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    15才の時         
小牧みどり
 
 思いだしてみれば、15才の時が一番自分らしく、人生に対して真剣でまっすぐに生きていたような気がする。私は神奈川県立相原高 校の造園科一年生だった。父の言うことを聞いて女子校に行っていたら今の自分はなかっただろう。
 
 記憶違いかも知れないが、在学中、化学のテストが抜き打ちで行なわれた。私の成績は良かったのだが、クラス中でヒドイ成績だった。それは当然で、まだ習っていないところまで出たのだ。みんな怒って抗議した。すると先生は私を言い訳につかった。次のテストではみんな良い成績だった。しかし、私は名前だけ書いて提出したのだった。後に今でいう登校拒否になり、やめるか残るか決断をせまられた。
 
 職員会議が開かれ担任の先生の話だと化学の先生がやめさせようとしたところ、地理の先生がずいぶんかばってくれたそうだ。地理の先生は文芸部の顧問でもあり、私も文芸部で詩を書いていてよくほめてもらった。文芸部の先輩が卒業するとき、私に中原中也の詩集をプレゼントするのにその先生に頼んだりした。(その先生は後に県知事選に出馬したので私は喜んで一票を投じた。)三月のある日、私は成績の良い友達と二人で広い校庭を歩いていた。ぼたん雪が降っては解けていく中で二人は学校をやめることにしたのだった。
 
 あれから32年が過ぎ、時代は大きく変わり、今までの価値観が問われている。それが相原高校の存続問題として表れているのだと思う。駅前に残された緑豊かな教育の場が、県の財政難を理由に売り飛ばされようとしているのなら一市民として無関心ではいられない。一度失ったら取りかえしがつかないのは人生ばかりではない。心を豊かにしてくれる木々のことを忘れてはならないと思う。





(発行当時のページの写真)

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