思い出すまま - No153 /  prev top next


 「生真面目さ」 日本人気質についての二三のこと
 昔若い頃、水俣病患者支援ということで、水俣市で活動していたことがある。市の周辺の村々の人々と色々な話をする機会があった。そこで、漁師と農民の考え方の違いが分かり、若かった僕には新鮮な出会った。
 漁師は多分に享楽的、大漁になればドンチャン騒ぎをし、不漁続きでも、あまり深刻に考えない。農民は生真面目で、何事も計画的、けち臭く、大盤振る舞いなどしない。古代の縄文人と弥生人もこんな風に違ったのではないかと思い馳せることが出来た。
 
 最近、インターネットで韓国人や中国人の日本観光の感想などを読んいると、日本人気質がどうして生まれてきたのか考えています。ちなみに観光客の日本の印象は、「清潔」「礼儀正しい」「親切」「何事も細い所に行き届いている」「安全、、、」などでその底辺に「生真面目さ」が日本人の特徴であるようです。
 日本は島国で、弥生人が本格的農業を持ち込んでからは、陸地は農民、海岸線は漁師、山岳地は山仕事する人々と職業別に分かれている。一番人口の多い農民気質が日本人の性格を作ったのは間違いありません。
 
 計画的さは農業に欠かせない。また、昔の農業は協同作業が欠かせない。そこから礼儀や秩序だった社会ルールが生まれてくる。手間かけることが、美徳とされて来のです。
 恐らく、日本人を悩ました一番の問題は、自然災害と伝染病でしょう。雨が多く夏場は亜熱帯気候となる風土が、常に清潔にするという習慣を生んだのです。また、木と草ぶきの屋根の家は、メンテランスを怠れば、直ぐに朽ち果てる。まめに手間かけるのも自然と育ってきたものでしょう。
 朝鮮半島や大陸と違うのは、異民族がとの戦いやアツレツが少なかったことは大きいと思う。武士の時代は内戦の時代ですが、同族同士の戦争です。宗教や日常生活を大幅に変えて対応する必要はなかった。戦争が終われば、領主や戦闘員の責任は問われたが、非戦闘委の責任は問われなかった。このことは大きい。
 現在、日本文化が世界を席巻しているが、「マメマメしい気配り」は世界が豊かになるためには、必要な価値観です。
 
 
 
 悪人正機
 浄土宗系の哲学です。平安末期、朝廷の力が衰え、治安が悪化、様々な武装勢力がお互いに争っていました。法然や親鸞は、当時見捨てられていた下層民の救済のために、新たな救済の宗教に行き当たりました。
 浄土宗の僧侶、特に法然、親鸞については、下層民救済というのは結果の話で、もっと切迫した、自分の身内、自分自身の救済の為に、悪人正機説を唱えたのです。
 法然の父親は押領使という、朝廷から警察官の役割を与えられていた武士です。実際は悪党と言われた、武装勢力の一部です。怨みをかった故に闇討ちにあって死亡しています。詳細は分かりませんが相手からはそれほどの悪人ということです。また親鸞は、頼朝の叔母さんの子供、平家の迫害を逃れるために仏門に入ったという経緯があります。肉親同士が争っていた源氏の一員として、悪人正機説に至ったのです。
 
 インド仏教、中国仏教でもそこまでは言っていません。背景には日本仏教独特の世界観があると思われます。比叡山や高野山の密教は、日本の山岳信仰と習合し新たな哲学を作り出しました。「国土草木悉皆仏性」もしくは「国土草木悉皆仏成」とは、この世のすべてのもの、生物も無生物の自然物も皆、仏が宿り、仏になることが出来る、という思想です。それ故に、法然や親鸞は罪人も救われるという説にたどり着くことが出来たのです。
 日本人の信仰は自然宗教を色濃く残す信仰です。縄文時代から一万年以上続く信仰です。山も川も石も、植物も動物も、人間か作った人工物も魂が宿り、それと上手く付き合うことが大切で、そうしないと荒ぶる神、妖怪変化として人間に害を及ぼす、という信仰です。人間と人間以外のものは同格なのです。人間に仏になる要素があるなら、この世界のあらゆるものにも、仏となる要素があるということです。明らかに釈迦の教えの拡大解釈です。
 
 仏教は、人間社会とそれを取り巻く自然の摂理との融合を説く宗教です。法然や親鸞は、悪人はその自然と社会のルールからはじき出された人間のことで、はじき出されたからこそ、そのルールが見えるのです。だから、悪人が仏教に目覚めるチャンスはたくさんある、と説いたのです。
 
 宗教は受け継がれる民族の自然観、基本と成る社会ルールを壊して普及はできません。歴史の中で妥協と変更を重ねてきたというのが真実でしょう。先祖崇拝の強い中国社会に普及するために、盂蘭盆会など先祖供養を付加して初めて中国社会に浸透したのです。
 そして、宗教は何処でも自然宗教として生まれたのですが、人間の社会が複雑になるにつれ、人間の救済だけを求めるものに変化したのです。三大宗教と言われるものも人間については深く分析していますがその分、人間以外については軽く扱うようになるのです。その人間主義が環境問題を引き起こし、大きな害悪を引き起こしている今日、ネイティブな宗教の教えることは非常に大きいのです。
 
 男尊女卑
 パキスタンのマララさんがノーベル平和賞を受けた。イスラム圏では、民族主義が台頭し、イスラム国など復古調の武装勢力が一千年も前の倫理を強制している。民主化が民衆が自分たちのアイデンティテー、心の故里を求めることとなり、強力なイスラム主義への逆行現象が起こっているのです。いわゆるイスラム原理主義です。ヨーロッパの民衆の台頭とキリスト教義の変更の歴史がない故に、一気に復古的な教義を持ち出さざるを得ないのです。現在の社会に通用するはずはありません。宗教と関係の近代化が遅れてしまった結果です。
 
 古代はこんなに女が虐げらてはいない。太古であるほど、男女同権が女性上位が一般的です。家族は母の家系は分かりやすいので、母子の関係の方が強く、社会全体が女を中心に回転していたのです。農業が始まり、富が蓄えられ、人口が増え、共同体と共同体の関係が複雑となり、村が集まり、国が出来る。子育てに忙しい女に代わり、男が政治や軍事の行うようになり、社会が徐々に男尊女卑へと変わって来たのです。
 人類の歴史で男尊女卑の歴史はせいぜい、最近、二千年から五千年の歴史しか有りません。日本では、平安時代までは女性上位の社会です。男尊女卑は一千年ぐらいの歴史しか有りません。
 
 人口が減りはじめ、日本もようやく男尊女卑の歴史に終止符を打つよう動き始めました。半世紀遅い意識変化です。その意味では後進国です。その意味でも、古代を思い出して欲しいと思っています。
 日本の場合、明治以前と以後では大きな違いがあります。幕府の出す法令と実際の庶民の生活には大きな開きがあります。問題が起こらなければ細かいところに幕府は関与しませんでした。女の権利は庶民に下るほど守られていたのです。明治にいたり民法で細かい点まで法律が規定するようになると、実質的に男尊女卑は強化されることと成ります。長い日本の歴史の中で一番女が虐げられのは明治期ではないでしょうか。敗戦後になりやっと男女平等が始まったというのが真実ではないでしょうか。
 
 
 中国夢
 リーマンショク以降、中国共産党内で「中国夢」と言われる中華思想が頭をもたげたげている。これからの21世紀は、西洋近代の思想から中国伝統の「礼、楽」が世界をリードする。といった幻想である。世界二位の経済規模とリーマンショクを地方開発で克服したとの自信から出た発想です。その余波は南、東シナ海の領土問題を引き起こしているし、国内ではチベット、ウィグル自治区の締め付け強化へと繋がっている。
 経済力という力を背景にした外交は、信頼というより反発の方が大きいように思われる。かっての日本、大東亜共栄圏を唱え、皇国史観を強要した日本と重なるのはおかしな話である。問題は中国指導部、共産党内部で真剣語られていることにある。
 中国は確かに豊かになった。もはや共産党の「全ての人にパンを!」という共産党の理念が必要になくなったのです。共産党は必要になくなった。しかしそれに代わる理念がないのです。巨大な組織を守る理念として、古代からの皇帝のの論理が頭をもたげてきたのです。古い中華思想を語らざるを得ないことは、国内の社会矛盾を克服する政治的方策を持ち合わせていないと言うことに他ありません。
 
 リーマンショクから、中国を守った地方開発、その実態は、地方政府や地方共産党が土地開発業者に成り下がり、貧しい農民から土地を取り上げ、富裕層に高額で販売という、輝かしい共産党の歴史に泥を塗ッ田というのが真の姿です。今や世界一の貧富の差のある国の内部矛盾抱えることになってしまったのです。
 世界各地で起こり、台湾や香港でも起こった民主化の動きに対して、共産党は総力を挙げ、国内混乱の回避を訴えています。また、現在行われている汚職追放の粛清も徹底すれば、共産党支配の根幹を揺るがしてしまう恐れがあり、程度問題です。
 いずれ共産党の一党支配には終りが来ます。中国夢の中華思想、今の激しい商業経済に適応できるはずがありません。中国は自らの歴史をもっと細かく、また自由に見る必要があります。「中華」という色眼鏡を取り除いたら、中国のの歴史は多くの民族の交流と融合の歴史です。その柔軟性こそが中国の最も誇れることであり、これからの国際社会に必要なものです。「中華」と言う優越意識は害悪以外のなにものでもありません。21世紀はアメリカやヨーロッパが世界をリードする時代ではなく、世界の何処でも中心になり得る時代だからです。
 豊かになると言うことは精神の自由や個人の権利の要求が増すと言うことです。それを吸収する仕組みが民主主義です。個人の知恵を最大限利用しなければ、厳しい経済競争に勝ち残れないと言うことでもあります。日本と経済総生産が大して変わらないと言うことは、中国は日本の十分の一しか人々の力を引き出していないと言うことです。今年も色々と目の離せない国であることは確かです。
 
 ドラエモン
 インターネットで中国などの記事を読んでいると面白い。11月下旬の話ですが「ドラエモンは過去の侵略を隠す文化侵略」であるので警戒するように、と共産党が警告を鳴らしているそうです。ドラエモンは中国の子供達に大人気でこの程警告を発するほどとなったのです。中国政府は漫画やアニメ製作にも力を入れているのですが、なかなか質の良いものは出て来ない。子供達に人気が出て来たと思ったら、どうも内容は宜しくなく、進められない。といった具合です。
 それは無理ですよ、国のエリート官僚や政治家がこういうもの作りたいから、と言っても、出てくるもの、作れるものではありません。国が力を入れれば入れる程、歪なものとなるのがこの世界です。日本の漫画や歴史を見れば分かるように、政府が関与してこなかったから、ここまで成長してきたのです。国家や社会を批判する要素を備えているから、発想が豊かになるものだからです。
 孫悟空のあの面白さは、権力に反抗する庶民の発想の面白さです。孫悟空が反抗的なのは、権力者が庶民を無視したからに他ありません。まずは文化の自由化です。四千年の歴史の厚い歴史に眠る発想の芽を、中国政府を摘み取っているいうのが現状です。
 
 今年も気になる国、中国
 革命以降、中国共産党は幾多の危機を乗り切って来ました、大躍進の失敗、文化大革命、中ソ冷戦、天安門事件、、と一歩間違えれば、共産党の崩壊、国家的危機です。そして現在新たな隠れた危機が解消されずに潜んでいます。習政権に至り、腐敗撲滅、粛清の途上にあります。腐敗は伝統的官僚政治の抱える構造的問題です。党の存亡の危機まで進んでしまった故の方策に他ありません。しかしこれは国家的危機の呼び水ともなる可能性のあるのです。
 隠れた危機とは、リーマンショク以降の大規模な地方開発に伴う債券が、不良債権化する恐れがあるです。数百兆円と言われる膨大な金額故、経済成長が鈍化すれば表面化するのです。交換の腐敗の多くはその開発の過程で生まれたものです。幹部を摘発するのはいいが、それは経済の失速に繋がる、両刃の剣なのです。
 
 習政権は、同じく土地バブルの崩壊を招いた、日本の1990年代初期を、分析、学習して政策に生かしています。日本のバブル崩壊期に当時の日銀総裁のとった引き締め政策を国民は歓迎しました。しかしそれは伊月に経済を冷え込ませることになり、長期のデフレ経済を招くこととなったのです。経済の引き締めと促進という正反対の政策を同時並行的に実施しているのです。様々な国内問題を力で抑えている中国にとり、経済政策の失敗は政権のみならず、党存続の危機へと拡大する恐れが常にあるのです。
 
 現在不動産バブル崩壊しはじめています。放置すればそれは金融、経済全般に広がれば、リーマンショク以上の危機となります。それを食い止めるため、昨年10月から22兆円に及ぶ大型プロジェクトを承認しました。これ以上の不動産の下落を防ぐためです。家やマンションを買った富裕層が資産の減少に喘ぐのは問題外です。これまで不動産物件を開発してきたのは、地方政府、省、郡、県だからです。その収入が税金より上回り、地方政府を支えているのです。不動産バブル崩壊は地方政府の財政が破綻を意味するのです。
 地方政府は農民から取り上げた土地を「地方開発という名目で開発し」土地業者、富裕層に売り多額の収益を上げました。それを新たな産業開発に回さず土地開発のみに投資したのです。その結果不動産は値上がりを続け不動産バブルを産んだのです。このバブル最大の問題は全経済に占める割合がとてつもなく大きいことです。GDB比で16%で日本のバブル期の9%ですのでその大きさが分かります。それを解消するのに十年以上の時間がかかったことを考えた時、日本の失敗に学んだといっても至難の業であるといえまし、深刻な事態です。
 分からないのは信用できる経済指標が少ないということです。政府の出す数字は都合良く改竄されている可能性もあります。習政権は表向きは上手くやっていると言えます。しかし、政権の経済エリートの万策が尽きた時、中国経済は崩壊し始めるのです。今中国は危機のすれすれを進んでいることは確かです。
 
 追記
 大物政治家の汚職摘発が進んで国民の喝采を受けていますが、何ら問題の本質的解決には至りません。法律以前に党があるわけで、党規約に細かい汚職の規定があるわけではありません、倫理規定で罰しているわけです。自分たちの派閥に有利かどうか、国民の反応を見ながら恣意的に摘発しているだけです。党の幹部であれば誰でもやっていることです。延々と繰り返されてきた権力闘争から逃れることは出来ません。民主のためにはこんな小手先の政治手法では覆い隠せない経済的危機が必要と、僕は思っています。
 裕福になった勝ち組の人々が自由や権利を主張して変化するのが一番なのですが、上手く党の中に組み込まれもはや党は彼等を保護するものへと変質してしまったのです。労働者、農民の政党という立前下ろさず、富裕層の権利擁護団体というおかしなものへ変質してしまったのです。
 
 
 年末はそば打ち
 布海苔を入れたら、麺が強くなり宅急便でも送れるようになった。昨年は一件、師走に入り、札幌に引っ越した修ちゃんの所に送り、大丈夫と確認。懐かしい友達に連絡を取り、注文を受けた。例年より30人増やそうと思ったら、すぐ予定を超えたので、オーダーストップ。今年は100人超えた。昨年より1日前の28日から打ち始める。この辺が限界です。今年の大晦日はこれ以上は増やせない。肉体的に無理。
 

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