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「 山口と福島をつなぐ旅 」 その一
澤村浩行
 
 2013年4月 山口市。地方都市郊外に移住してから1年9ケ月たった。当初は小鳥や蛙の鳴き声だけに浸っていたが、徐々に虫の動きが気になってきた。一昨年、2011年の秋には、スズメバチとカメムシがフラフラ部屋に飛び込むので、仕方なく網戸を張った。だが昨年のカメムシは、梅雨時に大発生をして、夜には濡れたコンビニの看板を塗りつぶすかのように貼りついていた。近所の人は、この冬は寒くなるよ、と言ったが、その通りとなった。スズメバチは、昨年を通じて一匹も見ていない。
 
 春の山口盆地には、朝から雀がさえずり、夕にはコウモリも飛ぶから、虫はいるのに違いない。だが日本蜜蜂は、新種の農薬によりほぼ絶滅した、と選挙運動を共とした山間の農民が言った。そして、稲穂の鳥害調査によると、全国的には、雀が6割減少したという。大阪郊外で立ち寄った友人は、一昨年から鳴き声がほぼ消えたと言った。建築関係者によると、大量生産式のユニット家屋の軒下は、雀や燕が巣をかけられない構造となっているからしい。草地の減少もエサ不足とする。これも太陽の異変な地球の異変も含む複合的な現象なのかも知れない。僕の部屋の近くに見える古民家の二階のしっくい壁には、小さな丸い穴が開けられており、雀が頻繁に出入りする。雛がいるらしい。昔の人は、小鳥の家にまで思い遣りがあった。
 
 
 
 今年の3月、安い鈍行列車を乗り換え乗り換えして福島に行った。僕は、自然の風景と人の表情には真実が込められている、と信じて旅をしてきた。表面的な印象に過ぎないと言われるかも知れない。だが、絶対数の表層をなぞって行けば、その深味にたどり着く、と思っている。その過程に応じて具体的な接触がある。
 
 静岡県東部あたりから、鈍行列車の乗客の表情が曇りがちとなってきた。素知らぬふりをしながら不安を抑えているように見える。晴れた東海地方の春なのに、車窓に流れる景色にも、あの地方特有のゆったり感が薄れている。これまでの71年間で一番長い時を過ごした首都圏は、かって旅から戻ったとたんに、人間の存在そのものがここの自然なんだなあと、ほっとさせてくれたのだが、今回はシラケたままに通り抜けた。一人一人の存在が希薄となって巨大な寄せ集め村の文化を感じられなかった。僕自身の感覚が変わったのか、時代の流れかは知らない。いわき市近くの乗り換え駅で、夜分の突風がJR路線を長らく止めた。東北はまだ寒かった。待合室は中高年の酔っ払い、ロビーやプラットフォームは遅くの帰宅を前とした会社員や学生風にあふれていたが、そのいずれもが静まりかえっていた。もののあわれとは、このような情況なのか?と僕は寒風の吹き込むロビーで、土地人の諦め切った静けさと微かに感じる体温を共とした。
 
 本能と知性の命ずるままに、ランダムながらこの20年間ほど、集会、署名、デモに参加してきた。議員に会った、選挙運動もした。座り込みさえもしたが、福島第1原発事故は起こった。今となって、戦後の経済成長の勢いに乗ってのしあがって来た僕らの世代は、苦い思いを噛みしめる人生の終盤にいる。昨年は地元の選挙運動に2回かかわったが、いずれも負けた。それからは、心の寒さを耐え忍ぶばかりの冬だからこそ集中出来る、読書と思索に明け暮れた。歴史の本と旅をした。よくぞ春を迎えられたものだ。蘇ったフェロモンは、事故の現場からの展望をしろ、と僕の背を押した。
 
 いわき駅深夜到着。突風が町の表をホコリもろとも削り取ったのか、あるいはジェット噴水機による除洗がなされたからか、ビルの壁からもアスファルトの肌からも、人間臭さがまったく消え失せている。道路の照明だけが生きている。人影わずかな歩道をしばらく歩くと、会場のライブハウスが辺りを圧っした存在を見せつけていた。大きな映画館を改造したという建物に入る。とたんに、ロックミュージックの轟音と汗臭い若者の群れて踊る勢いが、ウワッと僕を押し戻そうとした。
 
 僕はジャズ世代だし、若者は若者だけで楽しくやればいい、だったのだが、3.11以来は感覚や世代の枠を取り払った。特に今回は、さっちゃんの結婚式を兼ねている。さっちゃんは、大きな身体と大きなハートで惜しげもなく辺りをひとまとめにハグする若い女性だ。自衛隊のイラク派兵の時、立川の自衛隊官舎の郵便受けに、イラク派兵を拒否するようにとのビラを投函して逮捕された。5年間裁判闘争を続けたが、罰金刑の有罪となった。それにもめげず、新宿高円寺のラジカル文化コミュニティ素人の乱と連がる早稲田大学文学部正門前のカフェあかね創立メンバーとなったり、国会前や渋谷新宿路上デモの先頭を切ってジャンベをたたきアッケラカンと、戦争も原発もダメなものはダメ、と主張し続けているパワフルなミュージシャンである。僕が昭島に住んでいた時には、彼女の裁判闘争支援や、立川米軍基地を撤去させた砂川闘争を記念する祭などで近所付き合いをした。今回彼女がいわき市の青年と結婚するのもシンボリックだ。関東と東北の間に弥生時代以来横たわる断層をつなぐ可愛い一歩、大切な一歩であると。おめでたい集まりに福島を訪れるのも、縁起が良い。関東東北の若いバンドとそのファンも大勢集合し、二晩連続のライブは飯つきの泊り込みだという。僕は、焼津の第5福龍丸ビキニ環礁被曝メモリアルデイと東京のビデオ編集作業の合間を利用して駆けつけることとしたのだった。さっちゃんに僕の詩を朗読してお祝いもしたかった。物語性とタイミングの符合する出逢いの旅は、そう流れていった。
 
 とりあえず、だだっ広いフロアーの隅にバックを置いて、その上に座り込む。目と耳が、めくるめくる照明と喧騒に慣れてくると、白髪化したビート族も数人紛れている。時間を逆にたどって見れば、昔の仲間だった。挨拶に一巡する。どこかしらで会ったことのある若い男女も声をかけてきた。3.11以来、世代やジェンダーや地域の枠が緩やかとなった。何事も100パーセント良いも悪いもないんだ。どんな情況でもポジティブにつながること。ここまで極まった時代の誰しもが、ともに生きている一人の人間、運命共同体の一員なのだと。ただ、出逢いの場に50歳代の影が薄いのがいつも気にかかる。バブル期に、維持発展可能な青春を焼き尽くしたのだろうか?再稼働にむけてのウォーミングアップ中なのだろうか?
 
 そしてライブ終了した丑三つ時。フロアーを浄めブルーシートを敷き詰めた。全国の仲間が作って送ってくれたベクレルゼロの食材を花婿がスタッフと奮闘して料理した友愛の甘露たる飯やらカレーやらおでんが出現した。同じ釜の飯を食う。ここまで来た甲斐がある味がする。食後の団らん。寝袋が次々とバックから這い出てきた。それがランダムにフロアーに広がったら、遊牧民の赤ん坊みたいに中身は眠っている。あぁ これがシェアリングというものだ。
 
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