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幕あけの幕あけ
宮野尾史子
 
 2000年2月末、バイトをクビになってからひまのようで、めまぐるしい一年であった。
 社長の気まぐれで人がクビになる会社ゆえか、人々の優しいこと、箱づめのセンベイやら、高級ヨーグルトやら、「手切れパン」と名づけてよこした菓子パンやら、はてはいつも来るヤクルトおばさんまでジョアを3本ほどおごってくれた。今思えば退社まぎわが一番平和だった。
 そのあとは、人の出会いのすばらしさなんていう、よくいうかっこいいものより(あるにはあるが)ひどいものも多く、人間は欲張りだからひどいものの記憶が強くて、まあなんて私って苦労しているの、なんて悲劇のヒロインになりたがる。 まわりを見れば、自分自身はそんなにかわいそうでもないのである。手をさしのべてくれる人はどこかにいて、縁あってこうして川瀬めぐさんと笑いころげ、武藤さんを紹介されてトンカチ仕事、私には新しい技術と言葉の出会いに毎回目が点になりそうである。といいつつ、面の皮があつくなってきた自分をふり返る。笑えるものなどひろってみる。
 3月。失業保険をもらいにいく。同じ日に手続きにくる人の多いこと。 100人以上。
 4月。あちこち営業をはじめる。昼間は電話にとりつく。あまり私の好みでない歌をうたう人と会う。雇いたいと言われる。初仕事。高齢者の施設で弾くのに3日前に楽譜をわたされる。ぶっつけ本番。直前にくり返しやら全曲にわたっての指示。できるか。数日後。「好きでないものはやめたら」と、クビになる。よかった。 以後、営業して得た仕事、ライブハウス、他、全部ちがう場所で演奏することになる。狼のようだ。場所をおぼえるのもひと苦労で、一時間に一本のバスをのりまちがえそうになる。共演者が「帰りのバスは?」と恐そうにきく。無し。主催者の車で帰った。
 9月。とあるプレゼンターと電話口でケンカになる。おだやかにおわったが、この件は他へたのんでくれとのこと。いい選択かも。
 次の日。知り合いに事物をたのむ。立ち直りの早い私。例のプレゼンターに顔を見せたいと思った。「・・・ケンカして・・・」と友人たちに次々に電話しまくり、爆笑の渦。悪いよなあ。
 よきチャンスと「オフィス音作」のデビューを思いつく。
 とはいいつつ、他の仕事も命がけ。「命けずるつらさ」と思っても、肉はなかなかけずれないらしい。「やせる思い」で、ときに発作的にバクバク食べている。
 2001年1月。幕あけがなんじゃ。私は去年がミレニアムの幕開けだと思っていた。国によっても違うらしい。1999年のコンサートに「世紀末の秋に」とサブタイトルを付けたが、誰も何も言わなかった。
 「オフィス音作」の郵便振替口座開設。
 地元の郵便局に3日ゴネてねばったかいはあった。もうすでにそこの職員たちに顔と名前は覚えられている。悪いことはできない。
 チラシの印刷をたのむ。こまかく字形のデザインの指示を出し、言葉も何回も変えるので先方のおばちゃん社長が(皆におばちゃんと呼ばれる)、「もういい加減にしません?」と言ってくる。「わかっています。もう終わりにします。」少し前、どこかでギャラ代わりにもらった商品券で箱づめのセンベイを買って持っていく。意外と皆やさしかった。食べ物の威力かしら。冗談はともかく、私本当は感謝しているのです。白黒のはずがダークグレーにされ、「?」の私。賛否両論。まあいいや。できたんだもん。でも、白黒ハッキリしたい私に「中間もいいじゃん」ということか。
 そんなこんなでやっているリサイタルです。他の仕事で追われていてけっこうキツイが、頑張ります。変な曲ばかりひくので刺激のほしい向きにはおススメかも。トークをいれますのでお楽しみに。
  (3月のコンサートの案内は別ページ)
  ※ムジカノーヴァ6月号(たぶん)に演奏会評がのせていただけることになりました。コネも名もない私、文章がちらっと出るだけですが、お気がついたら見て下さい。

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