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 お茶(紅茶、コーヒー、ココア)
 面白いですね、お茶、コーヒー、ココアと代表的な飲み物の近代史は。ヨーロッパの近代史の中で世界に広まったのですが、これらがなくては、近代史は変わってしまったかも知れない程の影響力のあった飲み物なのです。米や麦やジャガイモならば、なければ飢えて生きていけないものではないのですが。
 大航海時代までは、世界の産地近くでしか飲まれていなかったものです。それまではリラックスするためにはワイン、ビールなどのアルコール類でした。近代になり生まれた習慣が「お茶」(紅茶、コーヒー、ココア)という文化です。お茶は近代という精神文化にはなくてはならないもの、近世という世紀を作ったと言っても過言でない、近世の本質に関わる食文化なのです。
 
 ヨーロッパ人がお茶(緑茶)に出会ったのは、大航海時代、日本の戦国時代、ボルトガル人が「茶の湯」に出会ってからです。また中国茶にもこの頃出会いました。それを持ち帰り、王侯貴族に広まったったのが始まりです。そしてこの時期にイスラム社会からコーヒー、中米からココアも伝わることなります。
 ヨーロッパ人は初めは緑茶を飲んでいたのですが、様々な中国茶の中から発酵茶を見付け、そこに砂糖やミルクを入れる、紅茶のスタイルが主にイギリスで確立されることになり、この飲料スタイルが世界に広まります。
またコーヒーも砂糖とミルク、カフェ・オ・レがフランス、オーストリアで定着するわけです。ココアも砂糖とミルクとして、上流社会で飲まれるようになります。ここで共通したもの、「砂糖」という甘味料がその普及になくてはならない添加物なのです。上流社会から庶民、女性や子供への普及は、「砂糖」の普及と平行することになります。
 
 コーヒーはまずイスラム教忌諱飲料の疑いが晴れずなかなか広まらなかったのですが、15、16世紀に徐々にそれも取れ、イスラム圏に広まりました。その頃オスマン帝国がアラビア半島まで勢力圏と拡大し、宗教的偏見のないトルコ人が帝国全土広めることになります。庶民化の一歩は、貴族のサロンを真似た、「コーヒーの家」がイスタンブールに生まれたことからです。それがヨーロッパにも伝えられ、ロンドンにコーヒーハウス、パリにカフェができることになるのです。
 そこは市民達のサロン、いわゆる「バプリック」(市民達が集う公の場所)となるのです。この場所からヨーロッパ近代、市民革命と産業革命になくてはならないものが生まれます。すなわち、ロンドンのコーヒーハウスからは郵便制度、新聞、株式市場、保険会社、が生まれ、そして革命の思想はじめ近代の思想が生まれることになったのです。また、フランス大革命は各党派がカフェを拠点とした、カフェ発の革命だったのです。
 
 コーヒーと紅茶の広まり方にイギリスと大陸とでは違いがありました。始めコーヒーが優勢だったのですが、イギリスでは徐々に紅茶が、コーヒーハウスではなく家庭で多く飲めれるようになります。それに反して大陸では今日までコーヒーの優勢は変わりません。そこにはこれらの飲料を主婦がどちらを家庭で採用したかによります。
 何故、イギリスには紅茶のほうご優勢になったかは、東インド会社の中国との貿易、ミルクティーの普及、水が軟水でお茶に適していたこと。などが考えられます。女性の地位向上と共に、外でコーヒー飲む習慣が、家で紅茶を飲む習慣へと変化したのは面白い。
 フランスにコーヒーの方が定着したのは、先にコーヒーが広まったイスラム社会に近かったこと。水が硬水。いち早くカフェ・オ・レという飲み方が確立して、女性達がすぐに受け入れたからです。新しい社交場カフェが、酒場に代わり、近代的思想を論じる場所なったことはイギリスとかわりありません。
 また、オーストリアはウイーンを包囲したオスマン帝国軍が大量のコーヒーを置いて撤退したことが始まりです。カフェでカフェ・オ・レとフランスと同じです。ビールの国ドイツはやや遅れてコーヒーが定着します。
 
 皮肉な事は、人権思想を生み出したこれらの飲料が、人権を否定する奴隷労働や、低賃金のこれらプランテーションにより支えられていたと言うことです。貴族から庶民に広まるためには、桁違いの需要と低価格が必要条件です。それを可能にしたのが植民地での奴隷、低賃金労働者です。お茶を飲むことにより生まれた、人権や民主主義といった思想がこれら植民地まで及ぶのは、20世紀まで待たなくてはなりませんでした。
 エチオピアからアラビア半島イエメンにコーヒーの木がもたらされたの早かったのですが、それがイスラム社会にコーヒーが普及する為には数世紀の時間が必要でした。宗教的禁止食品に該当する可能性があったからです。長くワインと同列に扱われ、神秘派の飲み物として扱われ徐々にしか広まらなかったのです。15世紀頃まで煎った豆は炭で、禁止食品だったのです。ある炭では無いという判断が下されて初めて、普及することになります。
 日本では、明治の20年代、体力向上を目指してミルクが奨励され、当時乳臭いと敬遠されたので、コーヒーを入れ、カフェ・オ・レならず、コーヒー牛乳が一般的なコーヒーのは始まりです。大正時代にカフェが出来ますが、女給の接待の方が優先され、いかがわしさがつきまとった。
 本格的な普及は敗戦後ですね。食生活の洋風化と共に浸透しました。喫茶店が六十年、七十年代の学生、市民運動の溜まり場なったのも、カフェやコーヒーハウスの成立当初面影と重なるのは面白い。
 
 ココアとチョコレート
 ココアも大航海時代にヨーロッパにもたらされたのですが、長らく貴族の飲み物としは愛用されていいましたが、庶民には手の届かない飲み物でした。19世紀後半になると、砂糖の価格が下がるのと合わせ庶民の飲み物としても広まることになりす。その過程でチョコレートが作られ、今日のお菓子の王様の地位まで上ることになります。
 ここで記しておかなければならないことは、庶民用のココア、チョコレートを開発普及した人々0は、イギリスの場合、同時に大きな社会貢献をしてきたということです。キットカットで知られる、ロウントリー社の創業者と後継者は、クェーカー教徒で、ココアの開発と共に、奴隷貿易の廃止運動を皮切りに貧困問題に取り組み、自社の労働環境の向上に努めたということです。老後年金の創設、労働者者の経営参加、労働者住宅の建設など先駆けて行ったのです。第二次大戦後イギリスが福祉国家と言われる基礎の一端を担った。ということです。
田園住宅、田園都市といった労働者向け住宅の建設の理念は、大正時代に日本にも輸入され、郊外開発のモデルとなったのです。国立、自由が丘、田園調布、などイギリスの田園都市をモデルにした都市計画です。
 
 アヘン戦争
 産業革命に裕福な市民が増加すると共に、紅茶喫茶が一般化して、爆発的に需要が伸びました。イギリスは東インド会社を通して清朝政府との間に紅茶貿易の独占権を持っていたのですが、清朝政府は再三の使節訪問にもかかわらず、自由貿易、産業革命でもたらされた綿織り物、毛織物、機械などの輸入を拒み続けました。イギリスの対中国貿易は慢性的に膨大な赤字を生むことになるのです。
 そこで、東インド会社はインドにお茶の木を移植して、お茶栽培を試みるのですがなかなか軌道に乗らない。そこで考え出されたのが、闇の貿易商を使い、インドで栽培した阿片を中国に輸出して、貿易赤字の埋め合わせをするという方法です。阿片は瞬く間に中国全土に広がり、怒った清朝政府との間に戦争となる訳です。
清朝政府は日本と同様、出て行く物はあまり制限を加えず、入る物は、安定した支配が崩れる恐れがあるので、極力制限管理したかったわけです。産業革命以降の機械文明の威力を見間違えたということです。大敗し、自由貿易と治外法権の租借地を認めざるを得なくなった。
 日本では黒船が来航した頃です。ヨーロッパ列強が、中国貿易の莫大な利権に目を奪われていたのが、日本にとっては幸いだったのです。まともに当時のイギリスとことを構えていたら、植民地にされていたことでしょう。
 
 
 東アジアの保守政治
 ここ何年か、東アジア、中国、日本、韓国は保守的指導者が勢力争いをしている。保守とは、古い価値観で政治を行うことです。中国は低成長の時代に入り、一党支配を維持することが最大の政治目標となっている。日本は構造改革をせずに経済テクニックに偏った政策から一歩も出ることが出ないでいる。韓国も大企業に偏った経済の改革が必要なのに、実行出来ないでいる。
 アジアインフラ開発銀行構想も、腐敗摘発も、一党支配を守るための政治戦略である。経済規模は大きくなったが、その中身は脆弱なのです。国内のインフラ整備が過剰となり余った事業の輸出を画策したが、信用がないので挫折しているのです。この世界銀行はその信用度を増すためのの構想です。一定程度の経済成長を維持しなければ、日増しに増加する不満を吸収できず、一党支配批判へと進むからです。
 アメリカの没落と言うより途上国が力をつけてきて、世界の金融がアメリカ中心に廻るという時代は終わろうとしています。新たな金融の拠点が必要になってきたと言うことも確かです。しかし、中国が世界に信用される銀行を作れるかどうかは、今の時点では分かりません。早すぎるのだと思います。10年ぐらい時間をかけてすべき計画を一、二年でやっている。世界銀行ですから信用が最大に求められなければなりません。今の中国では無理と思います。
 僕は中国はバブルが崩壊して、国内改革に専念する時間が必要と思っています。将来のことを考えたら、不景気は悪いことではありません。このまま政治の思惑だけが先行するシステムが世界に拡大しても、迷惑になるばかりです。豊かさとは何か、考える時間が中国には必要です。
 日本のアベノミクスは破綻します。金融緩和に頼って、構造改革が進んでいないからです。この金融政策はやってならないことを二つやっています。一つは国の借金を国が買い、国債の信用度が下がることを阻止していること。年金資金を株式に投入していること。そのツケは大幅な負債となって国民のもとに帰ってくるのです。例えばリーマンショック並みの危機が訪れたら、式の回収など間に合わず、年金資金は莫大な損失を被ることになります。そうなっては遅いのです。
 日本の大企業は国際化しています。国内の経済政策いかんにかかわらず成長する力はがあります。問題は大企業ではなく、中小企業、地方経済です。一時的な金融緩和は必要ですが、規制緩和、地方政府への権限移譲などで、新たな企業、経済を生むことが、構造改革です。それが出来ないのなら、アベノミクスは失敗です。
 
 韓国
 朝鮮王朝時代韓国は身分社会で、少数の有力両班が下級両班、庶民、奴婢を支配する社会でした。日本は少数の武士と大多数の庶民で、穢多非人といった人々は少数でした。王朝時代の韓国は貧富の差が激しく、納税の義務のない下級両班が二割から三割、庶民が三割から四割、奴婢が二割三割に及んだ朝鮮半島とかなり違います。
日本は均一社会と言いますが、江戸時代もそうだったのです。現在の韓国社会も、大財閥が全てを支配する社会で、大雑把に言えば社会構造は王朝時代と似ているのです。
 韓国経済や政治のおぼつかなさはここにあります。社会の構造改革の大きな障害になっているのが分断国家という現実です。北朝鮮との軍事衝突があるため、大統領大権が維持され、その政治構造が官民の癒着を生み、社会改革のブレーキなっているのです。そして、朝鮮王朝の如き大統領権限を守るため、北朝鮮脅威で足らない部分を反日で補完するという政治構造なのです。
 保守政権は財閥と癒着して、大多数の庶民への富の分配が進んでゆかないのです。新たな中小企業が生まれ、新たな技術や商品で業績を伸ばし、財閥を越えてゆく。といった企業の交代が起こらない構造になっているのです。日本やアメリカの真似は出来るが新たなものは作れない、ということです。企業の新陳代謝が起こらなければ経済全体は活性化しません。
 ただ、経済力が世界17位、ヨーロッパの国々と肩を並べるようになり、過去の被害者意識だけで政治が決定されるとなると、少し子供じみています。韓国は世界に対する責任を負う立場なのです。中国や日本にないものを見つけ、行動しないと世界の笑いものになります。
 
 慰安婦問題
 民主化により人権意識が高まり大きな問題化したのです。現在の価値で過去を裁くということです。日本人も含めて売春があったのはあたりまえのこと、しかし日本軍の関与はあったかという問題で見解が分かれるわけです。当時は戦争状態です。軍の方針に逆らえる人などいません。日本人なら見過ごせることも、当時の同化政策から日本人ではないという意識が生まれたとたんに、強制という意識が生まれるわけです。
 恐らく貧困の娘達を集めたのは朝鮮人の斡旋業者でしょう。軍の意向となれば誰も逆らうことは出来ません。日本の朝鮮半島統治で、創氏改名を表向きは任意、自由意志といいつつ、末端では治安維持法を動員して改名させたわけです。軍にとり若い兵士の姓処理は深刻な問題です。軍の関与がないと言うは考えられません。現代の倫理基準で当時を批判しているのです。強制の証拠はなくとも、現在の基準では半強制であったことは確かなわけで、日本政府はその辺はもっと認め謝罪すべきです。
 
 韓国と中国の反日の違い
 「韓国は政権維持のために反日、中国はプロパガンダ」という表現があります。二つの反日の違いをよく表しています。韓国の反日の方が根が深いのです。
 簡単に言えば、韓国とは戦争していなく、中国とは戦争したからです。戦争は対等な国同士がすることですので、結果が出れば遺恨はあまり残りません。しかし植民地となると違います。「自分たちの国にが否定された。」という喪失感、それを「恨・ハン」と呼んでいますか、そこに根ざしているのでかなか解消されないのです。
 
 
 安倍政権の崩壊の準備を始めなければなりません。アベノミクスはいずれ破綻します。
 今、東アジアは二世三世の政治家がトップについています。その政策は一様に保守です。昨年は、韓国経済の低迷が謙虚になった年です。ウォン安の経済効果も、経済の構造改革まで起こせがなかった、保守政権の失敗からです。中国も汚職摘発は当然の政策ですが、バブルの膨大さに見合う、経済政策は弱すぎます。恐らく今年、それが表面化するのだろうと思います。そして、次は日本です。来年ぐらいからアベノミクスの空回りが表面化するのは。と感じています。
 アベノミクスを始めて、2年以上になります、経済ニュースを見ていますと、アメリカの方から、構造改革という言葉が定期的に流れて来ます。アメリカの専門家が、金融政策に偏ったアベノミクスを心配しているのです。保守政権故に、既存の利権を守ることが優先され、大胆な経済政策が打てないからです。
 政治も経済も、庶民がいかに幸福になるかが、最大な目的です。増える老人が如何に豊かになれるか、子育てと女性の社会進出を如何に保証するかが最大の、近未来の目的です。古い労働環境を改革して、新たな労働環境の中かに、新な経済効果を生み出す。というのご、政治家の使命です。
円安にして、物を輸出して豊かになる。という経済モデルは、後進国であった今までの経済です、人々は益々財布を紐を硬くし、倹約するで、経済が思った以上に浮揚しないのです。今すべきことは、国の権限を地方に委譲し、町レベルの小さな経済、地産地消の経済を母体にした経済に移行すべきなのです。
 やってはならない年金資金まで動員した、株価浮揚策の後遺症を考えておく必要があります。もし中国のバブルが弾け、株価急落により、年金資金などの公的資金が負債を抱えることにならなければ良いが、と心配しています。
 デフレは悪いわけではえりません。というより少子高齢化社会において必然のなです。そこに嘗ての高度成長の経済モデルを導入するから上手くゆかないのです。
 円安で輸出が増え大企業か潤って労働者の賃金があり、下請けが仕事が増え、更に他の業種にもその効果が波及する。というモデルは破綻しているのです。もう日本の大企業は世界企業なのです。通常ドル立てで仕事しているのです。円安であろうが円高であろうが関係ないのです。そして他では真似のではない高品質の製品で勝負しているのです。決算はドルから円に切り替えるので、円安だから輸出が増えて収益が上がったように見えているだけです。日本国内に下請け工場ある訳じゃないので、その効果は日本には波及する訳じゃないのです。
 多くの人々は円安の効果を受けることが出来ない。財布の紐は固くなり一向にデフレ状態が解消されない。金融緩和でインフレ誘導しているのに物価が上がらない。空回りしているのです。だから安倍ノミクスの破綻は見えてきたと言うことです。
 野党が次期政権を望むなら、今こそアベノミクス以降のデフレ社会における政策を準備すべきです。問題は経済の規模ではありません、経済の質、安定した強い経済です。安全で安心できる社会こそ強い経済なのです。
 
 デフレ経済
 安倍政権は「デフレ脱却」公約に、国の借金を国が買う、年金資金を株式投資に使うとか異常な金融政策で、デフレからインフレ誘導をやっています。国民の購買力が増し、物価が上がるのが本来の姿です。なかなかそうならない。アベノミクスという経済政策はその前提が間違っているからです。
 まず「デフレ経済が悪い」と決めつけた処に、この政権の決定的に間違いがあるのです。日本は少子高齢化社会です。労働者が足りないのです。高齢者は無駄使いはしません。当然、経済は縮小します。しかしそれは悪い事ではありません。ひとりひとりの生活は向上し、日本は信頼された先進国として、日本の文化や生活スタイルが世界に流れているのです。
 すこぶるバランスの良い社会へと、バブル崩壊以降歩んできたのです。経済を経済総生産という数字でしか判断しないから、「悪い」という判断となるのです。経済はなんのためにあるのかという基本に立ち戻れば、国民一人一人の生活の質という観点から見たら、悪くなど全くありません。
 かつて、産業革命後半のイギリスはデフレ経済でした。技術革新が進み、石炭などの原材料は安くなり、製品も低コスト大量に作れるようになったのです。そして労働者の賃金も上がり、彼らの生活も安定します。マルスクが期待した先進国での社会主義革命が起こらなかったのは、富の分配が労働者まで行き届き始めたからです。
 チョコレートの処にでも書きましたが、先進的会社は労働環境の改善無しには会社の未来はないと悟った人々が、改革運動を始めたからです。そしてイギリスは福祉国家の基礎が、産業革命後半から末期にかけて出来たのです。そう見た時、今の日本の指導者は何と時代錯誤をしているか分かると思います。
 
 
 日本の破綻
 日本が破綻しないのは、国の借金、国債以上に日本全体が持っている貯金が多いからです。国は債権の形で国債の半分程度の財産を持っています。他の国比べて桁違いに多い金額です。官僚が国債返還資金とし使おうとしないのは、自分達の裁量権が及ぶ資金として置いておきたいからです。それは元々税金です、国債返還に使えば、国の借金は半分になります。
 国債は外国の金融機関ではなく国内の金融機関が多くを保有しています。国民の貯金です。また、日本企業は国際化して、海外に多くの投資どういう形で持っています。それもすごい金額です。国全体として、超黒字国家なのです。勿論個人の貯金や企業の海外資産を使うことはできませんが、国の財政保証という役割は果たせるのです。
 
 「三方良し」の近江商人の哲学こそ経済の基本。
 これは中世から近世にかけて活躍した近江商人の言葉です。「買い手良し、売り手良し、世間良し」というものです。最近よく使われる「win win」の商法よりすごい、世間様まで考慮している。今に置き換えへば、売り手買い手が良くとも、他の人に迷惑になるものは、良いものとは言えない。環境に対する配慮、老人や子供などの生活弱者に配慮のない商品は良いものではない。
 政治も経済も人の為にあるものです。格差社会はバランスを欠いているわけで、弱い社会なんです。経済的に言っても弱い経済なんです。経済理論として確立しています。国際化し経済は複雑化していますが、近江商人のこの哲学は現代社会でも全く通用する哲学です。
 
 安倍政権を正当化するものがあるにはあるが、
中国の台頭とその軍事的台頭です。原点は先の大戦の「敗戦」に立ち戻ることです。日本の大陸政策が間違いだったから負けたのです。結果を受け入れるというのが武士道です。だから謝罪を徹底すれば良いのです。それは過去も現在も未来も韓国社会、中国社会のもつ問題点を鮮明に浮き彫りにすることになるのです。中途半端に中国戦線での正当性主張するので、東アジア社会のもつ矛盾が浮かび上がらないのです。
 例えば慰安婦の問題、日本以上に男尊女卑だったのが当時の韓国社会なのです。その中で軍用娼婦が集められたのです。国家として彼女らに謝罪し、必要なら保証すれば、戦後のベトナム戦争時や在韓米軍の為の娼婦、といったことが鮮明に浮かび上がるのです。731部隊の問題は戦後のアメリカの化学生物兵器開発まで告発することになります。南京の話も同様です。それこそが韓国政府や中国政府に反日感情を利用する根拠を与えないということです。
 現在の東アジアにおける中国の軍事的政治的脅威は別問題です。東南アジアの諸国を含めて安全保障を考えればいいのです。あくまでも政治対話が優先です。軍事力で国際政治を押し切れる時代ではありません。自衛隊はあくまで抑制的にです。台頭したと言っても装備や総合的な軍事力は自衛隊は人民解放軍に劣ってはいません。ここでも中国軍が台頭する根拠を与えないことですね。
 アメリカがキューバと国交復活交渉に入った。アメリカの政治が柔軟性を失っていない証拠です。そういう所を学ぶべきであり、日米軍事同盟だけ固執するのは間違いです。法律を改正しアメリカの第一番頭として地位を獲得しても当のアメリカは中国と直接交渉する。日本を利用するだけ利用すると言うことになりかけない。敗戦を十分自己批判していない自民党の娼婦的体質です。

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