編集後記
○ 表紙の写真の解説がついつい多くなってしまった。故郷は遠くにありて想うものでしょうか、離れているからいろいろ思い出すのです。今の日常と連続した土地であるなら、そんなに懐かしく感じない。外国にいたり、今の北朝鮮のように恐れと行けない土地となったら「懐かしい」という言葉では測れないものになることでしょう。
○ この新聞も百号までは続けようと言う考えになって久しいけど、長いと言えば長いし、この前出したのにもう次の号と短いと思えば短い。
○ やっと少し景気が上向いてきて仕事も少し出てきた。ちっとホットしています。仕事を選べるので展示会の大工をやっているわけで、入ってくる仕事なんでもしなければならないのではこの仕事やる意味がないのです。
○ 春に大家さんに今年中に転居先を見つけますといったがまだ見つからないので困っている。物事は最後の最後まで分からないものです。こうなれば最後までがんばるほかない、その後考えましょう。
○ 今回の原稿を寄せてくれた人は、高橋えーこ、篠田香織、ながっちょ、菅野幸江、八木雅弘の各氏とむとうでした。次回は年が明けた一月半ばごろです。
○ 今日、無事に過ごせたことはありがたいことです。元気な人、ちょっと沈んでいる人、いらいらしている人みんなそれぞれです。前向きに前向きにと思っていればきっと今より素敵な明日が来ます。マイペースで程々にがんばりましょう。
15 nov./2003 Mamoru
表紙解説
今住んでいる上の原町近辺の写真をと思っていたのですが、なかなかいいところが思いつかない。時間が迫り、捜しに行く余裕もなくなりつつある。先日アートランドのホームページの背景はSL写真にしたことや、久しぶりに会津のおじと長電話をしたことで田舎が恋しくなったか、インターネットで会津のSL写真を探すことにしました。
表紙の写真は1974年頃、只見線を走っていたC11240です。懐かしいよね。高校時代、会津若松まで汽車で通学していた。会津若松駅のホームに立っていると、只見の方からこんな汽車が入ってきたのです。また、僕の実家の横が磐越西線の線路なのです。汽車の音を子守唄代わりに育ったのです。
この写真は現在走っている磐越西線の観光用汽車、C57です。白い雪の山並は飯豊連峰。この写真左手を一キロぐらい行くと僕の実家があります。この場所に何箇所か田圃があって、たまに手伝わされたが、胸までぬかるいい田圃ではなかった。何時だったか親父と稲刈りに行って、稲わらにひっくり返ったら、空じゅう幾千幾万の赤とんぼが舞っていた。ほかに、葉煙草、豆、蕎麦など作っていた。今は立派な橋があるが、昔は鉄橋の二本の線路の中央に渡された板二枚が道路だった。これも所々腐っていたりした。畑の隅にある秋茱萸ぐみの木実の、あの渋味のある甘さは手伝いの御褒美。今でも忘れられない味です。
観光用にきれいに着飾ったSLもいいけど、生活のにおいのする昔のSL写真は思い出深く特別です。(mamoru)