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ここが痒い

○肉体とは水が隠れることによって現れている境いめのことである。

○音の背後を空けておく。聴くとは明けることにほかならぬ。

○あふれようとするものに口を開けてやるのではない。隠れようとするものの入る先をべつにしつらえるのだ。

○痛みの紛糾はその他の紛糾を掻き消す。

○境を越えれば境は消える。境は伴わず残るからだ。残るところにおまえはとどまれない。あるいは垂直と思って越えた境が水平であると気づく。じぶんが倒れていたと気づくの だ。境を軸に、越えることは起きること。雨。降って溜まる。

○音に対して定点を有(も)たない。音をめぐって位置を変える。音は動くことを使嗾する。音楽に対しては定点を有つ。音楽は概ね一つの向きであり、向きに於てそれじたいがめぐっている。聴きてがめぐらなくとも聴きてをめぐる動きなのだ。

○節目に於て痩せ細ることが晴れなのだ。晴れは節目である。

○雨は仕切る。雨じたい、仕切られるさまなのだ。

○暗殺。私の犯す殺害が私自身に伏せられているということ。

○排除は依存のしかたにほかならぬ。孤立は大した問題ではない。どうにもならない依存、身動きの取れない依存こそがひとを追い詰めてしまう。

○怯むのは余しているからだ。よそに憑かれたまま、どこまで嵩じればいい。ここがここであるまま、どこまでとなって嵩じる。余儀なきここが余儀にほかならぬよそに始まる、始められる。始められさせる。

○私のなかで一掬の水が過す時間。つねに充分でない、ということは充分すぎる光のもとで跨がせている。意味が熟すための薄らぎ。

○取り憑くとは、通り抜けない、ということだ。

○快楽は合致だが、生存は合致の一期をはなれる。一期に貫かれても一期は存えない。一期を一期と明きらめて生存は合致を去る。合致は遂げない。快楽は振出しに戻る。振出しは不一致である。快楽はずれている。快楽の対象と、快楽の行為と、重なり合おうとして際どくずれてしまう。次の快楽へと押しやられる。繰返そうとして繰返してはいない。次の快楽とは相手のことだ。遠ざかっただけで消えてしまう顔のことだ。再び近づいてきた とき、もう顔ではない。私が顔を掩っている。私、この不確かな記憶の痕跡。

○砂浜に道を捜す。掻き消すことを掻き消す、打ち重なる掻き消しの総体。水面ではなく水底が顔である。水を混じえて層をなす砂の表面、絶えまなく水の痕跡として水に遅れることで水の総てを支えている水の底面。砂浜に道を捜す。道のなさが差しのぼり、打ち没 む。皮膚の下から皮膚があらわれる。それが道にほかならぬ。

○聴くがゆるす。聴くをゆるすに非ず。耳に届かないのではなく、耳が届かないのだ。

○住むのをやめることが癒えである。

○唄を産物として取ってはならない。唄の産物を聴くこと。

○出口はなかにある。出るのはおまえ自身ではない。出口がおまえを出てゆくのだ。おまえのほかに誰もいてはならない。それが祈りであることをおまえはゆめにも知るまいが。

○家に住み始めるのは家を建ててからである。家が建っても家を造り終えたことにはならない。それが住むということだ。住むところが家である以上に、住むことが家である。住むということ。営みのすべて。家はどこにもない、ということが、家がここにあることの根拠なのだ。家は家をめざしている。家に住んで家を生きている。

○花を俟たずに地がそれじたい咲いていると考えられないか。地が朽ちはてているように見えるそこで。

○麻痺から始めるほかない。余儀なくされた麻痺。繊細に抱え込んでしまった麻痺。麻痺と麻痺が呼応する境。

○殺して殺しきれないものにふるえる。私がふるえる前に息がふるえている。

○列に就きながら皆わずかづつ列をずれる。ゆえに伝達を信じない。歪曲を、作為を見る。伝達によって進むのではなく、伝達を出し抜くことで進もうとする。だが出し抜けはしない。信じて伝達するのではない。伝達してしまうことで進む。

○滴ることを認(したた)める。

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