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恨   ハン 


 韓国人(朝鮮人)のの心の中にある恨(ハン)を、いつでも改善しなければならないというのが、正義だという。それは朱子学教えだそうです。

 朝鮮半島が近代化に遅れたこと、日本に併合されたこと。それらは恨なのです。そしてそれを是正する行為、反日の政治行為は正義と認定される訳です。

 こう見ると文政権や左派の活動家の根本的な行動原理が多少分かると思います。

 問題はそれ以上掘り下げていないことです。日本との二国間の比較に終始していることです。比較して恨に思うこと自体が無意味です。歴史的な中華世界という枠みでしか見られない偏狭さです。

 歴史が違えば与えられた条件も違います。比較しなければ良いのです。世界から韓国は良い国面白い国と思わせたらそれで良いのです。

 世界の国々を見て、韓国にあったものを学び、この国にしかないものを伸ばせば良いだけです。

 こういうことを言い出し始めている韓国人います。まだ政治的に封じられているのが現状で残念なことです。
2019.6.5  Mamoru Muto

 韓国の政治と韓国人とは別です。一人一人は僕らと同じく、千差万別の考えのもとに生活しています。


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 民主化が始まって30年、市民団体の要求で政策決めるといっても、日常的レベルのこまかいこととなると、まだまだ手が届かないのが現状でしょう。
 朝鮮半島は男性社会なのでしょう。大きな大きな声で主張した方が勝ち。日本のように、綿密に計算して、少しずつ進めるのではなく、はじからドカンとやり、うまく行かないなら後から直す。と言った具合なんでしょう。日本は悪と決めつけ、思い込みだけで押しきる、何とも恐ろしい発想です。
 日本語の「遺憾に思う」等の婉曲な言い方は、反省や謝罪の言葉としては認識されない。
もっと強う言葉やノーと言うことをはっきり言うこと。時には物理適地からも必要です。

 敵勢力は徹底的に打ちのめす。それが新たな恨みを持たせ、政権が変わると逆襲される。 なにやら朝鮮王朝時代の両班の派閥闘争となんら変わっていないという事でしょう。

 古代南朝鮮半島と日本の北九州、山陰などは同じ民族で、宗教や社会の仕組みなどあまり大差はなかった。スサノオを始め、多くの神様が、信仰する人々と共に日本にやってきまです。その後、日本と朝鮮半島は別々の国に分かれ、千年以上の時が流れる内に、随分と国民の基本的な心情も変わってしまったのでしょう。

 日本には「水に流す」と言い方があり、一定期間が過ぎると、リセットする。神々のなせる技として、神様に預けてしまう。日本人の内輪でしか通用しないと言うことですね。
 しかし、原爆の被害者、沖縄戦の犠牲者などの、より普遍的な価値から見る視点は是非学んで欲しいですね。加害、被害者と立場に終始しするのではなく、平和という視点からは、共に心の傷を負っているわけですから。 (ま)

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