思い出すまま -206 /  prev top next

 中国、成長経済の終わり
 大手民間の不動産会社が、幾つも破綻に瀕しています。中国政府は破綻すれば、住宅の購入契約したした人々。関連の企業などへの影響が大きいので、連鎖倒産を防ぐという理由で、中国政府は倒産を認めていません。
 だから、恒大はニューヨークの裁判所に破綻を申請し、巨大な会社の一部でも、整理しようとしているのです。
 本来なら中国の銀行から巨大な融資をして、巨大な不動産会社を分割、再生可能なものは再生、無理なものは破綻させる。のですが、中国政府をやろうとしていません。
 
 政府の官僚たちはまだ、好景気の夢の中にいるのかもそれません。金融緩和すれば、景気が復活して、不良債権も少なくなると本気で思っているのかも知れません。中国経済は大きな曲がり角に来ていることを、あえて分からないそぶりかも知れません。

空き缶で作った風車を、自転車につけて
走る、おばさんに出会った。10/2

 中国は社会主義の国です。恒大などの民間企業の他に、地方政府が管轄する融資平台なる企業から多額の資金が、不動産に投資されて来ました。民間の不動産会社の破綻は、その各地の融資平台の破綻はと広がり、地方政府の破綻につながるのです。
 また、中国は社会主義の国で、土地は国家のものです。地方政府は土地の使用権といつ名目で、不動産開発により膨大な資金が入ってくるのです。経済成長の資金源はここにあったのです。しかし、不動産バブルが崩壊は、このメカニズムの崩壊につながります。新規の土地の貸し出しが止まれば、経済成長の資金が枯渇し、地方政府は財政破綻するということです。バブル経済の甘い汁になれてきた、高官達はあえて不景気の到来を、認めたくないのでしょう。
 
 習近平政権が、不動産バブル崩壊に後ろ向きなのは、対策立てようにも、立てられないかもしれません。胡錦濤派、江沢民派排除した今日、経済を託せる専門家は、習近平の側近の中にはおりません。時間が経てば経つほど、問題は深刻になるということでしょう。
 
 習近平は愚かな政治家。
 主席になった習の責任は重い。派閥闘争に明け暮れ、鄧小平の党改革を反古にてしまった。別の人間に主席譲っていれば、新たな政策も容易に出せたかもしれません。習近平の復古調の現在の経済危機を乗り越えることは出来ません。現在の経済危機は誰も良い政策など出せません。やりながら修正を重ねて行くほかないのです。習近平という愚かな政治家により、中国はより長い低迷の時間をかかるということです。
 
一路一帯構想の失敗
 今年の10月に加盟国の総会がありました。もはやこの経済政策の裏の顔が見えて、来ました。存続できるのかどうか危ゆくなりつつあります。
 鳴物入りで始まったこの経済政策の十年後の結果は、中国だけ儲けて、他の加盟国は利益が回らない。加盟国の負債が膨らむ。と言ったものです。開発途上国の経済に寄与するのではなく、先行き下火なるだろうと予想される中国経済を、世界展開することにより、延命させるという事が、真の目的だったと見えてしまったということです。
 プロジェクトの返済が高金利であること。事業は、中国企業と中国からの労働者により担われ、現地国の企業の労働者の採用がないこと。プロジェクトの採算計画が甘く、不利債権が予想されていた。などなどです。
 完成し、採算が取れなくとも、その責任は現地国が負うので、中国は損しないからくりなのです。
 
 情報統制と情報の隠蔽、改竄
 この国の不動産バブル崩壊一番の対策が情報統制です。地方の不動会社の破綻を報道せず、その地方人だけが知ることにする。不動産価格の下落を他の省に広がるの防ぎ、連鎖倒産を防ぐ。です。
 それは本質的解決にはなれません。時間の引き伸ばしと、問題の深刻化が進むだけです。
 
 また、経済の様々な指標は、政府の目標計画と大差ないレベルに改竄される。嘘の発表により、中国経済はまだ安全圏範囲内だと、国民ににんしさせ、国民のパニックを抑えています。
 これも、本質的な経済対策とは程遠いものです。結局は問題処理を遅らせ、その負担は国民が負うことなると思います。
 
 駐日アメリカ大使のラーム・エマニュエルさんが、中国の福島原発処理水批判に対して、日本と中国の違いは情報の透明性がが確保されているかどうかだ。中国を批判されていますね。
 コロナ禍で中国は隠蔽するから信用されないわけで、福島原発では、日本は隠しごとがないので世界から信頼されている。と。

フェスブックからの画像 こんな雲はまず撮れませんね。 


 日本は女社会???
 
 九月に内閣改造があった。女の大臣は五人。しかし副大臣、政務官はゼロ。なんとも寒々しい。自民党は女の政治家を認めていない。男性中心の政党です。
 週刊誌で、自民党の女性議員が観光旅行が大きく批判されました。自民党の女性議員達も意識が貧弱ということです。フランスに行ったら、フランスの制度を具体的調査し、フランスの女性議員と討論するのが本来の仕事でしように。
 
 しかし、日本の歴史や社会を見ると、女性的なものが色濃く残っていて、朝鮮半島や中国と比べたら、日本は女性的な国だと、僕は思っています。
 生真面目さ、清潔癖、細かいところに気づく、他人への心使い、とか女性の持つ性格です。また、制度面でも、平安時代後半から男性中心の「家」を基礎とした社会になるのですが、妻の存在は大きく、主人が病気や死亡した時、その妻は夫の全権を持つのです。鎌倉幕府は、頼朝の代行である北条政子により存続できたのです。
 日本には何百年も続く老舗が多いのも、妻の力が大きいことと、古代の婿取り婚による、家業の継続ができたからです。男の後継者がいなくても、娘が家業を引き継ぎ、優秀な婿をもらうことにより、家の継続ができたからです。
 米沢藩の上杉鷹山は婿入り殿様です。
 
 「女性は表に出ず、家を支える」その美徳が、まだまだ社会や女性達を支配しているのでしょうね。恐らくね。
 古代の神話でも、自らが将軍として戦いに赴くのは少なく、英雄を助ける側回る事多いですからね。天照や卑弥呼も自ら行動するよりは、その存在そのものが、人々の安心を与えた。という性格ですからね。
 
 女性問題も、ヨーロッパ制度を日本に移せば良いわけはありません。歴史や伝統が違うわけですから、日本的、アジア的に修正すべきですが、深く議論して初めて分かることです。
 
 
 パレスチナ
 日本にいてパレスチナの問題は分かりにくい。十月に入り、ハマスのテロから一気に戦争モードなって来ました。
 基本的なことを確認しておきましょうか。現在この地に住んでいるパレスチナ人は、古代ユダヤ人の子孫です。イスラム教に改修したので、パレスチナ人と言っています。また、イスライルにいるユダヤ人は古代ユダヤ人の子孫もいますが、ヨーロッパを放浪している間に、様々な人種と混ざり合い、古代ユダヤ人の子孫、直系とは言いがたいですね。しかしユダヤ教を守って来たので、その点はパレスチナ人と違います。
 
 第二次世界大戦後、ユダヤ人がこの地にイスライルを建国します。その為パレスチナ人は追われる立場になったのです。ユダヤ人は経済力があり、特にアメリカに拠点を置き、アメリカの民主、共和の政党に資金を献金して、アメリカ政府を親イスラエル派にしています。パレスチナを支援するイスラム諸国と、常に対立して来た訳です。結局、力=経済力です。後からやってきたのです。ユダヤ人はもう少し遠慮すべきです。
 今回の事件その対立の一つです。問題は複雑で、なかなか解決策は見えてきません。
 
 ウクライナ
 膠着状態のままなかなか動きませんね。ウクライナ軍はNATOの影響で、兵士を大切に扱っています。前線の兵士は、疲れが溜まった頃、新たな兵士と交代しています。それに反して、ロシア軍は旧来の戦法で、兵士の扱いが粗雑です。兵器や弾丸とあなじ扱いです。士気が低下するのは、疲労困憊しているからです。
 こちらも遠くから眺めているだけです。少しでも早くウクライナに勝たせたいと思っています。
え・ちえ 
 
 室町時代
 室町時代には多くの戦国英雄など出て、彼等が歴史を作ったという事で話題の中心です。しかしその彼らを支えたのは農民であり町人だったのです。外国観光客が、日本は綺麗、公共性が高い、優しく親切である、等々を高く評価しますが、室町時代の庶民、農民や町人が作り出した意識や倫理観なのです。江戸、明治時代から現在と、日本人を表す特徴になったのです。その証拠に日本に来た宣教師が、日本人の勤勉さに感動しています。
 当時の農村は南北朝あたりから変わり始めます。その頃は、皇族、公家や神社仏閣所有する荘園で生活していたのですが、その中の村、荘園より一回り小さなが徐々に力を持つようなります。惣村運動が起こり、荘園から独立するようになるのです。そこには農民だけではなく、地侍といった武士、職人、商人なども一緒に生活していたのです。そして、寄り合いによる合議制で運営される用になるのです。また、都会では職人や商人が、市や座言われた協同組合を組織して団結することになります。千利休の堺は町人達が運営する町で、防御のための堀まで備えた都市でした。
 
 そこで、惣村、座や市作れられた法律、掟が今日の日本人の性格を決めたのです。更に、村は戦う村でした。必要とあらば、大名とも戦ったのです。戦闘訓練の出来た地侍、足軽などで合戦参加したし人々がいましたので、組織化せれば、一定の戦力のある軍団も可能だったのです。一揆は武装行動、軍事行動だったのです。
 農民の支持を得られなかった大名は皆没落して行きます。農民の支持を得た大名だけが、戦国大名として生き残ったのです。こういった基本組織が出来たので、平和な江戸時代になると、生産活動に専念できるようになり、豊かさを享受して、町人文化が花開くのです。
 室町時代は、庶民、農民や職人、商人の時代だったと言う視点で見るとより一層面白い時代だったのです。
 

思い出すまま -206 /  prev top next