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断たれたのにそこに在る。世界か。これが世界か。整然と断たれ、たえまない不意として連なる。

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世界の軋み。おれは軋みだ。世界の軋みの目だ。軋みを求める軋み。軋んで確かめる。何を?

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せせらぎがせせらぎを隠す。幾条すじもの布施。群れとならずに流れ、おれの影を返してやる。場所が場所でない。何もないところなどなく、さらにそこに伏せられて流れをなすものに未いまだ触れ、身を静かに替えるぼき一隅。ありかを聴く。行方を聴く。おぼえを聴く。

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じゃしゃ。お前の横顔が静かなとき、おれは風に耳を澄ます。風に耳を。耳が澄む以上に風が澄んでいる。困惑の生涯をひとつかねの骨に恕し、あらゆる慟哭から遠く、今はただ風となって風を渡ってゆく。願いは届いたか。じゃじゃ。誰のものでもない、純粋な願いそのものとなって、お前はお前自身に届いたか。この青空を、おれはおれに託す。お前がおれを追い越すために、おれのまわりに描いた円を、じっと目をつぶり、おれはもう憶い出すことができない。

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花になぞらえて境を跨ぐ。

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一条(ひとすじ)のものがよ捩よじれて出来る縒りの瘤ではない。複数の条すじが綯ないあわさろうとして、縺れたりはぐれたり、絡まったりちぢれたりする運動なのだ。一人が一条なのではない。一人がすでに夥しい条の複合からなっている。その複合に富んだものこそ、豊かな条の展開と収束を演じることができる。そこでは条とは何か。息づくもののうちに、伸縮を繰り返しながら絶えず張っているものは何なのか。リズムとは刻む何かでなく、振動の伸縮にほかならぬ。空白などない。最も緊密なとき、その白熱が空白に似るのだ。私たちが聴いたのは熱であり、光に至る微細で弛みない振動の叢(む)らがりである。もう少しで光が生まれる地点へ、私たちは何度か迫ったように思う。あそこに漲っていたのは、何かが漲っていたのではなく、漲りそれじたいだったのだ。条とは何かという問いが改められる。条状をなした出来事が起こったのであり、出来事を構成するのは個というより世界であって、かりそめの個を世界がちから強く通りぬけたのだ。条とは何かでない。私たちの内外に振動する条によって、ただ「何か?」と問われているのだ。弦とは条にほかあるまいし、息さえ条にほかなるまい。だがそれだけではない。啓示のような一瞬は一瞬に過ぎない。ひともわれも、それ以外の厖大な時を支えぬかなくてはならない。

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最後に水はいちまいになる。

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