思い出すまま - No100 / prev top next

 有り難うございます。この新聞も100号を迎えることができました。これも時々、感想など言っていいだける皆様のお陰です。これからも、出来るだけ長く、素直な私を出せたら幸せです。宜しくお願いいたします。
2006.3.3 まもる 
 
号に付いて

 三年ほど前、乱蘭通信の過去のものを引っ張り出し、CDに記録する作業をしました。大変な作業で、丸まる一月以上、毎日それだけに費やされました。その中で発覚したことがあります。実はこの新聞は、今回が百号ではないのです。99号か98号なのです。No17は完全に飛ばしてしまいました。No39は「乱蘭通信39号」として配布したのではなく「通信に代えて」というタイトルで配布したのです。
 No17はエジプト旅行後に個展ひかえていて、新聞のことなど眼中になかったのだと思いますが、よく覚えていません。No39は分量が少なかったので、「乱蘭」とつけなかったのです。そして、ナンバーはそのまま変更なしに重ねてきました。ここまで来ますと、それらの号以後の時間のほうがずうと長くなってしまいました。
 今、思い出しますに、No17は思い違いです。No39は初期の「病的な自分の脳味噌を整理する」ということにひとつの決着が付き、別の価値を見つけだせないでいた時期です。「友達」というテーマは最初からあったのですが、個展やイベントのの忙しさの中で、新聞の価値が見えなかった時期です。
 でも、ここまで続きますと、今回が正確にNo98かNo99かであるかなどはどうでもいいことです。もう間違いの時間のほうが長く重いのです。だから今回がNo100なのです。

 
 一人

時々、気の合う女のひとが傍に居たらと思うこともあります。精神的にキツイ時や大変な時は割と一人のほうが楽と感じることの方が多のです。そう言うときは神経質になっていますし、一寸でも気の合わない人が傍に居ると、この状況を説明する労力を考えてしまったりして、ついつい一人のほうが楽だと考えてしまいます。
 苦しい時は一人の方がいいようです。しかし、嬉しいことや楽しいことがあったときは、ああ、一人は淋しいやと感じるものです。
人間というのは社会的動物です。他人の力なしで一日たりとも生きて行けない動物です。一人といってもそれは程度の問題です。自分一人の世界と社会との関係が他人より閉鎖的なのか開放的なのか、自分の常識と社会の常識がバランスを保っているかいないか、さまざま指標の程度の問題です。他人の作った食べ物を食べながらしか生きられないし、他人の運転するものに乗らなければ移動もできません。古来からの「隠者」といわれる人々だって、社会と完全に縁を切った人は非常に希です。
そう話を拡大せず僕自身のことに戻しますが、「なぜいまだに独身?」と聞かれても、たまたま縁がなかったとか、なんとも僕自身もよく分かっていません。大家族の中で生まれ、独り突然変異個体のように一人ぼっちの空想の世界に浸ることが多く、人と一緒に遊ぶことが苦手だったということは言えます。  時に、一人というのは恐いことです。自分と社会との関係の取り方を間違えたり、精神的な病気になったり、または犯罪者になってしまうような妄想から抜け出せなかったり、自分をコントロールすることが大変なのです。特に若い頃は。そんな危険を回避しようと始めたのがこの新聞の発端です。
でも、それは初めの何年かのことでした。今年でこの新聞も十八年になります。これだけ続くと言うことは、そこにいいリズムが流れていると言うことです。二カ月に一度、家に帰った寝るまでの三十分、一時間の作業。思いついたことをワープロに書き留め、休みの日に編集し、そのまま送り出す。「面白かった。」という何人かからの反応。無理のない循環を造り出すことができたからです。
そんな訳でこれからもこの新聞も続けてくことが出来ると思いますので、気が向いたら読んでください。基本は「無理しない」と言うことですので。その内好きな女性が見つかって、彼女に夢中で、阿呆らしくて新聞なんかやっていられるか、言う具合で止めるのが夢なのですが・・・・。
 

青梅の街角に飾られた映画看板
正月温泉に行った帰りに通ったときのもの、多摩地区に戻ってきて
近くになったことですし、温かくなったらゆっくり探検にゆかないと。

 ホリエモン

 今年の初っぱな、大きなホリエモン騒動が世界中をかけ巡った。地検特捜の強制捜査に始まり、株価の暴落、東証がシステム傷害を起こすほどであった。株の問題だけでなく、政治まで絡んで、しばらく混乱は続きそうである。今まで、ホリエモンを持ち上げていた風潮が、一変して、ホリエモン非難一色になった。世の中は恐い恐い、持ち上げる時は誰でも彼でも持ち上げておき、一度ケチが付くとサッと掌てのひらを返したように悪く言う。乗った梯子を簡単に外すのがこの世です。
 この人物、昨年の日本放送買収劇の時、おかしいな、強引すぎる、何か簡単に考え過ぎている、と思った。選挙も当選するつもりはなく、話題を作ること、政治家とのコネを作ることが目的だとすぐ分かった。でも、だから悪い人間とは思えなかった。今でもそうです。
 「株だけ見ている成金主義」「政治まで株価を上げるのに使っている」という批判もあるけど、若い人間がそれだけの欲望を持って古い世界に殴り込みをかけることの方が、すばらしいことに思えるからです。間違いは仕方ないですよ、若いんだから。
 億単位で損をしたのは個人投資家のことですが、それは「個人投資家」という素人の投資家世界が開けて間もない時期です、いい薬になったということでしょう。社会や商業の世界の構造的な大きな問題がホリエモン騒動の反映ではないと思います。僕は「耐震強度偽装」の方が、生活に直結しているし、建築業界に蔓延している、手抜き工事などと絡まって根深い深刻な問題だと思うのですが。
 恐らく、彼が間違えたのは、百億単位の中堅の企業なら見過ごせることでも、一千億を超える大企業では許されないという、大きさの変化だけでない質的変化があることを見逃したということでしょう。法律に触れるか触れないかのグレイ、どこの企業だって厳格に法律を適応すれば、一つや二つ法に触れることはある。そのグレイがたくさんあり、規模が大きくなればなるほど社会的影響が大きい。地検が動いたのはその社会的影響の大きさという政治的判断です。
 僕には明らかな脱法意識が彼にあったのかというと判りませんが。巨大化する中で、その判断力が麻痺していったのかも知れません。残念です。新しい技術は夢を与えるが、それにまつる哲学や総合的なものを同時に創造して始めて社会に組み込まれるのです。一つ二つの要素だけが突出したら、歪な単なる奇形になってしまうです。
 今の時点、毎日動いているので本当のことは分からない。マスコミ報道も、地検が流してくる悪い材料が根拠になっていることが多し、本当のことは裁判になってみなければ分からない。株が暴落して、社長が交代した時点で、地検の目論見は大方終わったのではないでしょうか。

 ホリエモンはこの逮捕に徹底抗戦の様子。良いですね、こういう気骨ある人間だと何か応援したくなってしまう。僕が感じた違和感はあるけどそれはそれとして、人間は悪いとこは後で殻修正できるものだし、大切なのはこの気骨です。




二月下旬の銚子 海が見たくなりひたすら十六号を走り利根川沿いに銚子にたどり着いたのは午後も四時頃、海はいい、昔はよくきた。水戸から館山のこの海は僕好きな海です。


 欝病・・・そして、夢

 サブ(朝吹)がここ二、三年、一寸すると「欝病だ欝病だ」とわめき散らしている。ガラス玉作りに閉じ込もることが多くなったのが直接の原因ですが、あんなにうるさい人がと可笑しくなってしまう。「人にそんなに言いふらしている内は大丈夫だよ。」と僕は笑って言い返すのが常なのだが。この前、仕事場であった、ひろし(鈴木浩)も同じようなことを言っているので噴き出してしまった。
 そう笑ってばかりいてはいけない、僕の甥も欝病で仕事を止めて実家に戻っていると言うし、生真面目な日本人の精神症として深刻です。「真面目で、素直で、人の良い」という美徳とされる性格の持ち主にこの病になる人が多いのは困ったものです。僕の友人達のように「欝病だ欝病だ」といいふらした時点で半分直っているといってもいいのですが。そう言えない人が深刻なんです。
 僕も三、四年前、無気力になり、人にふれまわった。母が死んだり、引っ越しとかバタバタしている内に直ってしまった。このまま何も新しいこと見つけられなけばまた陥るかも知れないけど。
 春先のこの時期、そうじゃなくとも心とからだのバランスを崩すことが多くなります。ボートが波に揉まれて不安定になることと同じです。夢という速度を持てばボートは安定するのです。更に実現化出来るという実体が伴えば、大波を切って進むことさえで来ます。
 何でもやって見ましよう。知らない僕を発見できるかも知れないし、大きな夢を見つけることができるかも知れない。そんな意味で、今まで以上に頑張らなくては。




 歩く

 やっと春らしくなり出不精の僕も、少しは出不精が解消されるのではないかと期待しています。引っ越しして身軽になったことですし、今年のテーマは「歩く」にしようと思っています。ついつい車に頼ってしまって歩かなくなっている自分に気付きます。上野原では、コンビニに買い物に行くのにも2、3kmありました。それを歩いて行くということにはならないし、ついつい車に頼ってしまいます。
 昨年の春、急に脚の関節が痛いむようになりました。その対策用ストレッチは見付けたのですが、明らかに足腰が弱っていることに愕然としました。歩くことには自信があったのに、こんなに弱くなったのは車のせいじゃないかと思います。
 福生に来て早速、車を使わず電車を使うようになりました。近くの牛浜ではなく、2km先の拝島まで歩くようにしています。これから玉川上水の散策、多摩川河原の散歩へとつながればいいのですが。フラッと当てもなく電車に乗り、どこかの駅で降り、その街をブラブラするのもいい。車の視線ではなく、歩きの視線を取り戻したいものであります。

 二十代は良く歩いたのです。一駅二駅、電車に乗らず、時間のある限り良く歩きました。僕の絵は、そんな中で小さなメモ用紙にデッサンすることから始まったのです。目的を決めずフラフラらすること、僕にとっては大切な時間だったのです。そして、できたら寄り道しながら空想の物語に耽っていた少年の頃にまで戻ることができたら。

 僕は、こう空想、空想と言っているのに、童話やSFなどの空想的物語が書けない。詩や絵は描けるのだが、思いつきはあるのだけど長くならない。世界が作れない。元々現実主義者なのです、僕はその反面に。お金の計算とか、仕事の連絡を取るとか、現実的、事務的なことがいつも頭の中を駆け回っている。自分勝手な世界になかなか浸れ切れないというのが実際の自分の姿です。芸術家にもなり切れなく、また、ただの生活者にもなれない中途半端を彷徨さまよっているだけの人生です。

まあいいか、中途半端な「彷徨人生」でも、もしかしたらフラフラ散歩の途中でまた、すごい宝物を見つけることが出来るかも知れなしね。