門前
八木雅弘
●木蔭に休らぐのは木蔭が急激だから。あまりにも急激な速度だから。折り重なる緑に、夥しい異った時間が幾重にも参差する。
●とめどなく湧いてくる箇処が始まりである。そこから見え始める。そこで見えなくなる。同じことだ。
●ゆっくりと回り込んで、そこからの見晴しをそれじたいが遮っている。裂けても、その向きに限られる。裂けめにとどまるならばむしろ蔽うことになる。
●蔽いの切れた箇処が裂けめであり、始まりである。湧いても消えても始まりである。
●消え入るのはそのじつ裏返りが湧き出るということにほかならない。色の裏返り、光の裏返り、眼差しの裏返り、出来の裏返り。
●というより、消え入ると見える箇処で残ることを裏返す。
●「からだで金を買っているんだ」
●憶い出してはじめて光のただ中を通ったことが判る。無辺際な恵みを呼吸していたそのあいだ、私はただ目的に気を取られていたのだ。
●ひとが殺されることに同意する沸点のようなもの。
●死は、入り口へ嵩む。向うからこちらへ、私へ、その余の一切が賑々しく殺到する。
●口には出入りの風がまつわる。あらゆる口には。出入りならざる風をまじえて。およそ風をたぐれば口に及ぶ。
●還る土などどこにある。
●潔癖とは習慣で習慣を消そうとすること。
●窓は亡者の慰め。
●性欲は湧き水みたいなもの。知らずに手を洗ったり足を洗ったりしている。水を濁すことはあっても水に濁されることなどない。
●階段は階段の叢がりである。
●嵩めば階段である。のぼることも下りることもできる。
●遅かれ早かれ目的は見失われる。見失う、あるいは失う、そこに道はある。道は目的地までの手段ではなくなる。目的の方向の終局には死がある。道は死を遠ざけるやりかたなのか。道はそれじたいの目的を見失わせるためにあるのか。だとすれば道の本然は道を往かぬことにある。
●激しく滲んだ下から見上げる。激しさは途方もない広がりとなって、見渡す限りほとんど静止して見える。
●育てるために固定するということか。育てるために動かなくなる。自ら土壌となって植える。だがそれは捧げる習わしによって奪うことにほかならないのではないか。
●平和にしか値しないということは、すでに平和に値しない。
●見るのは、見尽くせぬということにふれるため。じっと凝視することが、不意の一瞥に如かぬ。一瞥に於いて憑かれ、再び見ることも叶わぬまま、見る魔と化して出くわす一切が一々目覚ましくなる。
●目覚めは果てしなく嵩む。覚めても覚めても切りがない。
●山を登る。心臓が心臓に至る。山が暮れる。山がのぼる。射し始めてたちまち満ちる。山には山の潮。
●照らし合わせる前に照らし合っていたのだ。
●顔がからだを裏切っているのか、からだが顔を裏切っているのか。いずれにしても裏切ることがここでは切っても切れない絆となっている。
●しずかに雨が降り始める。からからに乾いた雨樋を、沁みるように水が伝ってくる音が聞える。水はまだここまで届かない。かすかに鳴っている。ひとりでに耳を澄ます。音は、雨よりもはるか遠くからやってくるような気がする。
●いちめんにさざなみ立てば、水面はいちまいではないのが判る。水面は無数に重なり層をなす。上下に重なるだけではない。左右に重なり、前後に重なる。水のなかで水面は無数の層をなし、ほとんどまるく見える。だがそれも微動に於いてだ。微動と微動が重なりあってわずかなずれを生み、微動とずれは互いを伝えて広がる。私のがわにも、無数の微かな目ざめと無数の微かな眠りこみとが思い思いに応える。まるでひとすじの煙りに目を凝らしながら近づくようだ。
●輝くということは、光をはじいている。光となじんではいない。
●貨幣とは恐らく空間の獲得なのだ。
●道路。もはや交通は事故にしかない。あるのは流通だけ。ぐるぐると血液のように隈なくめぐる。どこに辿り着くでもない、とともに到るところ無数の辿り着きを含む。私はどこをどう通ったのか。通行に慣れるほど、私の通行は半ば地を離れて瞑想の趣きを呈し、私の通行の実体というか事実は薄れかかる。ひたすら滞りない。滞りのなさに奉仕しているようなもの。滞ることは事故であり、休息でもある。だが哀れな私たちは不意な休息を憎んでしまう。
●ほとんど知らず知らず、充実しきって、満を持して、すなわち蝕の皆既となって、欠落して、終(つい)に、持ち崩さんばかりに、スタートに就く。消え入るとも、絶え入るとも、事切れるとも知らず、最後には、これが最初の、スタートラインへ、漲って、うずくまりゆく。ゆっくりと聾して一滴に及ぶ。恐らく。
●食は蝕。欠伸のさま。じわじわと緩んで戻す。
●損得は、結局、価値ではない。
●おまえのからだはおまえではない。「ほれ、おまえをからだへ連れ出してやろう」か、それとも「ほれ、からだをおまえへ連れ出してやろう」か。
●花は実をむすぶため。忘るべからず。踏まえて忘るべし。横着は知らず。知って、花は及ばず。
●生活に余剰などない。生活にはいかなる余白もない。余白を云うなら生活まるごとが余白なのだ。生活の外などどこにある。生活は家ではない。おまえ自身だ。おまえは家を出る。それが生活ではないか。
●風景に筆順はない。生(む)すのみ。
●うたは顔の隙きま風であった。顔、いかなるまなざしにも躱(かわ)されて根拠を欠いた顔が、顔であることに耐えるための、隙きま風。顔ではなく、顔が耐えねばならぬ時間こそ隙きまに過ぎないと言い聞かせるための。
●雨露を凌げば雨露をへだたる。一室の安息は逼塞に似て漫(すず)ろに窮す。身はひとえに空間に滲めず、やむなく時間へ滲む。天然の水の経めぐりに「汲む」はありえない。汲むは人為である。汲んだ水に身を沈めるように、いのちはかたちに浸す。かたちはいのちに漬かる。風呂をあがるようにいのちがかたちをあがるとき、先んじてかたちがいのちをあがるならばそこに何が残る。嗅ぎ取る前に嗅ぎ去る、嗅がせて去るほかないもの。
●見えなくなるのは、何かに隔てられない限りは遠ざかったということに他ならないが、それは空間というより時間にかかわる問題なのだ。
●道とは、道に出くわすところ、いや、出くわすことじたいの謂だ。
●しばらくのあいだは道が道をふさいでくれている。それ以上になると今度は道が道を、それこそあらゆる道を引き込んで溢れてしまう。かくして雨は降(くだ)る。
●たった一度でも世界を見たということ。