思い出すまま - No144 /  prev top next

 安倍政権をつぶせ
 連休中に中東訪問した安倍総理大臣は、サウジ、UAE、トルコに原発の売り込みをした。開いた口が塞がらない破廉恥な外交である。国内の規制が厳しくなるや規制の緩い外国に売る。日本企業が公害を世界各地に輸出してきたのと全く同じである。日本で危ないものは世界の何処でも危ないのです。これは再び国内に戻ってきて来るのです、原発の設置基準の緩和、後退へと繋がるのです。目先の経済しか見ていないと言うことです。
 参議院選挙後、自民党が勝てばすべての改革が後退します。自民党の本性が表に出てきます。利権団体の擁護という。金融緩和による景気浮上は表向きのテクニックです。規制緩和とか既存李利権に踏み込まなければ、長期的景気浮上は出来ないと僕は思っています。まだ安倍ノミクスはまだ評価できないのです。民主党以上のものは出していません。内実は後退するのではないかと危惧しています。
 
 憲法改正、そして
 憲法改正そのものには反対しません、やり方には大いに疑問です。この憲法はアメリカの影響の元、また当時の厭戦争世論を背景に、再軍備しないと言う決意でもあるのです。その決意の表れが2/3条項です。ここだけ変えるというのは当時の決意や平和主義を否定することですから、反対です。改正する中身の提案が先です。2/3条項が特別ハードル高いとは言えません。韓国もドイツもアメリカも議会の2/3の賛成で憲法改正の発議です。世論を誘導してゆく、本音の話は後から出す、国民に余り考えさせない。と言った、為政者の政治テクニックを感じられるからです。
 時代は世界が条約や国際機関で、地球政府と言うべき時代です。国家主権が優先する時代ではないのです。日本の憲法は二十一世紀の世界政治の流れを見据えた、成立当時としては先駆的憲法です。「平和主義」とはそんな意味合いがあります。その不足部分を訂正するなら賛成ですが。
 憲法改正を言っている右翼の皆さんは、日本の伝統が失われるというそういう危機感からそういう動きに出ているだと思いますが、殊更それを言うと言うことは、自らの衰退を言っていると見えます。日本の伝統は技術にしても文化にしても世界中で評価され受け入れられているではありませんか、韓国や中国の台頭に萎縮しているとしか思いません。武器を持って闘うのは簡単なこと、古代においてキリスト教や仏教が世界に浸透したのは、武器を持たなかったからです。武器を前面に出せば、中国には勝てません。
 「侵略かどうかは相手の国民が決めること」です。先の大戦で韓国や中国の人々が侵略と感じているなら侵略です。基本はそこからしか出発しません。竹島の話も尖閣列島の話も基本は話し合いで解決すべきです。中国や韓国のこの問題を政治的に利用しようとする動きは、いずれ根拠を失い消滅します。国際基準とかがある時代です。それに合わないものは力を失います。僕はそう見ています。
 
 
 右耳が良くなってきて、左右のバランズが取れてきた。うれしいですね、一度はあきらめていたのですが、微妙な違和感はまだなかなか解消されないのですが、僕の根性の勝利です。
 耳が治ったら次にやることがあるのだが、今は秘密秘密、人に言ったら出来なくなりそうだから。生活習慣というのは曲者です。過去の数々の経験から、当たり前と持っていることが、自分の未来を規定し歪めています。多くの病気は毎日の習慣の歪みです。同じく心も、考え方も決めつけて歪ませます。
 人生に敵がいるとしたら、最大の的は自分自身です。いけないいけない、僕の悪いところは物事を大きくし過ぎ、毎日のささやかなことを余り拡大してはいけない。この癖もどこかで僕の未来を狭く強いそう。ほらほらまた禅問答に陥っている、これもまた悪い癖。
 
 サトイモ
 今回裏表紙の花は何にしようかと迷ったのですが、鑑賞用の花ではなく、野菜にしょうと決めてから、ナスにしようか、サトイモにしようかと迷いました。
サトイモは秋の植物の方が良かったかもしれないが、花が咲く時は夏と言うことと、ナスは万葉集に一首も載っていないのに、サトイモは一首だけあったのが一番の決め手になった。
 身近な野菜ですが、古いんです、日本にキビ、粟、米、小麦が定着するまでの、縄文時代は主食です。東南アジアを始め、サトイモ、タロイモが人類を支えてきたのです。その偉大さに感謝するばかりです。
 僕の田舎、会津では「小汁こづゆ」と言う汁物が祝いの席に必ず出る。ごぼうや人参、竹の子などの根菜類を中心にした澄まし汁なのですが、サトイモはなくてはならない根菜の一つです。
筑前煮もサトイモがなくてはならない素材です。戦国時代、黒田清隆は畳を乾燥ズイキで作らせ、籠城に備えた話は有名です。
 「蓮葉はちすははかくこそあるもの、意吉麻呂おきまろが、家なるものは、芋うもの葉にあらし」この万葉集の歌は謙遜もあるのでしょうが、上流貴族の宴会には蓮の葉にご馳走がのるが、下級役人の私家では芋の葉に載せるしかない。と言うことですが、とんでもない話で、ハスよりサトイモの方が偉大な貢献をしてきた野菜なんですが。
 
 
 5月18日、三宅岳ちゃんの展覧会 「みちしるべ岩田澗泉さんの道標」展
 西丹沢で、山の案内板を作り設置している岩田さんがくると言うので、東中野のポレポレ座に出向いた。殴り仕事の土田さんと合流。
 ひょうきんな人のようです。町の設置した道標が、間違いがあり、遭難者が出たのに憤慨して、手作りの案内板を設置し続けている。それだけなら良いのだが、町の道標を壊したとかで、今裁判中とのこと。
 彼の道標の方が面白いし、丁寧、楽しい。お役所の杓子定規な発想にはうんざりです。
 こういう少し問題があるところに首を突っ込むのは、岳ちゃんらしいことです。岳ちゃんのお父さんお母さん、藤野在住の絵本作家の西村さんにも挨拶出来て嬉しかった。
 
 6月6日、流砂
 星野修ちゃんが関係した芝居、震災の絆をテーマにした、を観に行ったのですが、こう言うことがあるんですよね、全くセリフが入って来ない。早口でまくしたてるということもあるが、僕の頭の中は別のことでグルグル回っていて、芝居を受け付けないのです。最後まで受け付けないで終わってしまった、珍しいことです。
 後日、修ちゃんに感想はと聞かれ、申し訳ない、今回はコメント出来ない、と言った。
 
 夏みかん、梅干し
 6月は梅干しの季節、今年は青梅産の大粒が見つからかったので、紀州の南髙梅と青梅産の小粒の二種類にした。やはり南髙梅は良い、種が小さく果肉が大きい、どう漬かるか楽しみです。
 仕事仲間の藤田君から「近くに夏みかんがたわわになっていて誰も取らなくもったいないので、武藤さん少し貰ってくれない。」のメールがあった。こういう話は大歓迎、人が見向きもしない物を美味しく変身させるのは、楽しみなのです。後日大玉の夏みかんを十玉ほど貰った。食べたら懐かしいレモン並みに酸っぱい味、なるほどこれじゃ今の人は食べないのは仕方ない。でも活用となると別、酸っぱいミカンだから変身したら美味しくなる。
 一つは蕪の甘酢付け、お酢の代わりにミカンとのジュースと皮の千切りを入れた。これは大成功プーンと夏みかんの香りのする、蕪の漬け物が出来た。
 次はマーマレード、実はジュースを搾り、皮は裏返して苦みのきついの白い部分は、皮むき器で少し削除、三分の一を薄くスライス、残りを実のジュースを加えミキサーでどろどろに。砂糖を加え煮込むだけ。
 夏みかんと砂糖だけだと味が淡泊なので、今回は白ワインを加えてみた。夏みかんの香りぷんぷんする、マーマレードが出来た。藤田君を始め仕事仲間におすそ分けした。
 後日千葉さんから「苦すぎる」と言うメールを貰った。さあて来年はどうしましょうか。苦みの残るのは仕方がないが、その程度は改善しないと。

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