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  秦先生と味噌
                              菅野ゆきえ
 
 
 一昨年会津の母が亡くなって、私が一番困ったのは「味噌」である。
 それまでは毎年母が手作りの田舎味噌をせっせと東京の拙宅に送ってくれていた。色が濃くて市販の物よりしょっぱいのだが、味噌汁を飲んだ時、微かな甘みがふわっと口の中に広がるまろやかな風味の味噌であった。私が小さい時から食べ慣れてきた麹味噌である。東京に出てきて50年近くにもなるが、まるでへその緒でつながった胎児に血液を送るように、母はこの味噌を途切れることなく送り続けてくれた。家族みんなが大好きな味噌だった。
 
 すでに結婚して家を出た40過ぎの娘すら、さも当然のように、
 「ばあちゃん、味噌がなくなりそうだから送ってね。ばあちゃんの味噌でないとうちの子たち味噌汁の味が違うって食べないのよ。」
 などと電話で催促しては母を喜ばせていた。年に10㎏以上は送ってもらっていたと思う。
 
 私だって母の味噌が永遠に続くと思っていた訳ではない。早くこの味噌の作り方を教わらなくてはと思いつつ、日々の忙しさにかまけてずるずると後回しにしていたのだった。
 
 そうしていざ母が亡くなって、ある日私ははたと立ち尽くした。
 あっ、あの味噌の作り方を習っていなかった、どうしよう……。
 仕方なく生協の「味噌づくりセット」なるものを買った。ついてきたレシピを見ながら頑張ること三時間余。4㎏の味噌を仕込んだ。なあんだ、思ったより簡単だ。柔らかく煮た大豆をつぶして、麹と塩を混ぜて容器に入れ発酵させるだけなのだ。これを寝かせること約半年。途中、天地返しはしたがそれ程手間暇かかるものでもない。楽勝じゃん。
できた。
 
 味は……まずくはないが母の味噌には程遠い。甘い、というより豆臭い。麹と大豆がお互いに自己主張を続けて喧嘩している感じである。発酵が足りないのだろうか。色も白っぽい。
 
 「いつもの味噌汁と全然ちがーう!」
 孫たちまで口をとんがらせる。おかしいなぁ、レシピ通りにやったのに……。
 そんな時、手作り味噌を送ってくださったのが「秦先生」である。
 
 先生は昭和30年代初め頃、会津の山口村季節保育所の保母さんだった。私は小学校に上がる前3年程お世話になった。先生は当時20代初めだったのではないだろうか。やんちゃ盛りの3~5歳児10数名の混合クラスを、設備も玩具もあまりない村の集会所でたったひとりでみておられた。大変だったことだろう。
 (写真右端が秦先生、上列左から3人目が4歳の私)
 
 私には、ニコニコ笑顔の優しい先生だったという記憶しか残っていない。
近年になって先生と私は、ひょんなことから手紙のやり取りをするようになっていた。
 
 昨年末に、味噌にまつわる私の苦戦を知らせると、
 「ゆきえちゃん、あんたのお母さんのよりは味が落ちるかもしんねけど、私の味噌も食べてみて。これからは母ちゃんだと思って何でも聞いてね」
 と、季節の野菜や故郷の笹餅と共に手作り味噌を送ってくださったのだ。
 
 なんと滋味に富んだ味噌だろう。どうしたらこんな味噌ができるのだろう。香り高くてまろやかなのに、しっかりとした田舎味噌の力強さも持っている。母の味噌以上の味わいかもしれない。私はいたく感動した。
 
 先生は電話で丁寧に味噌づくりのコツを教えてくださった。
 塩は出来上がり量の一割二分くらいにするとカビが生えにくいよ。混ぜる時麹をつぶさないように気をつけてね。種味噌を二つかみぐらい入れると早く発酵するの。呼び水みたいなものかね。容器に詰める時はなるべく空気をいれないようにね。そしてね、味噌は昔から「寒仕込み・花仕込み」といって冬から春先までに仕込むの。夏の土用を超えないと味噌は本物にならないからね。暑い夏が塩をなじませて発酵を進めてくれるのよ。
 それから、なんでもそうだけど愛情をかけてあげるのがやっぱり一番よ。
 
 なるほど、味噌づくりとはこんなにも奥の深いものだったのか。チャチャっと簡単に習得できると思っていた私が浅はかだった。
 心を入れ替えて、今年2月1日早朝、再び味噌づくりに挑戦した。先生の教えを繰り返しチェックしながら丁寧に仕込んでいく。そうそう、種味噌に先生の味噌を入れることも忘れない。こうすれば先生が味噌の熟成を手助けしてくださる気がする。そして最後に愛情をこめて「美味しくなあれ」と、呪文を唱えてから新聞紙のふたをする。
 
 こうして半年後、土用も過ぎたこの8月、私の味噌が完成した。(写真をご覧あれ)
 母や先生の味噌に比べるべくもないが、前回の味噌よりはずっと出来がよくなっている。少し塩分が足りない気がするが、大豆と麹が仲良く馴染んでいる優しい味だ。
 
 「うん、我ながらなかなかのものだわ」と、独りごちる。これが本当の「手前みそ」か。
先生には、この味噌を小さな容器にひとつ送ってみよう。
 「あらゆきえちゃん、上手にできたね」って誉めてくださるだろうか。
 
 秦先生は今年86歳になられる。
 学校の先生と結婚して保母を辞めてからずっと、会津の地で農作業をしながら二人の息子さんを育ててきた。60代で夫君を亡くされ、昨年には同居されていた50代の長男さんを突然の病で亡くされ、今は嫁さんと20代の男孫さんと暮らしておられる。
 
 「人生は山あり谷ありっていうがな。ゆきえちゃん、元気出して頑張るんだよ」
 ご自分だって辛い思いを沢山していらっしゃるのに、夫を亡くし母を亡くした私を温かく励ましてくださる。ありがたい存在だ。
 先生、どうかいつまでもお元気でいてくださいね。いつか先生のと同じくらい美味しい味噌が作れるように、ゆきえは頑張ります。そして新型コロナウィルスが収まったらきっと会いに行きます。
8/18


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(乱蘭通信HPバックナンバーに過去の文章 載せてあります。)
http://ranrantsushin.com/backnumber.htm 
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