江戸時代の四月、卯月は今の季節、五月十日頃から始まる。四月の主な行事と食べ物を、「筑摩文庫『江戸あじわい図譜』高橋幹夫著」から上げてみます。
●四月朔日ついたち 更衣こういといって、この日から五月四日まで袷あわせを着る。ついでにいうと、「四月一日」と書く姓があり、これを「わたぬき」と読む。この日から初漁の松魚
かつおを江戸では特別に称して「初松魚」とう。或いは鰹の字を使う。先年は一匹の値段は二、三両だったが、近年はようやくこれをそれはど珍重しなくなったのか、一、二分になった。
●四月八日・灌仏会 三都とも、寺に花御堂が作られ、誕生仏に甘茶をかける。三都ともこの日の甘茶で墨をすり、「千早ぷる卯月八日は吉日よ神さけ虫をせばいぞする」という歌を書いて厠
かわやに貼っておくと、毒虫を除くと言い伝えられていて行なわれているが、この歌はあまりにも拙い歌なのに、昔から行なわれているのは、おかしなことだ。
三都ともこの日、ぺんぺん草というのを五、七本採ってきて糸で逆さにくくり、行燈の下に吊るしておくと、虫除けのまじないになると言い伝えている。大坂ではこの日、各家とも竿の先に躑躅
つつじ花を結ぴ付けて屋上に立てる。一竿の家もあれば、数竿を繁いで高くする家もある。釈尊に供える心か、日天子
にってんしに捧げる意味か、不明。これは花の塔というもので、ある書に「京都では四月八日に躑躅か卯の花を竿の先に付けて、九輪の塔のようにして家々に立てる。これを花の塔という。
熱田では切り花を多く付ける。江戸では四月八日に卯の花を門口かどぐちに立てる。同じことだろう云々」とある。近年は江戸で卯の花を門口に差すのを見たことがないが、仏前には供える。
●甘茶 『日本国語大辞典』によれば、アマチャ、またはアマチャヅルの葉を乾燥させて作ったあまい茶とある。夏から秋にかけて新芽を採り、蒸してよくもみ、煮汁を取り除いてから乾燥させる。中古以来、香湯の代用として愛用し、四月八日の灌仏会に釈迦の像に注ぐ習慣があると書かれている。
●鼻くそ団子 『俳諧歳時記』には、江戸では四月十六日に団子を作り、これを指の腹で伸ばして平らにして上にあんを置き、仏に供えるとある。これをいただき団子とも、鼻くそ団子ともいう。また、卵の花を仏前に供えるという。或いは門に飾るともある。従って、近頃は卯の花売りが多いとも書かれている。
●生節なまぶし 『俳諧歳時記』の四月の項に出てくる、鰹のまだ鰹節にならない物のこと。江戸ではこれを「なまり節」というが、その皮が鉛のような色をしているところからいうのだろう。或いは、生節の転化した言葉か。
●四月の魚と野菜
「膾の部」で、刺身、酒びたしの中から魚をさがすと、ひと塩甘鯛、鮎、鮃、ひしこ、干鱈などがある。鮎は背ごしにして、しらが白瓜をそえる。背ごしは調埋法の一つで、頭とわたを取り、小口切りにして酢などに漬ける調埋法。甘鯛は花柚をそえて酒びたし。平目は刺身で、刺身の下に桜の葉を使うとある。ひしこは片ロ鰯の干したもので、これを裂いて白瓜をそえ、辛子酢で出す。干鱈は酒びたし。このほか野菜を使ったものに、焼き茄子、青とうがらし添えというのもある。
「煮物の部」を見ると、焼魚、車海老付け焼き、蒲鉾などが魚類として便われている。どれも煮物の主たる材ではなく、合わせ物のようだ。野菜は竹の子、さや豆は花鰹をそえて煮物として出す。竹の子と焼き魚とさがらめというのもある。蒲鉾たくさんに茗荷竹を使った煮物もある。少しつけ加えると、江戸叶代には煮物などに鳥の類をずいぶん使っているが、これは一般的なものではなく、あくまで料埋屋の献立に入るもの。ちなみに四月の煮物には青鷺
さぎと塩雁
かりが便われている。
「汁の部」を見てみると、ここでも野菜が主で、菜を細かにして茗荷竹を小目切りにした汁。蒲鉾と紫蘇を細かにしたもの。鶯を赤味噌で。茄子の胡麻煮を青山葵で。塩鳥、青山葵、竹の子千(千切り)。くずし身、すり流しと茗荷の子などがある。
「猪口の部」には、蜆しじみからし和え、川海老の尾と皮を取って赤味噌和え、さがらめの白和え、鮑の黒胡麻和え、数の子からし和え、鮎背ごし、紫蘇蓼が取り上げられている。
(まもる)
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