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野菜とバラの日々その後
小牧みどり
  庭がない。庭がない。庭がない。つるバラピースを植えなければならないというのに庭といえる場所がない。2004年の、2月の寒空に、CLピースと書いてあるバラの苗木を衝動買いしたのだ。わたしは、そのバラについて、あまりにも知らなかった。
 サザンカの垣根がある。6本あるうち、1本だけ残してあとは引き抜いた。赤、白、ピンクとあったところに、バラのアーチを埋め込んだ。なにしろ、巨大なバラで広い場所が必要だ、と書いてあったのだ。土木作業をするにあたり、作業着を買い、バラ用の手袋を買い、赤玉土、腐葉土、乾燥牛糞を買った。スコップも買った。赤れんがも10個、バラの本も2冊買った。

 作業中、近所のおじさんに、「思い切りがいいねえ。」と話しかけられたが、「おもいきりがいいのはどっちだよ、憲法9条はいいのかよ、戦争放棄といいながら、自衛隊という軍隊が、イラクに行っていいんですか。明らかに憲法違反じゃないですか。人の気も知らないで、自衛隊がイラクに行っていいわけないだろ。なんの反省もないんですか。」とは言えず、「黄色いバラがここまでぐるっとなる予定だから、楽しみにしててください、おじさんも長生きしてくださいね。」と言ってしまった。80才過ぎているんだからもう長生きだね。戦争には行ったんですか、何をしたんですか、くそ、石が多い、こんなところじゃピースが育たないよ、と思いつつ、本に書いてあったとおりにピースを植え、なんとかアーチもできた。

 アーチは、縁側に向いていて、縁側にはガラスの向こうに猫が指定席に寝そべっている。こんどはおばさんが、「いい猫だねえ、太ってるねえ、もう年だろう。」などという。この縁側をギャラリーにしよう。この欺瞞的平和を看過できないと思う。猫の後ろに、ついたてを建て、そこにハンガーを掛けた。ハンガーには緑色の布地をかけた。布地には、白い和紙をちぎって、no warという字にして貼りつけた。誰もそれについては、なにもいわない。
 保育園のよいこのみなさんが散歩に行く。50人ぐらいに、先生が10人ぐらいか。「ねこだあ、ねこだあ。」とたちどまり、おおさわぎなのは先生のほうで、「猫がうらやましい。」なんて、よいこのみなさんの前で言ったりする。ぼくはエルです、と張り紙を出してからは、「エルちゃん。エルちゃん。エルちゃあーん。」朝から夕方まで、口コミで広がり、きょうはいるかなあ、と言うのが占いのようになっている。2階の窓からみていると、「いた、いた、よかったね、きゃあああ、」と女子高生たち。ああ、一人ぐらいno warと言ってくれませんか。黄色いバラが咲いたら、気がついてくださいね。そのうち、イヤでも目につく看板を出しますぞ。看板にはこう書く予定なのだ。

「このばらは1945年に、第2次世界大戦の終わりを記念して、「ピース」と名づけられました。ここに、世界の平和と安定を願い、憲法9条を守るため、このつるバラを植えました。2004年2月自衛隊イラク派兵の日」

 しかし、看板を出す前から危険を感じる。S学会が来た。「あなたはK党ですか。」と言われる。話にならない。もう、すんごくいや。これ以上イヤなことはない。ポストには、K党のチラシが入っていた。ストレス解消のために買ったバラのおかげで、面倒なことになりそうだ。なぜ一人で、個の思いを表現できないのかね。徒党を組む気はない。いまだに、自由とは言えない。人権などと言ってみたところで、日本語が通じない。言葉よ。日本語よ。今、この国には、ことばもない。闘いはつづく。世界の子供と女性のために。そして、逃げられない植物と殺される動物のために。歴史を学ぶということは、同じ過ちをくりかえさないということなのだ。「事実」とはなにか、常に変わりえるものだから、学ばなければならないのだ。事実を学ぶ「目」を養うことが必要だ。バラの咲く日々が楽しみだ。すでに、犬の糞がしてあり、いい肥料になるかもしれない。


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