photo-top 成都 西安〜開封

西安(陝西省)  05年4月



 05年4月
成都〜西安の切符
h

 西安市
 秦や漢や唐の首都長安。シルクロードの起点は今「西部大開発」の起点。陝西(せんせい)省野省都、人口250万人。郊外にはビルや工場。パンクルックの若者も。
h

 西安市
城壁の内側は文化、商業地区。住宅街はすさまじく密集している。9km四方に100万人が住んでいた唐時代の名ごりか。だが道と広場は大きい。
h

 西安市
 高さ12メートル、幅12メートルの城壁は明の時代築かれた。その城壁の外側が一周散歩コース。中には水を浸したブラッシュで漢詩を書く年配者も。
h

 西安市
 そしてその漢詩と習字の伝統は、彼らの孫らしい子供達へと伝えられている。
h

 西安市
 城内を歩いていると迷路に入った。店の品々のデザインや色が中国的でない。
h

 西安市
 白い回教帽子が目立つムスリム街だった。彼らの先祖は唐の時代にアラビアから移住した。唐とサラセン帝国は中央アジアで戦った後、共存共栄した。
h

 西安市
 中国のモスク(回教寺院)は、新彊省を除いて、すべて中国風建築となっている。この西安市の城壁内のモスクは清朝によって造られた、と記されている。モスクの看板は清真寺である。
h

 西安市
 一見すると道教の寺院のようだが、モスクらしく内部は簡素で掃き清められている。
h

 西安市
 上部に刻まれている文字はコーランのアラビア語。それだけが、ムスリム(回教)である証となっている。
h

 西安市
 明や清の時代に中国南部の湖底より採取された奇岩がもてはやされ庭園を飾ったが、モスクでも小さいながらその影響が見られる。
h

 西安市
 建築専攻らしい大学生が、熱心に中国風モスクの設計を紙面に表わしていた。
h

 西安市
 今日は日曜日である。スモッグも晴れた。城壁の外側を一周する公園では、朝一番に鳥の鳴き声を競う市民が集った。
h

 西安市
 デリカシーのない鳴き声だが、各々の鳥は異なったさえずりを大声でする。
h

 西安市
 そして勿論中国名物の朝の太極拳。どの町でも広場では大勢がやるが、このように夫婦らしきの太極拳もある。
h

 西安市
 エアロビックスの大行進。テープ音楽が付き添っている。
h

 西安市
 旗振りの大行進も続く。
h

 西安市
 にぎやかな城壁外側の公園で、ただ樹と気を通じる静かな老人。
h

 西安市
 ただ立っている。
h

 西安市
 彼は天に向かって吠えているだけである。
h

 西安市
 コマを糸に渡し続ける妙技。
h

 西安市
 突然に銅鑼がなった。正面の男が激しくシンバルで拍子をとり、バンドに喝を入れた。
h

 西安市
 胡弓に合わせて歌う女性は、身ぶりもしなやか、歌声が切々と迫ってくる。客は老人がほとんどだが若い女性が唄うと若者が集まる。
h

 西安市
 男の歌は龍の雄叫びのごとし。この老人が最も迫力があった。生地の良い人民服を着ていることから、老兵(ラオピン)と呼ばれている。元革命戦士の英雄か。
h

 西安市
 一面の麦畑を抜いて兵馬俑(始皇帝の墓)へと行く。
h

 西安市
 兵馬俑の訪問者はほとんどが中国人である。そしてその表情は誇りに満ちている。
h

 西安市
 入口近くの花園で中国人が名所で必ず撮るスナップを僕もした。
h

 西安市
 入場券は日本円にして1170円。
h

 西安市
 70万人の囚人を動員して造られた兵馬俑抗(へいばようこう)。現実の兵士を再現したから、各人が異なった表情をしている。
h

 西安市
 兵士は皆、東を向いている。その通り敵は東から来た。始皇帝は彼の王朝が1万年間続くと信じたが、死後数年にして劉邦が来た。そして項羽はこの墓も西安市も略奪し尽くした。
h

 西安市
 勿論、世界中の観光客相手に各国語のガイドが活躍している。

photo-top 成都 西安〜開封