思い出すまま - No156 /  prev top next

 TPPとAIIB(アジアインフラ投資銀行)
 中国が打ち出した、AIIB(アジアインフラ投資銀行)は、現在世界の金融を仕切っているとIMF体制と言われるドル建て市場に、新たな極を追加する意味合いがあります。世界銀行やIMFやアジア開発銀行に中国も参加しているのですが、アメリカや日本に比べ出資比率が低く、発言力が低い訳です。経済規模が大きくなるに従い、中国の出資金を増額し、影響力の増大を中国政府は要求して来たのですが、中国の発言力を警戒するアメリカは、中国経済の不透明性を理由に、アメリカ上院で否決された経緯があり、なら新たに中国政府が中心になる世界銀行を創設しようとしたのが、AIIBなのです。
 今後予想されるアジアの開発途上国のインフラ整備には100兆ドルという膨大な資金が必要です。現在ある世界銀行、IMF、アジア開発銀行の融資には厳格な審査が必要で、多くの途上国のインフラ整備事業はその審査に合格しないという問題を抱えています。そこに中国は目を付けたと言うことです。AIIBの融資基準を緩やかにしてアジアの眠るインフラ整備事業掘り起こそうという狙いです。
 
 しかしそこには多くの問題があります。中国国内の金融市場が未成熟な現状で、世界銀行の運営は能力不足であること。国内のインフラ事業が一段落した現在、膨大な国内業者の次の仕事先として世界進出を狙ってるのですが、中国の企業は信頼性に欠ける。そこでAIIBという後ろ盾が必要になった。ということですが、途上国の必要性より中国国内の必要性が優先されるのは大きな疑問があります。
 今回イギリスの参加を皮切りにヨーロッパ諸国がAIIBに雪崩を打って参加しました。それはその膨大なインフラ事業への参加を見込んでのことといわれていますが、ただ僕はそれだけではなく、アメリカの政界経済支配、ドル経済への反発、リーマンショクのようなドル経済に振り回されるリスクの回避があるのだろう思います。
 AIIBに関しは、将来の方向性としては正しいのですが、そんな短期間で作れるものではない、五年、十年と時間をかけるべきもの、早すぎます。後から大きな問題が出てくるのだろうと思います。参加を見合わせている日本政府の態度は正しいのだと思います。
 
 日本ではTPP参加は日本の農業の衰退をともたらすものとそこだけ関心がいっていますが、この巨大な経済圏の及ぼす世界経済への影響についてはあまり論じられていません。
 TPPはEU経済圏の成立に伴い生まれたのですが、アメリカ、日本の参加により大きく意味が変わりました。ドル経済の優位性維持が最大の目的になったのです。未成熟な中国、インドなどにとっては当分参加は出来ません。経済規模は大きくなったが、まだまだ保護をしないと、国内産業が外国資本に食いつぶされてしまうからです。EU経済圏の拡大がロシアを追い詰めた、そういう危機感が中国政府にはあるのです。
 
 かって、20世紀の始め、世界恐慌があり、先進国は植民地諸国との経済圏強化で対応した。植民地を持たない日本やドイツは軍事力で他国を侵略した。現在のEUやTPP経済圏はかっての大英帝国、フランスと比較して考えるべき問題かも知れません。世界は狭くなり過ぎ、過去の大戦を原因を作った保護貿易が懸念せれることはあったが、そうはならずに来た。益々関税の障壁は低くなりつつありますが、それに伴う問題も深刻になりつつあります。
 
 
 中国、、、
 中国について一番僕が望むのは、情報公開です。共産党の一党独裁の根拠はもう失っているので、民主化はそのための不可欠なことです。人間の幸せは、皆んな違う。価値観を一定方向にコントロールする社会に未来はありません。
 
 この国は人口が多く、多くの民族も抱えています。中華世界という世界は、長くこれで完結した世界だったのです。今まで半ば鎖国をしていた訳で、僕らの常識とこの国の常識とかけ離れたたままの部分も残っているのです。グーグルなど海外情報が撤退する中、独自の情報メディアが公的メディアとのバランスを取りながら存在しています。彼等は海外メディアの真似でしかなく、自由化してら海外メディアに勝てるものではありませんので、情報の完全自由化には恐らく反対する可能性もあります。
 今、中国が安定政権です居れるのは、「明日は更に豊かになる」という幻想です。経済成長率が更に減速すれば、一党支配は益々不安定となり、崩壊するでしょう。中国政府が恐れる混乱は避けて通れない必然だと思います。
 
 日本ならもうとっくに土地バブルは崩壊しているのですが、それが中々表面化しないのは、政府にまだ資金的余裕があり、表面化するのを様々な方法で阻止しているからです。資金の余裕が底をついた時、経済崩壊が起こるのだと思います。経済崩壊が起これば、一党支配を維持することは困難となります。
 様々な情報が出てきて、様々な分析が出てくる他の国ならある程度予想はできるのですが。嘘の多いこの国の情報から先行きを予想するのは至難の技です。
 中国の一番の弱点は自由経済としは技術もシステムもまだ開発途上であること。社会主義でありながら、格差が非常に大きいということです。開発解放のやり方を急ぎ過ぎたのではないでしょうか。社会主義体制を維持するなら、できるだけ格差を作らないやり方があったのではないかとも思います。格差が小さければ、経済失速しても、社会不安は余り増大しないのですが、自由経済の恐ろしさを知らない指導者にそこまで要求するのは少し無理かも知れない。
 
 僕には、経済のデフォルトと共に政治のデフォルトが近ずいてあるように思えるのですが。例えば中国の高速鉄道、第一が速度で安全性は二番目。こんな価値観なら無い方がマヒ。中国の抱えるコンプレックスの裏返しの発想です。早いだけなら飛行機で行けばいい。安全性こそが最大のサービスなのだが、その根に潜む人間無視こそ最大な課題です。
 現在の中国の政治はバブル崩壊以前の日本というより、敗戦前の日本に似ているかも知れません。海洋進出だったり、AIIBだったりとか、現在の国際社会のルールを変更しようとしている姿は、かっての日本、大東亜共栄圏を掲げ、欧米の世界支配に反抗したかっての日本に似ているようにも、見えてきます。
 力による支配はいずれ力により崩壊します、大切なのソフト、より良い技術や社会システム、文化でなければ人は変わりせん。その準備する力はまだまだ不足しているので、力で押し切ろうとしているのです。
 日本人は恐ろしい。
 敗戦色濃くなった第二次大戦末期に、アメリカの戦艦への自爆攻撃がなされた。そして多くの青年が命を落とした。それから半世紀経ち、圧倒的に兵力の差のある敵に対して、自爆攻撃を初めてのは、パレスチナのガサ地区を支配するハマスの軍事組織である。そして現在、世界を震い上がらせているイスラム過激派の代名詞が、日本軍の始めたこの自爆攻撃である。
 誤解してはならないことは、ハマスはイスラム教に則った互助組織がメインで、軍事部門はその一部でしかない。恐らく自爆攻撃がヨーロッパの抵抗戦術なら、ハマスは採用しなかったでしょう。日本の文化に同じアジア人として敬意を払っていたし、滅私奉公の文化に共通点を見つけたので採用してのだと思います。
 
 今回本を読んでいて、第二次大戦時に急遽作られた作戦ではなく、江戸期にその作戦が準備されていた事が分かった。それは実行せれる事はなかったが。当時、佐賀藩、福岡藩は交代で、長崎出島警護の任務に当たっていた。外国貿易をオランダ一本に絞ったので、ポルトガル、イスパニアなどからの報復を想定しての事です。火砲など兵力に劣る日本軍の最終兵器として「捨て足軽」なる組織を準備していたのです。身体に爆薬を巻きつけ、外国艦船に近づき自爆するという組織である。
 こんな怖い組織を持つ両藩が他藩より外国の事情にも詳しかった訳です。幕末期、本気で長州討伐に当たっていたら、長州の勝ち目は有りません。幕府の敗色が決まると、官軍に大軍団を新政府送り、身の切り替え方は早かった。
 
砂糖
 お茶の歴史を調べていたら砂糖にたどり着いた。前号でコーヒー、紅茶、ココアの近代史について書きました。そこでなくてはならないものはが、サトウキビから作る砂糖です。これらはヨーロッパ近代、そして現代史になくてはならない、食べ物なのです。砂糖の普及と市民社会の成長は重なります。市民革命と産業革命による市民文化が近代社会の光の部分なら、それを支えた植民地とそこでの奴隷労働は闇の部分です。植民地からもたらされる様々な産品、その代表格がコーヒー、紅茶、ココアであるし、砂糖はその中心だったのです。
 
 砂糖もお茶類も始めて薬として知られ、貴族層の嗜好品として広がったのですが、広く庶民に広がる為には、砂糖と結びつくことより、女性や子供も飲料可能になった事とが考えられます。そして植民地でのプランテーション、奴隷労働による安価と大量生産なしには語れません。
 サトウキビはインド原産で、アレクサンダーのインド遠征の頃からヨーロッパで知られていました。16世紀頃に地中海のおんだんな島々で作られていました。その頃は万能薬、貴族の嗜好品で、庶民が日常的に味わうものではありせんでした。17、18世紀にカリブ海やブラジルにサトウキビのプランテーションが開かれるに至って、アフリカの奴隷労働により、大量に安価な食品となったのです。それはコーヒー、紅茶、そしてココアが庶民に浸透してゆく起爆剤となったのです。それは、イギリスがスペインやポルトガルから世界の海を支配する過程と重なります。
 
 奴隷貿易はイギリスが海上覇権をスペインから奪う為に始まり、イギリスの市民社会の成熟と共に、反奴隷運動がイギリスから起こり19世紀後半に奴隷制は終わるのですが、その後遺症は今日まで残っていることは皆さんの承知のことと思います。ちなみに、プランテーションの奴隷労働廃止を機に日本を始めアジアからの移民が盛んに勧められたことも、忘れてはなりません。
 
 ダイエットブームが起こるまでは、「甘み」は豊かさのシンボルでした。正月やお祭りには甘いお菓子をもらえることが子供達の最大の楽しみでした。近代化による豊かさは、砂糖を存分に使えることだったのです。
 
 
 七夕とお盆
 七夕もお盆も太陽暦の7月7日、15日となると大きく意味合いが変わってしまいます。7日は別名は星祭。梅雨の明けない太陽暦では意味を成さないのです。竹に短冊を飾るのは、竹の秋を過ぎ新葉が大きく成長した竹いうの生命力にあやかろうとしたからです。そして、お盆は施餓鬼なんです。中国で先祖崇拝の伝統と集合し、先祖供養となったのです。
 七夕は節句のひとつ、季節の変わり目のお祭りです。お盆と一緒に中国からやって来た行事ですが、日本に定着して日本風にどんどん中身が変化してきました。これらの行事が中国から入る前、日本では夏まりが各地で盛大に行われていたのです。相撲を開催したり、麦縄(昔のうどん)を食べる。とか、春の農繁期の終了と、麦や夏野菜の収穫祭として行われていたのです。中国の行事が定着する過程で、収穫祭の要素がどんどん追加されたのです。
 七夕で夏野菜を飾る。麦縄を食べる。お盆では仏壇に夏野菜を飾る。盆踊りを村全体で踊る。などなどは収穫祭の意味合いが色濃く残るものです。盆踊りは、庶民に仏教が定着した鎌倉室町時代に風流舞として定着しました。当時一斉を風靡した念仏踊りの影響がとても強いのです。当時、都の荘園領主が視察にやって来て、風流舞が都の能役者に劣らない。と絶賛した記録が残っています。農繁期の暇な時に練習を欠かさない程、人々このお祭りをたのしみにしていたのでしょう。
 
 
 日本の百姓=庶民
 中国人がたくさん日本を訪れるようになり、環境や治安の良さや、日本人の気遣いや法を守ることなど日本の当たり前に感心して帰って行きます。そんな生真面目さ、人への気遣いといったものがいつ作られたのかというと、江戸時代以前の庶民=百姓の生活に行き当たります。
 韓国人は「良い法律かどうか自分で判断して守るか守らないか決める。」中国人は「法律を出した政府の意図を考えてからどう対処するか決める。」赤信号で車が来なければ渡る大阪人と青まで待つ東京人。これらの性格の違いには長い歴史的背景がありそうです。
 
 江戸時代までに日本の社会は奴婢といった貴族に隷属する階層は消滅しました。士農工商という身分制の中で、それ以外の穢多、非人はいたのですが、階層を作るほどの人口はいなかったのです。農村部では百姓、都市部では町人が全体の95%以上を占めていました。村や町は基本的に農民や町人の自治「寄り合い」が成立していて、それが治安や公共サービスを保証していた。のですが。武士は基本的にその寄り合いの中へは関与しなかったのです。
百姓は百姓の中での経済格差はありました。大名へ多額のお金を貸す大地主がいたり、一方零細な小作人がいたりと、しかし経済を超えた、宗教や人種的差別がなかったことは、社会の安定上は非常に大きいのです。
 穢多、非人とか差別階級がたくさんいると、本来は村そのもの問題を彼らの責任へと転化され、寄り合いの自己変革機能が機能が損なわれがちになります。李王朝や清朝は奴婢階級が二割三割存在しました。西洋文明が押し寄せ、社会変革が必要になった時期、大きな足枷となったのです。
 明治政府がいち早く、一部の貴族と大多数の平民と身分制改革ができたのは、それ以前に均一な社会がすでに出来上がっていたからです。
 
 日本人は真面目で法律を守るというのは、村の寄り合いの機能がうまくいっていて、自分たちで決めたルールは守るという意識が発達していたからです。幕府の出す法令はむらのし実情情に合わなければ、執行猶予状態、立前だけというのも大きかったと思われます。村の掟との間に大きな矛盾が少なかったからです。
 戦国時代末期には日本人の7割が名字を持っていました。江戸時代は百姓は原則名字は持てませんでしたが、それは表の話で、実際は先祖伝来の名字を使っていました。それは家が庶民の中で自立していたということです。日本人の気遣いは、自立した百姓や町人同士が、他人に対する配慮といて日常生活の中で基本的なルールとして存在していたからです。
 
 
 どうなる安保法案
 やっと、国民もマスコミも目が覚めて、ものが見えてきたようです。
 大震災と原発事故から抜け出しばかりの頃、アベノミクスと言う美味しそうなエサをぶら下げられ、気持ちが動いた。と言うのが、安倍政権成立の背景です。彼の掲げるタカ派路線の意味する事など、あまり考えなかった、と言うのが、一般国民の心情でしょう。
 経済政策について、宣伝効果通りには行かない、期待ハズレと分かってきたと思います。地道に一つ一つ積み上げることしか、未来は開けません。アベノミクスがリスクを伴うマネーゲームに陥らなければと心配するばかりです。出てくる政策が時代遅れ、新鮮さを欠くものばかり。
 
 ひとつ嬉しいのは、若者のデモ参加者が日増しに増えているとのこと。僕らの時そうだった。若者は大人の理屈じゃない。勘ですよ。僕らの頃は無理して理屈を付けていた。それは間違いです。若者は勘で、感性で動けばいいのです。

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