No143「縄文現代」 index No159写真1

   2015年 73才   澤村 浩行
 
 人によっては齢をとるにつれ冷静に人生を振り返る余裕を持つ。たぶん、残された時間でやれることは限られているから、過去の出来事を検証し、誤解も偏見もなく滑らかに、という知恵を身につけたくなる。その知恵が、人間関係のバランスを保つお役目を果たせたら、満足してあの世に旅立てるのではないか、と期待する。最後のお務めへの願望だ。そのように生きる人たちに会ってきた。そのようになれたら悔いを残さないだろう、と思い始めた。少しずつツケ払いをしている。
 
 
 自分たちの親の世代にとって、生きてきた時代の検証は敗戦に至るまでの苦々しい体験と、外交と軍事をアメリカに丸投げした経済特区自治領としての戦後体制。自分たちの世代は、効率至上主義による人間の劣化と環境破壊。しかも更なる戦争体制までも遺すとなると、余りにも罪深い最期を迎えることとなる。
 仕方なかったんだよ、で済まされることではない。今は異様な時だ。一部の人間の権力欲と物欲だけが加速度をつけて支配して行く。この流れを是正すべきだと動く人には、階級、人種、国籍は、各々の立場を生かす為だけの物だ。
 自分自身も以前から、世界に冠たる日本宝は、河川、森、海岸、土だと信じている。これほど多くの清流にめぐまれ、これほど多くの種の草木が茂り、これほど複雑な海岸線と砂浜に岩礁と環礁、これほど豊かで分厚い表土を持つ土地と同時に、地震、津波、噴火、台風の巨大な自然災害も合わせ持つという特異な日本列島。ここには72の季語がある。つまり、常に移ろう多忙で繊細な自然と、突然に襲いかかる自然の猛威。この両極に対応している内に、日本人は天災も人災も「もののあわれで片付け忘れる」という歴史観分裂症患者となったようだ。原発再稼働の流れは国土ばかりでなく、自分の遺伝子、つまり子孫までを売り渡すことに同意した、ということだ。この国の地盤に原発は不可能であると証明されたばかりなのに。脳細胞と本能が分断されている。
 
 縄文時代、この列島は、世界で有数の人口密集地であった。縄文人ほどグルメを満喫した狩猟漁労採集民は存在しなかった、と言っても良い。他の人口密集地に先駆けて、土器と漆器を発明している。列島の豊かさが、和食、工芸品、和歌、小説、俳句、絵画、建築、庭園。古神道に日本独特の仏教や武士道等、世界に冠たる日本文化圏を育んだ。
 だが、近代化以降は、その宝を次々と汚染し破壊し続けてきた。特に敗戦後の経済至上主義は、目先の金以外の価値を認めず、河川は砂防ダム、電力ダム、給水ダムと三面コンクリート工法でずたずたに。森は植林単一種のグリーンデザートに。海岸線は車道と防波堤連なる万里の長城、その上、埋め立て工業団地のたれ流し。土は車道、住宅、農薬、化学肥料に圧殺された。
 
 1945年の沖縄県人の徹底抗戦と一億総玉砕の精神の源は、豊かな郷土と濃密な家族の防衛本能にある。それを現代科学と金への信仰にシフトさせるというアメリカの占領政策が、これほど功を奏するとは、当人も笑いが止まらないほど驚いているだろう。金で求めることのできない宝が、金のために潰される。喜んでその尖兵となった一部の官僚が暗躍する。有史以来の植民化パターン。これほどまでの見事に複雑に柔らかな間接統治は、史上初だろう。
 郷土の生と美が失われたら、人は都市の華美な便利さを求めて移動する。日本の現代都市は、郷土喪失の絶望的なエネルギーを元としているから、背景を失った村の寄せ集めに過ぎない。膨大な人口の交流のための都市設計は無きに等しい。その典型が首都東京である。江戸末期に訪れた西洋人が世界最先端のガーデン・シィティー、環境循環型都市であると称賛した江戸の片鱗はどこに残されているのだろう。灰燼に帰した。木造建築の集合体だったからではなく、魂が燃え尽きた。いや、元来の欠陥が露わとなったのだろう。
 
 
 元凶は世襲された階級制度にある。日本の歴史を通じて、共和制を実施したのは、戦国時代の堺の商人だけである。選挙によって選ばれた大統領、閣僚。軍隊は浪人を雇ったシヴィル・コントロール、文民統制だった。彼らの郷土は、海の通商ルートと堀を巡らした港湾都市。ただ、その市民都市が、堺のみに限定されて、中世北ドイツのハンザ同盟のような港湾都市どうしの連帯にはならなかった。
 他に、加賀の一向一揆が共和制社会を維持したが、その頂点に東本願寺が居座っていたから、天皇制の変形とも言える。
 
 階級制度は上下関係を厳しく統制すると共に、庶民が自主的なコンセンサスを形成しないようにと、都市に市民広場を設けない。江戸でも、唯一上下の隔たりの無い場所は、吉原の遊郭であった。京都も中国の長安も同じ構造だ。男尊女卑の原理も含む儒教によって統制された江戸時代。階級制度のガス抜きは、遊郭の他に、エタ非人制度がある。お伊勢参りの制度も、ハードな奉公を勤める独身男性の、社会的不満を発散させるために実施されていたようだ。
庶民が互いに考えを進歩させるための、場所も機会も与えない。考えるより遊べ、だ。大事な事はオサムレー様に任せろ、それでも平和で自然な日本独特の文明圏の形成には繋がった。士農工商のそれぞれが独自の生活文化を築いた。武士の規範が、質素、無欲、だったのは幸運だった。
 
 
 鎖国という密閉された空間で、切れ目なく50世代は洗脳されてきたのだから、政治はお上にお任せする、という風潮は遺伝子にまで刻まれているのかも知れない。福島事故以降の選挙動向を、何回かボランティアしながら渦中で見た実感だ。
 明治維新以後は、西欧の近代が一神教を軸として成されたように、天皇を万世一系の唯一神とし、薩長土肥の維新勢力が官僚、軍隊、産業界の主力となる。天皇の御神託が彼らを代弁した。
 徴兵制度、義務教育。普通選挙権が一部の男性に与えられたのは、重なる管理統制へのガス抜き程度に終わったようだ。
 結局、同じく遅れて来た帝国主義国家ドイツ、イタリアとの三国同盟締結、勝つ見込みのない対米戦争へと突入した。その過程で、外交は姑息なその場しのぎ。特に中国、朝鮮という歴史的に最も理解している筈の隣国での、民族主義の勃興を見誤った。264年間に渡った鎖国は、他国への実感を鈍化させた。
 
 もはや日本は全面降伏しかないという時に、交渉の仲介を、満州国境に兵力を集結させていたソ連を当てにしていたとは、幼児の思い込みの域を出ていない。軍事大学出身の秀才に牛耳られた参謀本部は、ソ連軍がドイツ降伏の後に満州に移動中、との信頼できる情報を、自分達のプランを妨害するものとして廃棄した。そこには、満州に移民した同胞への考慮など微塵もなかった。冷酷無知な上層部の伝統は経済界に受け継がれた。原発村はその典型だ。
 敗戦。燕尾服の天皇が、シャツの腕をまくったマッカーサーと並んで立った写真以来、階級制度の頂点はアメリカとなった。土地改革、財閥解体、女性参政権授与など、小作人や中小企業や女性など下層庶民にとって、新たなお上は救世主にも見えただろう。在日米軍基地、原子力発電所、米軍管制空域も、日米安保条約、日米地位協定、日米原子力協定という余りにも理不尽な戦後体制も、憲法を超えた神託であると甘受しているのではないだろうか。特に特権を与えられた一部の官僚はアメリカ依存を自分達の後盾としている。
 福島原発事故の後、8割の国民が2030年までに原発全廃すると決断したのも、切り崩し、忘れさせるか、諦めさせた統治能力は大和朝廷以来のものだ。川内原発再稼働反対に身体を現地に運んだ人は2000人ほどに過ぎなかった。まだ福島事故は終息していないというのに、沖縄だけが肉親の血の痛みと日常に溢れる米軍の血の臭いが、住民を団結させている。騙され続けてきた、という無念の思いがある。人間をなぶるな!現場で身に染みた沖縄人の怒り。日本人の8割が安保体制を支持しているのだから沖縄の米軍基地は本土で応分に引き受けるべきだ、と痛感した。人の身に自身を置き換える想像力と愛を持つべきだと。
 
 
 今年も忙しい旅であった。正月から玄海原発に反対して佐賀県知事選に立候補した島谷ひろゆきの応援に行った。負けたが多くの志の高い佐賀県人と親しくなった。その後、静岡、群馬、福島の原発事故四年目集会に行った。
 開通したばかりの常磐自動車道は事故現場の2キロ脇を通る。車内でも3?5マイクロシーベルト毎時、屋外はその5倍になるというのに制服だけの警官が立っている。安全標識の代わりなのだろうか。そして、タイヤやエアーフィルターに付着した放射能は全国に拡散し、平等な結果をもたらす。自身の体験では、考えたくないのか、ただ考えない状態と何もしたくない状態。いわば放射能ブラブラ病。
 島根県の西側にある温泉津(ゆのつ)という温泉は広島原爆被曝者のデトックス効果があったと、医師団が証明した、というのを聞き入浴した。それで脱力感が消えた。その体験を、2011年以来まだ居残っている人に、「とりあえず逃げてまずデトックスして、裸一貫からやり直すこと」を勧めたが、この70年間経済に特化してそれなりに成長してきた日本人だ。これまでの努力の結晶を簡単に置き去る人はほぼ居なかった。
 
 今年は居残った老人達が福島事故を忘れないように、と仏舎利(ストゥパ)を建てようとしている話に魅かれて、南相馬市の同慶寺を訪れ、毎春のウォークに参加した。脇を歩いた83才の老女は来年帰還可能な自宅に戻るため、毎日6kmを歩いて鍛えているという。 先祖の想いを最後に背負って畑に復帰するという、その気構えには脱帽するのみだった。死者とのちぎりは大地への帰還なのだろうか。そして帰宅困難地区には、ネズミとタカ・トンビ。イノシシと猿が異常に増殖している。浪江町の港は漁禁止だから、代わりに大量のカモメがうるさく漁をしていた。人間が消えると鳥獣がが増える。だが福島の場合は一時的にだろう。たぶん将来は、ひんぱんに出産するネズミだけが生き残った土地となる。チェルノブイリのように。
 戦争には段階がある。だが原発震災は突然にすべての努力を無としてしまう。福島の教訓を生かす時だ。
 
 
寸景
 
ふと立ち止まった灰色の影が手にした歩行計をしげしげと眺めている。
その足元には風の時刻表がパラパラとめくれている。
履歴書のブロック塀が囲んだ行く手の町は重金属に潰されてしまったという。
レッテル張ったりはがしたりのゲームばかりだった。
大道具小道具類が立ち枯れたままに立ち尽くしている並木道は、記憶されたことのない出口へ続いているのだろうか。
 
 
置き忘れることのなかったひと粒の涙から、
柔らかな音が生まれようとしている。
 
 
いざなりながら
ざんげしながら
溶かされていく
 
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