pre top next

江戸の初夏・卯月 1部

















千住の大はし  2部
「江戸名所百景・広重 画」より



 墨田川に架けられた最初の橋、これが千住大橋であることは案外知られていない。文禄三年(1594)架設。家康が江戸に入国した四年後、幕府を開く七年前である。長さ六十六間(約120m)、幅四間(約7m)、槙材を便ったという。現在の橋は昭和二年竣工、長さ91m、幅24m、もちろん鋼鉄製である。ついでに、その後隅田川に架けられた橋を年代順にあげると、つぎが両国橋(万治あるいは寛文年間)、新大橋(元禄六年)、永代橋(同十一年)、吾妻橋(安永三年)で、これがいわゆる江戸五大橋。明治に入って厩橋が一つ加わる。他はすべて大正以降の橋である。
 千住が宿場として正式に認可されたのは寛永三年(1625)。はじめは現在の月光衝道をはさんで千住一~五丁目(足立区)だったが、寛文以隆(1661~)はさらに南下して大橋を越え、荒川区内の小塚原(南千住五丁目)までのびて繁盛した。なにしろ、奥州、日光道中、それに水戸街道の玄関口でもあり、参勤交代の大名の数も江戸四宿中最高だった(東海道三十三、甲州街道三、中山道三十六に対し、ここは四十六大名が通った)。
 鈴ヶ森の〃南の刑場〃に対して、小塚原が〃北の刑場〃だったことはすでにご存じのとおりで、刑死者を葬った回向院境内で前野良沢、杉田玄白らが「明和八年(1771)…比処ニテ刑屍ノ解剖ヲ観テ発明スル所」(観臓記念碑文)あったのも有名な話。
 有名といえば、元禄二年(1689)「千住といふ所にて船を上がれば、前途三千里の思ひ胸に、ふさがりて」芭蕉が「奥のはそ道」の旅へ出発したところでもあある。旧奥州街道と現在の日光街道の合流点にある素盞雄神社境内に、その「芭蕉の碑」がある。そして橋を渡った西側、いま児童遊園になっている大橋公園にも「おくのほそ道矢立初の碑」がある。前者は文政三年(1820)、後者は昭和四十九年に建てられた。

pre top next


  江戸時代の四月、卯月は今の季節、五月十日頃から始まる。四月の主な行事と食べ物を、「筑摩文庫『江戸あじわい図譜』高橋幹夫著」から上げてみます。

 ●四月朔日ついたち  更衣こういといって、この日から五月四日まで袷あわせを着る。ついでにいうと、「四月一日」と書く姓があり、これを「わたぬき」と読む。この日から初漁の松魚かつおを江戸では特別に称して「初松魚」とう。或いは鰹の字を使う。先年は一匹の値段は二、三両だったが、近年はようやくこれをそれはど珍重しなくなったのか、一、二分になった。
 ●四月八日・灌仏会  三都とも、寺に花御堂が作られ、誕生仏に甘茶をかける。三都ともこの日の甘茶で墨をすり、「千早ぷる卯月八日は吉日よ神さけ虫をせばいぞする」という歌を書いて厠かわやに貼っておくと、毒虫を除くと言い伝えられていて行なわれているが、この歌はあまりにも拙い歌なのに、昔から行なわれているのは、おかしなことだ。
 三都ともこの日、ぺんぺん草というのを五、七本採ってきて糸で逆さにくくり、行燈の下に吊るしておくと、虫除けのまじないになると言い伝えている。大坂ではこの日、各家とも竿の先に躑躅つつじ花を結ぴ付けて屋上に立てる。一竿の家もあれば、数竿を繁いで高くする家もある。釈尊に供える心か、日天子にってんしに捧げる意味か、不明。これは花の塔というもので、ある書に「京都では四月八日に躑躅か卯の花を竿の先に付けて、九輪の塔のようにして家々に立てる。これを花の塔という。
  熱田では切り花を多く付ける。江戸では四月八日に卯の花を門口かどぐちに立てる。同じことだろう云々」とある。近年は江戸で卯の花を門口に差すのを見たことがないが、仏前には供える。
 ●甘茶  『日本国語大辞典』によれば、アマチャ、またはアマチャヅルの葉を乾燥させて作ったあまい茶とある。夏から秋にかけて新芽を採り、蒸してよくもみ、煮汁を取り除いてから乾燥させる。中古以来、香湯の代用として愛用し、四月八日の灌仏会に釈迦の像に注ぐ習慣があると書かれている。
 ●鼻くそ団子  『俳諧歳時記』には、江戸では四月十六日に団子を作り、これを指の腹で伸ばして平らにして上にあんを置き、仏に供えるとある。これをいただき団子とも、鼻くそ団子ともいう。また、卵の花を仏前に供えるという。或いは門に飾るともある。従って、近頃は卯の花売りが多いとも書かれている。
 ●生節なまぶし  『俳諧歳時記』の四月の項に出てくる、鰹のまだ鰹節にならない物のこと。江戸ではこれを「なまり節」というが、その皮が鉛のような色をしているところからいうのだろう。或いは、生節の転化した言葉か。

 ●四月の魚と野菜
   「膾の部」で、刺身、酒びたしの中から魚をさがすと、ひと塩甘鯛、鮎、鮃、ひしこ、干鱈などがある。鮎は背ごしにして、しらが白瓜をそえる。背ごしは調埋法の一つで、頭とわたを取り、小口切りにして酢などに漬ける調埋法。甘鯛は花柚をそえて酒びたし。平目は刺身で、刺身の下に桜の葉を使うとある。ひしこは片ロ鰯の干したもので、これを裂いて白瓜をそえ、辛子酢で出す。干鱈は酒びたし。このほか野菜を使ったものに、焼き茄子、青とうがらし添えというのもある。
 「煮物の部」を見ると、焼魚、車海老付け焼き、蒲鉾などが魚類として便われている。どれも煮物の主たる材ではなく、合わせ物のようだ。野菜は竹の子、さや豆は花鰹をそえて煮物として出す。竹の子と焼き魚とさがらめというのもある。蒲鉾たくさんに茗荷竹を使った煮物もある。少しつけ加えると、江戸叶代には煮物などに鳥の類をずいぶん使っているが、これは一般的なものではなく、あくまで料埋屋の献立に入るもの。ちなみに四月の煮物には青鷺さぎと塩雁かりが便われている。
 「汁の部」を見てみると、ここでも野菜が主で、菜を細かにして茗荷竹を小目切りにした汁。蒲鉾と紫蘇を細かにしたもの。鶯を赤味噌で。茄子の胡麻煮を青山葵で。塩鳥、青山葵、竹の子千(千切り)。くずし身、すり流しと茗荷の子などがある。
 「猪口の部」には、蜆しじみからし和え、川海老の尾と皮を取って赤味噌和え、さがらめの白和え、鮑の黒胡麻和え、数の子からし和え、鮎背ごし、紫蘇蓼が取り上げられている。

                               (まもる)


                               pre top next