No79-3 home No81

屠蘇

○一日を終らせるものは何か。

○私が私の影に隠れる。隠れて影は消える。消えて私は存える。存えるすじみちで散じる。生じる。展じる。

○払拭はちからではない。頻度である。歳月による歳月の払拭。乾ききれば余儀なくひらく。

○光に、より強い光が差し込むように、より劇しい日が日を貫く。

○光が消えても鏡は消えないが、光のないところで鏡はもはや鏡ではなくなっている。

○繕わぬ私、綻び出た私が私なのではない。繕わない。綻びたままそよがせておく。そもそも綻びた箇所を知らない。

○「そこ」をひとも通るということがなかなか実感できない。

○生者と死者を較べてはならない。生者に語りかける言葉と死者に語りかける言葉を較べてはならない。

○渇きが道を往く。道が渇いてゆく。道は私に先がけて渇く。私に先がけて湿る。道往く限り、私の行手は道の背後である。

○どこから道で、どこから顔か。

○見慣れた道ほどふれない。ふるえない。道ゆくことが道をふせいでいる。

○梢が毛細となって空に沁み入る。

○背景に退くことなどありえない。背景がそもそも退いている。背景であることから退いている。そこから退こうにも退く先はないのだ。では背景はどこへ退いたのか。おまえにだ。おまえはおまえであることへ退けられたにひとしい。

○びりびりに破けているから蹲っているのではない。蹲って動かないから破けていることに気づかないのだ。気づかないから、破けているのに破けることを惧れて気が気でない。

○掠れる。反復が定まり、いよいよ強固になるのにつれ、掠れる。掠れて、強固である。いつ破れてもおかしくない掠れかたで、もはや何の強迫もなく、同意もなく、ただ強固に繰返す。

○睡眠は緩慢な発作である。そのこの上ない安静は危機でもある。

○病は個のありかを疑問に付すことで教える。距離は関係の問題である。比較ではない。

○休止は消えないことを意味する。

○楽しみに似ることが楽しいのか。似つかぬことを楽しめば、幾つもの声を楽しむには自づから旅が必須となる。旅は次第にひとつの声を明らかにするが、ひとつの声を幾通りもの楽しみに聴きわけるにはさらにべつの旅が要るのだ。逢着に似た通過が季節を知る。

○震わせることをやめたとき震えている声、恐れのないわななき、そよぎ、凪ぎ残るさざなみの余波ではなく予波。粉となって粉を聴く。

○音が重いのではなく、音にのしかかっているものが重いのだ。音の軋軋みにほとんど関わらぬ弦の軋みが、弦に掛かっているものと音に掛かっているものとの不和を告げる。不和、すれ違い、軋軋みの格子をすり抜けては響きの隙きまを痛ましく押しひらく聾(ろう)し。沈黙するものなどない日常にありふれる、あふれんばかりに陥没する聾し。聾することで保つのだ。

○弱りによって自分の時間に、決して自分のものでない、誰のものでもない、ここへ置き去りにされた自分の時間に、立ち戻るのだ。砕けた破片どうしの摩擦によって、不揃いな熱が、伝達によらず、多発し、継起してゆく。

○粉末が季節となって大気を押し拉ぎ、光は立ち嵩ばってそよぎ。

○時代をつくるということは今や、自分の生きている(生きようとしている)時代だけで時代を成り立たせることを意味しない。メディアとしての人間は非人間の肥大し浸潤したメディアによって、それ以外のあらゆる時代を任意に且つ無制限に差し挿まれて、順序としての時代を、前に続けて次といった方向を完膚なきまで無効とする。時代の無効を告げる時代、前の時代に死を告げることで生きる時代などないところであらゆる時代が蘇生する。蘇生としてしか時代が生じない時代。時代は混乱である。混乱の時代などない。めちゃくちゃなものをめちゃくちゃなまま、混乱として差し出されたものを混乱のまま愛せなければ、何も生まれない、何も会わない。混ぜることだ。どのみち混ざりはしない。混乱のなかを混乱しないように自分がくぐり抜けてゆくのではない。自分のくぐり抜けかたが混乱にほかならないようにくぐり抜けてゆくのだ。混乱を装わぬことだ。装うことは防備にほかならない。混乱を装うのは混乱から身を守るためでしかない。眺めとしての混乱ではない。すぎゆきとしての混乱はまるごと他者へ差し出せるものではない。自分自身への差し出しかた、あるいは差し挿みかたなのだ。

○半びらきの水。

○嵐が嵐それじたいを吹き倒してしまう。自家撞着。自家拉致。それが不動の内実である。その痕跡が、内実を隔てている。それが顔にほかならぬ。顔が(その内実と)同時に存在するのは激しい矛盾なのだ。顔の背後(手前)には時間の消耗そのものが去りやらず立ち尽している。顔は剥れた上での膠着である。私の忘却と物の消え去りとが先を競う。競うことによって互いに(無数の互いに)緩慢になってゆく。緩慢に於て明瞭と不明瞭とが焦点を結ぶ。

○男と女は決して対(つい)ではない。そこにはどのような成就もありえない。それが、男と女の始まりである。対と思い込んで関われば、まず関わりじたいからずれてゆく一方だろう。

○癖は私をどこへも連れていかない。ここへ留まろうとするしぐさなのだ。だがこことはどこか。ここはどこでもない。

○この夥しい食材が悉く慈悲である。私の口腹へ差し向けられるからではない。私もまたこの慈悲のひとつとなっていずれかの口腹へ捧げられることを願いうるだろうか。だが食べられぬことも慈悲であり、食べぬことも慈悲なのだ。

○ほんの少しそよぐだけで、そのずれが一致をおしえてくれる。一致はない。響いてゆく。ゆくえであってありかではない。

○脱糞は私を脱ぐので、私が脱ぐのではない。

○ほそく開いているところが口である。そこへ遅れるようにして燃える。立たずに横たわるようにして、遠ざかるかのように、限りなく引き延ばされて見えなくなった燃焼。私を掻き立てる唯一のちから。縁(へり)に沿って、次の間が暗に置かれる。

○一滴が一滴のうちにゆっくりと流れて蜜となりゆく。満ちてゆく。

○立たぬ旅。旅立ちのない旅。どのような始まりもない。記憶のない。唄を知らぬまま、声がただ唄である。そこには声しかないのに、唄が声を明かし、声が唄を明かす。道とも知らず往く。道は私いっぱいにふくらんで、すこしづつ溢れてゆく。

○息を引き取りようがない。それだけ。

○便が汚いのではない。便を激しく襲う時間が汚いのだ。

○荒(すさ)むのは冴えてゆくいきさつとも取れる。

○蔑むのも信仰のひとつである。

○舞台は景色をゆるされない。あるのは気色。かろうじて音楽が景色を仄めかす。おそらくは客が景色となるのだ。客は景色として招び寄せられる。景色には何という無数の死者が融け込んでいることか。

○舞台に季節が困難だということ。季節の外を死者がめぐる。死者は季節を省いて季節を含む。

○注ぎながら器を動かす。

○死者の息づかいの間合いを測っている。

○味とは汚れなのだ。

○汗かくことは時間の感覚を変容させる。

○不意の水にも光は返り、空が宿る。空はいたるところ不意の水か。

○顔そのものの重みによって顔に生じた圧迫と歪み、それが顔というものの正体である。

○糧のないところで、餓えたからだをそっくり移し替えようとする試み。激しい集中はそのまま忘却へ明け渡す。

○天秤は平衡を見出すための道具だと思っているので、なかなか平衡に至らない。天秤に於て危うく平衡は乱れつづける。平衡をめざすゆえに天秤は平衡を隠す道具となる。

○私から奪われるとき、私が奪われるのではない。奪われるものが私にかけがえのないとき、私ではないにも関わらず私は私を失ってしまう。奪い去られるものの代りに私は失われる。失われることによってここに残るのだ。

○充分に苦しんでいないことを引けめに感じているということか。

○色は溢れずにとどまることによって、溢れる。

No79-3 home No81