思い出すまま - No146 /  prev top next

 オリンピック、どうでもいい話、でも・・・
 国内選で立候補していた、福岡なら大歓迎、今更東京なんてどうでもいい話です。馬鹿げた話にこれからも付き合わされるとなると、うんざりでりです。
 
 ただ、七年間は景気は良くなるだろうし、何よりもいい事は、福島原発の事故処理と震災復興が、オリンピックとセットで、海外メデアが注目する事です。原発の事故処理については、国内メデアだけでは不十分です。90年代以降、原発の危険性を余り報道してこなかった、日本のメデアも同罪だからです。
この事故に関する全ての事が!白日の元に晒される事が、一番大切なことです。
 バブル景気の時のような、脳天気な日本人にならないで下さいね。
 
 庭で作ったヒョウタンとヘチマ出来ました。↓
 「日本の古代、女性は太陽だった。」再び古代史について
 卑弥呼やトヨ、飛鳥奈良時代の女帝達、日本神道の最高神は天照大神である事、など、古代は女の指導者が多かったのです。古代は、強力な中央政権じゃなく、国家連合体でした。各地にその土地を支配する首長(王)がいたわけて、女王も多かったのです。
 祀り事は、政り事で、信仰が欠かせない時代です。豊穣を司る地母神は絶対的力を持っていたいたのです。天照大神が最高神に落ち着いたのは、男神ではいけなかった、生産の神に対する根強い信仰があったからです。そして、男の王達が争い、収拾が付かない時、巫女的な女王、卑弥呼やトヨが王位について混乱をまとめたのは当然の成り行きだったのです。
 事態が下り、飛鳥奈良時代も混乱の時代です。中国の制度の導入をめぐり、改革派、守旧派の内部闘争が激しくなった時代です。王子や豪族が殺され、どちらの王子が王位についても、不安定になったのです。そこで、地母神のイメージの強い女帝が王位に担ぎ出されたのです。
 彼女等は政治的無能なお飾りではありません。したたかな有能な政治家だったこそ天皇になったのです。持統天皇に至っては、今日のまで続く政治、文化、信仰の基礎となる、一連の改革を完成させた女性です。天武の政策を引き継ぐ、と言いつつ、大幅に自分思う方向に変えてしまった女性です。日本の政治や文化は中国大きく違います。守旧派の不比等を採用したことも、日本の伝統を損なわず、制度導入する政治判断をしたのです。
 古代は、嫁取りじゃなく、婿取り婚でした。それは平安時代まで続きます。家族は女の血筋を中心に、その絆で成立して居たということです。更に経済も女が握っていたと思われます。実質的には、男女平等というより、女が強かったのではないかと、僕は思って居ます。
 
 世界中何処でも太古は母系社会です。でも、紀元後の世界で女王がたくさん出るというのは特殊な社会です。それは、中国など大陸に比べ、民族間の戦いが少なかったということです。女が強かった時代が長く続いた分、日本は幸せだった、思います。多くの渡来人がやってきて、大陸の文化は伝えたが、軍事、政治的に深刻な対立を生むほどは来なかった、からです。
 渡来人が多い時で数千人規模で時々やって来た、この程度なら土着民と同化してしまいます。一度に数万から数十万人やって来たら、異質な国家を作るわけで、同化出来ずに、長い葛藤が続きます。そういう事が繰り返されれば、生産原理を基本にした社会ではなく、戦争を意識した社会、男が全面に立つ社会に変わってゆきます。女が全面に立てる社会は戦争の少ない幸せな社会なのです。
 
 天照大神について、
 持統朝に、伊勢神宮が整備され、太陽と豊穣の神である天照大神が祀られ、天皇家の守護神として固定化された。高天原には最高神になれる男神いるのに、何故女神が最高神になったのか。イザナギ、タカムスビ、スサノウといずれも最高神になってもおかしくない神々です。スサノウは天照大神との関係で、悪役引き受けただけで、元々は大地の神、強く優しい豊穣神です。神々の世界は、社会の反映です。それは、当時の日本社会は女の社会的地位が非常に高かったからだと思います。
 
 中国の制度は男性原理の社会システムです。その導入に当たり、女性原理の日本社会は、権力の中枢に女帝を置き、最高神を女神に据える事により、やっと中国の制度を導入が可能になったのだと、僕は思います。
 聖徳太子や蘇我氏は大陸の事情をよく知っていて、早く国家体制を中国の制度に切り替えようとしたが、抵抗が大きかった。中大兄皇子の露骨なクーデターでも、それ程皇子が叱責されることのなかったのは、中国の制度に対する違和感が強かったからではないでしょうか。
 卑弥呼は中国の偏見を取り除けば、「日巫女」もしくは「日御子」で、太陽を祭る巫女だったのかも知れません。時代が下り国史が必要になり外交を考えると初代天皇が女性じゃまずいので、神様すなわち先祖神であり太陽神であるアマテラスにしてしまったのかも知れません。
 
天皇制について
 日本の天皇制は持統朝に持統、藤原不比等の作られたと言っても良いと思います。中国の制度は王朝の交代を認めているけど、意識的にこの二人は黙殺して、日本風の律令制にしてしまいました。若い頃は革命の起こらない日本と、その根がこと時作られたと、違和感を感じて来ました。しかし、王朝が交代しないのは、日本の制度設計が悪かったということではなく、異民族に支配されてこなかった外的原因が一番で、長い武士の時代などに身分の交代が行われいますし、今は喜んで良いのだと思います。
 若い頃とは大分考えが変わりましたが、先の戦争で天皇の責任を回避した一連の戦後処理は、問題があり批判的です。日韓、日中の今日の緊張の原因の一端は、そこにありますから。
 天皇制は千年以上続く世界最長の王政ですが、時代に合わせ変化してきた制度です。永続を望むなら時代に合わせ変わるべき制度です。現在天皇は国民の奴隷です。制約が多すぎます。女性、女系天皇派は勿論、政治発言も自由に出来る制度に改めるべきです。
 
 
 若い頃、親父が東京に出て来て、僕は霞が関ビルだったか、皇居の見える高層ビルに連れて行ったことがあった。皇居を見ながら、「天皇は日本に必要ないんじゃない。」恐る恐る聞いて見た。父は「そんな事は無い。」言葉少なかったが、僕の意見は否定した。もうそれ以上その話はしなかった。その後、父は若い頃、皇居の石垣の修理の仕事をやったことがあり、誇らしげに話していた。
 水俣病の運動に関わっている頃の話ですから、社会問題の先に天皇制もあるのかと思っていたので、苦いそして懐かしい思い出です。
 
 
 古代史は面白い、女性の研究者に期待したい。
 新たな考古学的発見に加え、古事記や日本書紀の新たな解釈が更新されています。古代は文字がなかったので語りの世界です。漢字を借り文字にした時点で大きな変更が意識てに無意識てに加えられてしまっているのです。また中国の資料も、男性社会からの記述で、女王という存在はあってはならないことなのです。魏志倭人伝の卑弥呼女王の記述は、魏側の書かざるを得ない事情が見え隠れする、特殊の例だったのです。それを察知した日本の王権は「女王」ではなく、ただの「王」と外交文書には記述するようになります。そんな古代の事情を一つ一つ解釈し直す必要があります。
 僕が感じた母性、女性の立場についても女性の研究者が少ないのです。同じ記述でも女の立場から解釈したら全く違った歴史観が可能なのです。女性の研究者の先駆、高群逸枝さんが「妻問い婚」を世に出して、古代史の女性の側からの研究が始まりました。発掘調査でも、男性思われていた古墳が女性だったと言う例が続々出てきています。十年経てば、今までとは随分別な古代史観が出てくると思われます。  
 
 天野さん
 古い家が朽ちてゆく様に天野さんも朽ちてゆく。というのが第一印象です。八十三歳とか。昨年は入院して、メスを入れたとか。内臓がみないけないとか。死んだら、散骨と展覧会を約束して来ました。
 丁度、生方さんの家族、奥さんと娘さん夫婦と子供二人、と鉢合わせ。顔をと名前を思い出すのに時間がかかりました。十何年ぶりでしょうか。本当に久しぶりです。





 エロメール、迷惑メール
 夜中に何個もメールが来たらしい、朝開いみようと思ったら、i-phoneが作動しない。普通の操作では動かない、電源を切り再可動してみたら、大量のメールを受信したからと分かった。四、五時間の間に62通。全ていかがわしいサイトのアドレスの入ったメール、しかもアドレスが皆違う。
 最初はそのうち収まるだろうと、一個一個消していたが、二三日経っても、収まる気配がない。自分のサーバーのサイトを開き、ブロックする事にした。その後、一括ブロック出来る内容だとわかり、一括ブロックして、ほぼ収まった。単独ブロックした分だけでも、60は超えていた。
 チラチラとメールをの文面を読んでみるいると感心する。可愛い女の子の写真入りのもの、女の子が書いたと思わせる文章。お金を振り込みたいという文面。請求書の入った脅し。更に、ブロックが功を奏し始めると電話会社からメールらしき文面とこちらの状態を想像して巧妙。メールという限られた表現の中で、僕に返信メールやサイト訪問をさせようとその多種多様さには、感心するし面白い。
 
 恐らく、200、300の違ったアドレスを持ち、50のホームページを開設し、金を使って入手した、アドレスにメールを送り、引っかかる奴を探す。金と手間のかかった、「仕事」という事が分かる。恐らく何千万単位の儲けがあるのだろう。でも馬鹿ですね、それだけの労力と知恵を使ったら、人に尊敬それる方法で金も名誉も手に入れることも可能だと思うのだが。

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