思い出すまま - No111 / prev top next





 休憩時間
 特に仕事が忙しかったり、いいにつけ悪いにつけ精神的負担が長く続いたときは、必ずそういう時間を取るようにしている。特別何をすると言うわけではない、心を亡くさせていたことと一旦縁を切るためにである。
 今年も十二月半ばまで仕事で、でもそれから一月半ばまで、クリスマス関係の仕事以外は何の予定もない。楽しみである。

 僕らの日常、平凡な毎日というのは恐ろしく巨大だ。毎日は取るに足らないものだが、その累積となるとズシッとした重さをともなっている。だが、他に人生には特別な時間と言うものがあり、節目節目になる事件や変化のことだが、僕らの実際の記憶には、その節目節目になった象徴的なことが大幅な領域を占めてしまい、圧倒的に長い平凡な時間は、同じパターンの日々として圧縮縮小されてしまう。  ほんとうは、その長い時間の間に気づかず進行する僅かな変化の集積が、この象徴的出来事を演出しているのだが。そのわずかな変化を感じるためには、日常から離れたニュートラルな時間が絶対必要なのです。

 そんなことを考えていたら、悲しいニュースが飛び込んできた。美学校時代の知り合いが自殺したという、それも半年前のことで最近分かったと言う。静かな十二月後半のはずが、メールや電話のやりとりで、けっこう忙しい。この時期にはふさわしいといえばいえるが、自殺は悲しいしきつい。藤野町の(三宅)岳ちゃんからメールが来て、藤野でも一人自分で命を絶ったという。僕の知り合いではなかったので、こちらは何もしないことにした。
 丁度この時期、僕の御袋も自分で命を絶っている。そんな訳で、この時期は一人になり静かに送る時期、と自然となってしまった。

 自殺はやはりいけないね。僕は二十代で水俣病の患者さん達に接して、そう強く思うようになりました。人間は生きていること自体が奇跡の産物なのです。それを完うすることが生き物として、まずすべき仕事でしょう。その辺から論理を組立てたら、自分から死ぬ理由はどこにも見つからない。

 でも、原則はそうでも、身内が死ぬとなるとそう簡単には割り切れない。御袋の場合は、痴呆の初期の欝病下の事故死ということになっていますが、僕は病気のせいにしたくなかったので、敢えて「自分の意志で死んだ」と言いました。考えれば考えるほど簡単には言えるものではありません。
 自殺者は理由が一つじゃないのです。自分ではどうにもできないものを二つ三つと抱え、欝病になりそういう行動にいたるのです。そういう状況に陥ったら誰だって分からないというのが真実でしょう。当事者しか分からないことも多いから、食い止めることも難しいのです。これは重いし、きついね。

 アホと言われようが、馬鹿と思われようが、長く楽しく思ったほうが人生勝ちです。




      

王子のpit 北/区域で組み立てられたヤッサンの「大男」と「顔の入った作品」。 2007/11/28




 2007という年は
 今は12月下旬、今年を振り返えると、今年も色々ありました。二三印象的なことを書きましょう。 仕事はまずまずでした。有り難いことです。それと夏が暑かったこと。摂氏40度を超え記録のでた日、夜高崎を通ったらすごかった。十時過ぎなのに三十五、六度あった。温暖化と言われているからこれからもこんな傾向が続くのだろうな。湿気の多い日本の三十五度以上は体に堪える。
 嬉しかったことは、屋久島の「ヤクタネ五葉松の調査保護」の活動をやっている手塚君達が賞を貰ったことです。世界遺産、世界遺産と人は言うけど、地元のボランティアの活動なしには何も成立しないのが世界遺産です。観光客が集まり観光業は潤うか知れないが、観光客は自然を破壊するだけで直接的な保護はしない。でも、もはや自然はこういう世界的システムを構築しなければ守れなくなった時代に生きていることも確かです。それは外側の社会的環境と言うことで、彼らのような地道な直接的活動なしには何に成立しないことなのです。だから僕は友人としてとても誇らしく思います。
 悲しいことに今年は、知り合いが二人逝きました。相模原市の森政一さんと美学校時代の石田勝久さんです。ご冥福を祈ります。

 さて、世の中、政治の世界は荒れましたね、いいことです。自民党の長期政権は良くない、良くない。来年2008年は政権は変わってほしい。サッカーのオシムの哲学は「走りながら考える」「ボールも人動いている、それらの動きを予想し動く」です。それはどの世界でも言えることです、それが出来ていないのは政治の世界です。経済は、長い不景気で少しそういうことが出来るようになってきた。政治は全く出来ていない。巨大な行政というシステムが、旧態依然として、古い動きしか出ていない。環境問題、食料の安全保障や地方の疲弊や老人社会への対応や・・・よく見えていないから先を見た動きが出来ない。自民党じゃ無理無理。お隣の韓国のほうが、動いている。もっとっと風通しが良くないと。

 2008年はそろそろ夢見たいですね、僕も、新しいこと。



 
では、そろろ
ギャオォォォォーーツ
2008年・明けましておめでとうございます。
今年も楽しくやりましょう。
 
                                  失礼しました、発吠えでした。



会津の縁起物飾り物、起き上がり小法師。





  中国
  NHKで中国の特集番組やっていたので、見ていたけど、この国、日本の60年代と似ている言われるけど、もっと大きな矛盾を抱えているのだと思います。

  今回気になったのは「ブランド」ということです。昨年中国製品の安全性やコピー製品やコピー文化が世界的に叱責された。コピーでないものを作るためには、長い技術の蓄積が必要なのです。企業独自の哲学があって始めて始めて、オリジナルの製品が作れるのです。中国の場合、革命以後それが跡絶えてしまった。今の中国企業はせいぜい20年ぐらいの歴史しかないのです。国営企業から延々と続いているものもあるのかも知れないが、詳しいことは分からない。でも、「企業ブランド」という視点から見たら、日本の大正時代と比較したほうがいいのかも知れない。

  例えば世界企業になったトヨタは、創業者、豊田佐吉の研究者・企業家としての精神なしにはこれ程の大企業にはなりえなかった。松下幸之助も然りです。もちろん、中国の四千年の歴史には現在と未来の世界に繋がるものを作り出すための素材は、豊富に眠っている。それを紐解き、世界に通用する、世界をリードするものに積み直してこそ、始めて中国企業は、トヨタや又欧米の企業と拮抗するのです。そこまで行かなくては、二流三流と言わざるを得ません。力まかせじゃ今後も、延々と中国製品への非難は続くことになります。




  大晦日の日、小菅の温泉に行った。その帰り、西原、棡原、甲武トンネル、檜原、五日市のコースを通った。西原集落の所々に、村の人が作ったと思われる人形が飾られてあった。何ともかわいらしく、よく子どもの姿を表現していて、しばらく見学した。すばらしいオブジェです。    


  新しいこと
  画家廃業(休業)宣言を出してからしばらくになります。「僕は大工です。」と誰にで行っています。さてこのまま大工で行くのか、僕にも本当のことが分かりません。「新しいこと」といってもなかなか出てきません。情熱を傾けるためには、今までとは違ったものがかなり明確に見えていなければできません。見えてこなければ、このまま大工でいいのだと思います。
  もちろん、大工を僕は一生懸命やります。それでいいのだと思いますし、新しいことも捜します。若い頃のようにガツガツはしません。今年あたり、「何か糸口」ぐらいは見つかるかも知れません。今より生き生きできたら、それが僕にとって新しいこと仕事です。「生き生きできるかどうか」が一番大切です。

No111 / prev top next