼女もとてもたいへんだったのに包んでくれた。いい関係だ。
 
 
〜音楽〜
それは厳しくも、優しいひとときである。
 
 2ヶ月ちょっと前に自転車でガードレールに突っ込んでしまい左手をケガしてしまった。しばらく太鼓もたたけないし、タンバリンもだめだった。ところが逢いにいった先でボンゴに久しぶりにさわることができたのだった。たたくと…やっぱり気持ちいい。♪♪
何年か前に別の友達がメッセージをくれた。「たたくことは生きるキィワードだよ。」と…。想い出した。やっぱりそうとうおちこんでいたんだな。ことばがなかった。じぶんをすこしおさえすぎていた様だ。
 彼女はピアノをひいてくれ、他の人達も、呼んでくれて、そっとたたいてみたら左手首の痛みは消えていた。不思議なものである。感謝感激雨あられである。打てば響くとはこの事なのだなあ。改めて思った事である。
 そこに…
 13年ぶり位でポコッ!と昔住んでいた田舎の山を3つ位越えたところに住んでいた人が現われたのである。ビックリした。今、東京に住んでいるという。仕事終わって寄ったのだという。そしてまた、世界を飛び回っている知り合いの消息も話してくれ、なんだかみんな元気で良かったなーと思う。
 定住していても旅人。どこにいても心配なんかいらないんだ。そーかそーか、大丈夫なんだ。とうれしい気分が持続する。ほんとにありがと、伊豆の森の番人に会えて良かった。
 私は一人だけど、ホントに幸福なんだな、実感した。Jhon Leon の命日に「命の洗濯」をした…。
 
 ありがと…♪ あの時、あの場所にいてくれた人々。
 そして、年末に突入デス。
 
 
 
 
近頃の年寄り                               
麻梨    2008 12/14

 都内に移動してから一年余り経った。相変わらずMy腰はひどく痛んだりする。(二度と配送の仕事なんかするものか!)首の調子は?と知り合いに聞かれ、「もー、たいへん。」と一言。季節の変わり目、雨の降る前と晴れる前と…腕はビリビリ、神経はピリピリ、頭の中はもややしている。あ〜あ〜ぁ。眼はともかく視力なんか安定していない様だ。老眼…プラスである。まったく本当に年をとったもんだ。と我ながら思う。
 
 煙草の本数を少なくした。一気にやめられるもんなら…と思ったがなかなか…。意志薄弱なのがたまにキズだ。心臓のキュー、バクバクバク、ク、クッというのは、2年位、強心剤(漢方)を飲んでいたせいか、近頃は、おさまっている。(本当は2粒のところを1粒に、ケチって飲んでいた。何とか成るんだ。)やっぱり、こんなのがあると、まだ若い!とは思っているものの、けっこうビビルもので、これが起きる度に、ありとあらゆる、不安と妄想が頭の中を巡ってゆくんだ…。
 「コータローは、私が死んじゃったら、誰かゴハンをあげるんだろ?」とか、「今、せっぱつまっている、そうじとかやらなくちゃ!」とか、「でも、死んじゃったら税金払わなくていい!(笑)」とか、「嫌っ!私の未来。今は、最低でも、バラ色の未来は私が切り開き、未来も私をにっこり笑ってむかえてくれるはずだ。」とか、「今、同居しているジジ、ババより早く死んだ方がいいのかも知れない。」とか、エトセトラである。死神だぁ〜。嫌だ。ヤダ。
 そんな私の様子を横目で見ているのがコータロ君。「母ちゃん、一人でバタバタしないで、俺と散歩に行きたいの。」としっぽをふって、おすわりしている。じゃ、行こっか?と、言うと犬は大はしゃぎなのだ。こいつは、ちゃんと私の様子を見ていて、体力低下を阻止するべく、様子をみながら思い切り、ダッシュしたり、普通に走ったりしてくれる。ホントにイイ奴だ。湯タンポ愛用の季節に入ったわけだが、やっぱりふとんの中で、コータローの枕になっていて気持ち良さそうだ。しかし、ふとんの中で暑くなるとズルズルふとんを引っ張って出るので、私は風邪をひいてしまった。
 
 この2、3日、熱と鼻みずとせき(腹筋が痛い。)で久しぶりに寝込んだ。年末までの大掃除は、第一弾終了時点での休憩といったところで…。熱の下がった今、近所の高齢者ジジィにバカ呼ばわりされたあとだったので、「あ〜、良かったバカじゃなかったんだ…。」と安心している所。それしても公務員(おまわりさん)上がりの超高齢のジジィはたいへんだ。以前聞いた話だが、今は、生きてるのが(昔の同僚間で)3割、死んじゃったのが7割だそうだ。こんなのがそばに居たらこっちがガンかなんかになって死んじゃう…。と、思っていたら、また、その人のことを知っている近所のおばあちゃんが、あのおじいちゃんの奥さんが、ガンで亡くなったのよ。きっと寂しいのねぇ。と言っていた。あなたがここに来る前の事なのよ…。と、フクザツな気分。
 
 とにかく、ジジ、ババは大変だ。話をしていると大いにずれ込む。そのマイナス加減に引っ張り込まれないようにしないといけない。理不尽な要求をされて押し切られてしまうのだ。ホントにジジ、ババ中心の思い込みには注意しないといけない。最近、TVでもいろいろ話題となる高齢者達、やれ殺人だなんだと、TVのみすぎであらぬ事を日頃の暇にまかせて考えているのだろう。老化が進むと子供に近い思考になるらしい。ごはんの量も減るし…何度話してもいっこうにわかりが悪い。
 買物に行くときによくすれ違うジイサンは白髪で白髭、天気の良い日、買い物袋ぶらさげて、片手に奥さんの写真を陽にかかげながら歩いている。あとは、まんざいコンビネーション、グゥの88才と85才のおばあちゃんコンビ、やっぱり近くの公園で陽なたぼっこを楽しんでいる。コーヒーを買いに行く途中、前を通りかかったら呼び止められた。“ちょっと寄っていきなさい。”“はぁ、コーヒーを買いに行く途中ですので、帰りにでも寄りますね。”と答え、買いもの済ませて同じ道を通ると、“まだ、居る”声をかけてくれたので、コーヒーを片手に公園のベンチで日向ぼっこをしながら、このおばあちゃんとだべりんぐすることにした。(でも、どうして年寄りにいつも声をかけられてしまうのだろう?)このおばあちゃん達この地元に50年〜60年住んでいるという。近所つきあいもそれくらいの長さだ。
 
 50年〜60年という10年の間は、年をとっているためのかなり長いアバウト差だ。ここまでくると、どうでも良くなるしい。一人は詩吟のおっしょうさん、もう一人は普通の主婦。おっしょうさんは、今でもバリバリ詩吟の現役、もう一人のおばあちゃんの旦那さんが、だいぶ若かった頃、詩吟のおばあちゃんに入れ込んで、詩吟を習いに通いつめたそうだ。そのおばあちゃん曰く“あの頃夫婦仲良くなかったよ〜”とのこと。その頃は、今から何十年前だったのかさだかでないが…つきあいの長さが、つかず離れずで計り知れない。
 普通のおばあちゃんの方は、88才でこの間役所から訪問受け、“米寿のお祝いで¥5000もらった。”と大喜びしていた。でもそのおばあちゃん、コンビにでよく行き合うのだが、お金の計算ができなくなっているのだ。お金大切に使ってくださいね。
 この2人のおばあちゃん達を両脇に侍らして日向ぼっこしている。“あらぁ、少し若めの私は両手に花だわぁ”と言ったら普通のおばあちゃんがすかさず“もう、しおれちゃって…”詩吟のおばあちゃんは“あんた、まだ長生きするのよ”などと檄をとばす。
 
 次に私。“このベンチのうしろに紅白の垂れ幕あったらスゴイでしょうね。”“かしまし娘ですかねー。”一同大爆笑!詩吟のおばあちゃん“あんたも変わってるわね。珍しいわ。”私。“そんな人を特別天然記念物みたいに言わないでくださいね。”またこの二人は笑っている。コーヒーも飲み終わったのでもうお家に帰ります。家にもう一人、年寄りが待っていますんで、どーもお笑いのなごやかな時間ありがとうございました。“はあ、あんた孫みたいな年だねぇ”と二人のおばあちゃん。「はい!まごまごしてられませんので帰りますね。」また、お会いするまで元気でいてください。またね〜。と言って私は家に帰るのだ。
 
 スゴイ日向ぼっこだった…。早く私の次元のチャンネルに戻さないと一日の…掃除だとか、洗濯だとかetc.のスケジュールがこなせなくなる。急いで帰ると、金にならない仕事が待っている。ホントに日常の当たり前のことはたいへんだ。そろそろお金稼ぐことも考えなければ…「パートだ、パート。重労働はもう無理だから…時間帯がよくねぇ……」と一人言のようにつぶやく。Ah〜。『お得な短期間』の名目にひかれて、駅前でシゴト誌をひっぱり出し、TELを入れた。面接日の決定。“仕事があるといい。”正月だ。正月。
 それにしてもこの不景気。バターetc.乳製品、一時前はスーパーの棚に並んでいなかったのが、最近また店頭に値上がりして並んでいる。年末もおしつまってくると何でも値上がりする。
 
 今の日本。困ったものだ。地球全体も大変なっている。人口67億人。私が子供の頃の記憶では、確か、37億人だった。もう少しで地球人口が二倍になってしまう。考えないようにしよう。とにかく、平和と意識して…。流されない様に…。
 運動は適度に…。ゆっくりと呼吸をして、気持ちを“ら”áらせん状に上に持っていくよーにしよー。と言い聞かせる。
 きっと、じいちゃん、ばあちゃんの時代に戦争と言うものがなかったなら、ホント穏やかな大地が、その上に生きる人々の中にも広がっていたかも、知れない。ホントにキビしい世の中である。はやく“自然の大地の中に戻りたいものである。”

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