思い出すまま - No147 /  prev top next

 一日も早く安部政権を倒せ!  特別秘密保護法案の採決
 バカな日本人の皆さん、これが今の政権の本質です。ちょっとばかり景気という麻薬の効きめで、彼等に投票した皆さんは、大きな代償払わされることになります。まだ始まりです。この政権はドンドン暴走します。
 秘密保護法案の採決、みんなの党にはガッカリです。この法律は役人の劣化を招く何物でもありません。行政改革を旗印にして来た、この党の存在意義がなくなりました。自民党と合流しなさい。維新の会と同様です。選挙互助会は必要ありません。
 
 分かりますか、政治家ではなく政治屋の政治手法です。出来るだけ曖昧な素案を出し、政治的に近い政党と妥協して、予定の法案に持ってゆく。曖昧さがある分だけ、行政権力の裁量の範囲が広がるのです。政治屋と官僚の発想です。自分たちの裁量の増大させるための法律です。政治家も官僚も堕落させる何物でもありません。
 例えば、現在でも40万件に及ぶ秘密項目があります。それを大臣、総理大臣が一つ一つチックは不可能です。項目を決定するのは、課長クラスの人間です。後は上級役人から承諾印をもらうだけということです。秘密の周辺には、利権がはびこることになります。これが権力、官僚機構が持つ最大の力となる訳です。
 僕も国家の秘密の必要性は認めます。三権分立という権力の分割はこういう時のためにあるのです。行政より上位にある議会の下にチック監視する機関を作るというのが、国際基準です。その条件を満たさなければ許される法律です。この情報の公開、情報のチックが日本の政治の弱点です。
 
マリアさま・megu
 歴史の方向性
 安倍政権が保守的な法律を急ぐ背景には、中国の軍事国家の台頭という背景があります。見誤ってはいけないのは現在は二十一世紀の国際社会なのです。二十一世紀とは桁違いに、国家間の相互依存が進んだ社会なのです。中国の拡張主義も時代遅れの政策なのです。いずれ民衆を力で押さえて中国政治は破綻します。日本も韓国、中国との友好共存なしに未来はありません。東シナ海の最近の緊張も程度の問題です。これ以上悪化する方向には進みません。軍事的な側面で備えることも良いですが、過去の歴史認識の共存とか、中国、韓国の保守派に日本攻撃の理由を与えない努力の方が今やるべきことだと、僕は思います。
 
 
 日本の朝鮮文化
 ここ二三年間、日本も韓国も中国も右翼化して、小ちゃな島一つで、阿呆らしい政治的攻撃の応酬は情けないことです。
 太平洋戦争から半世紀以上過ぎ、在日の人に対する差別が目立たなくなったのは、嬉しいことです。考えるに、古代も、多くの渡来人がやって来て、日本人に同化してたのです。朝鮮半島からの渡来人なしには、日本はなかったのです。現在の在日の人と少し違うのは、彼等が当時の先進的技術や思想を日本に持ち込んだことです。彼らは当時の日本に尊敬され迎えられたのです。
 
 東京、埼玉だけでも、多くの渡来人ゆかりの地名が残っています。高麗、飯能は高句麗滅亡により、2000人規模の高句麗人が入植したところです。狛江、調布、砧は、それ以前からの高句麗人、恐らく同じ高句麗でも違う地域からの入植者が作ったもの町です。ここは麻の栽培を日本にもたらした。志木、朝霞、新座は新羅からの入植者の町です。
 深大寺は狛江の高句麗人の子孫が建てた寺です。また、浅草の観音様も、志木や高麗川の入植者が持ち込んだ、持仏が元になっているものとか思われます。
 古代、武蔵の国はこれらの渡来人の町が拠点になり、開発が進み、鎌倉時代には、頼朝を支える強力な武士団を結成することになったのです。
 
 「帰化人」と今まで言われてきましたが、当時は北九州や山陰に住んでいた人々と南朝鮮半島の人々と非常に近かったと思われます。北九州の人々にとって南朝鮮半島の人々の方が関西以東の人より、宗教、生活習慣、言葉など、近かったのではないでしょうか。律令制が整い国家として別の国となってからの千年の時間が、今日的な日本と朝鮮半島の違いとなったのでしょう。当時日本に入ってきた人々は、日本人の先祖なんです。
 
 渡来人が大和政権を作った。
 大和政権が成立した四世紀当時、強い政権じゃなかったので、各地に有力な王国が存在し、いつでも国家連合の盟主の座は変わる可能性があったのです。
 朝鮮半島からの渡来人は、数は多くはなかつたと思われますが、様々な技術を持って日本にやって来たわけ、その影響力はとても大きかった。大和政権は彼等を保護し、全国の開発に派遣したのです。当時、水源の乏しい武蔵野大地などは、日本人には開発出来なかった。渡来人により麻の栽培という技術で狛江周辺は開発が進むことになります。そして彼らは、大和政権を支える豪族として成長して行ったわけです。
 渡来人を中心に開発した土地が、屯倉という大和の直轄地として政権の財政を支え、地方支配の楔として成立し、奈良時代の律令制へと進む為の布石になったわけです。
 
 古代は女が強かった。その三
 奈良に平城宮ができる前、大王(天皇という称号はまだなかった)が即位するとその度に新たな宮殿を造りそこで祀りごと(政や祭りも含まれる)を行った。ここで、宮殿を新たに建てる場所が、母親の実家のあった土地に建てたという。このことからして、母親の影響力は絶大だったことがわかります。多分にマザコンの権力者が多かったということです。
 蘇我氏や藤原氏が大きな権力を持つのは、皇后を自分の一族から送り込み、次の天皇の祖父となったからですが、その前提となるのは、この国では母親の力が強かったという理由からです。を利用したからです。
 何故、各大王ごとに宮殿を建てたかというのは、宮殿は先王のもの、かっては燃やして、あの世に行った先王に送り届けるという信仰があったからです。
 女系社会は東アジアの同時代の中でもかなり異色だったようです。
 
 聖徳太子の「和をもって貴し」の一文は背景にあった女性原理の政治的表現です。新たな国家作りに当たって女性的発想を第一番目に持ってきたのです。談合政治とか、必要な競争や争いを避ける余り事の本質を曖昧にする、低級な解釈で貶めてきたのも事実ですが、社会の大混乱をこの理念によって収拾してきたことは、歴史的事実です。千年以上も前に平和主義を前面に出したことは、日本人として誇って良いのだと思います。ちなみに「和」と「同化」は違います。「和」は相手との違いを認め妥協できるところは妥協して共存すると言うことです。「同化」は融合し双方の違いを失うことです。
 
 象徴天皇制
 中国は男性社会で多民族国家、日本は女が強い単民族国家。中国の政治は刑罰の「律」と行政組織「令」により厳しく皇帝が管理すると言う政治の仕組みを作った。でも、そこまで厳密にしなくとも統治できたのです。律令制導入に辺り当初から、日本のアイデンティティーの保証すること、日本風にアレンジすることが求められたのです。犯罪が少ないので「律」は後回しにされたし、「令」も皇帝の絶体権力から、太政官の権力の拡大=豪族達への権力の分担と言う風に変更されたのです。
 聖徳太子や天武天皇は王家の絶対性の政治を目指したが、有力豪族によりそれは骨抜きにされたのです。後日、藤原氏による権力の独占と、不比等などによる「令」の変更を非難されるけど、大和政権成立当初から連合政権の盟主と、天皇権力が絶対だった時期の方が少なかったのだと思います。
 邪馬台国の祭祀の卑弥呼と政治の実務の弟、権威と実務の分離が、律令制導入に至っても守られた。と言うことなのだと思います。実務の方は藤原氏から、平氏、源氏、織田や、豊臣、徳川へと受け継がれることになったわけです。天皇制が現在までの残ったのは、政治の実務に天皇があまり関わらなかったではないでしょうかね。社会が混乱すれば批判は権力者に向かいます。日本の場合実務を担当した藤原氏や武家政権まで、天皇廃止論まで拡大しなかったと言うことだと思います。
 
写真は禁止と言うことでこれ一枚です。
 12/8 草月ホール
     芥正彦 演出の舞台
 前から古沢たくさんから聞いていたので、顔を出してきました。何ともかかんとも不思議な世界です。アントナンアルトーをモチフーフにしているならうなずけます。舞踏あり、人形遣いあり、二時間半休みなしの舞台です。
 AVまがいのセクシャシャルな演出やお猿の集団を思わせるものなど、幼児化したモチーフはアルトーですね。印象に残ったのは、芥さんの焼きごてを当てるコンセプトを鉄筋棒で再現したシーンとか、裏事情が少し分かるので、当時の友人が協力して再現。ここに青春まだありということです。最後近くに津波を思わせる演出は面白かった。たくさんは舞台の前で最初から最後まで舞台の監視役に徹していた。
 嬉しいですね、僕の青春の一断面と繋がっていますので。
 「青春は遠くになりにけり、しかし未だ死なず。」ですね。
 
 
 チキンラーメン
 最近、また日清のチキンラーメンにはまっている。調理が楽ということもあるが、このシンプルな味です。ご存知のように、インスタントラーメンは進化を続けている。ラーメン屋の生麺を超えてさえいる。そして、世界中で、その土地のインスタントラーメン、インスタント食品が開発されている。 この二十世紀最大の世界的な食品革命、インスタント革命の火付け役が、日清のチキンラーメンです。人類の食品の歴史の中でも、十九世紀の缶詰めによる保存革命に続く画期的なことだと思います。チキンラーメンは僕の幼い頃、60年代に慣れ親しんだからでしょう。味わい深い食べ物です。
 
 
 平凡に過ぎた2013年
 特別の不幸もなく、生活も安定して、平凡に過ぎようとしていることは、まずは感謝すべきことなのかもしれない。ただ、フツフツとしたものは残る。欲張りというものは、大切なことです。生命はエロスで、欲こそ根源的な生きているエネルギー源だからです。そして、抑制と言うコントロールが働き、バランスが保たれています。
 僕として、変化し続けたいのです。そこに感動が生まれてくるからです。バランスのとれた平凡がが続いても、物足らなくなるわけですよ。若い頃のように、大変化は望まないが、少しずつ変化し続けたいのです。最小限バランスを保ち続けながら。
 しかたない、来年に期待しましょうか。
 
 年末年始はそば屋
 去年の暮れも、11キロ、70~90人分29、30、31日と打ちました。今年から、持ち帰り用にふのり繋ぎそばにしたので、日持ちが可能になり、一日先に打つことができ、多少楽になった。
 やっぱり十割蕎麦の方が美味しね。福生カニ坂の忘年会、国立レラの年越しそばの会、除夜舞、修ちゃんの所での新年会と「美味しい」と聞けば、疲れは取れます。今年はいい歳にしたいですね。
 


 福生カニ坂の餅つき兼忘年会。30日  ↑
 福生に引っ越してからここでそばも出すようになりました。宴会の最後、窓からから差し込む西日が美しく、自然の照明に照らされフラダンス。
 
  除夜舞   ↑
 大晦日の夜十時、国立の年越しそばの会を抜け出し明大前へ、最後の総踊りの写真は撮れたが、全く舞台を見る時間は無し。打ち上げでそばを振る舞い、自宅に戻ったのは元旦の朝四時。
 

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