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     <水眠亭日記> 21                  山崎史郎
水眠亭
 「茶の湯」とは
 「茶の湯」とは(何ぞや?)と題して今回から連載して行こうと思います。「『茶の湯』とは・・・」と遠大なる題目に致しましたが、正直いって、初心者の私には皆目判りません。すべてが疑問ばかりです。すでにあらゆる視点から茶道史とか、わび茶を確立した利休についての本が多く出版されているのは皆さん御存知の事と思います。しかし、現代の「茶の湯」が、果たしてどれだけの人々に理解され実践されているかというと、ますます疑問が深まるばかりです。「日本文化そのものが孤独な文化である」と熊倉功夫氏(国立民族学博物館教授)が述べられているように日本ほど外来文化を有効に摂取して、特異な“鋳型”に納めてしまった文化はないと思います。しかし、その日本的ともいうべき“鋳型”が現代において有効に摂取されているかというと、これ又疑問であり危惧の念さえ覚えるのです。日本の文化は西洋の積み重ねる文化ではなく、いったん捨て去ってその上に新く創造してゆく文化であるといわれますが、現代はあまりにも全て(いいものも悪いものも)捨ててしまい、その創造の芽さえも摘みとってしまっているように思えるのです。「茶の湯」はよく日本文化の総合芸術だといわれます。それは「茶の湯」には、書画・工芸・ふるまい(所作)等、日本のあらゆる文化が凝縮されている特異な日本文化の典型であるからだと思います。私事ですが昨年の春から「茶の湯」を習い始めました。「茶道」に関しては随分以前から興味はありましたが、まだ始めるまでは考えが至っていませんでした。今回は私の必然として始めたわけです。私にとっては習うというより、「良き師」と共に学び創造してゆくといった方がより私心に近いと思います。
 
 いみじくも「良き師」とかきましたが、実はこれが一番重要な問題で「良き師」か「悪しき師」かの判断は何かと言うことなのです。「茶」の世界で「見立て」といいますが、あくまでも自分で良し悪しを判断するのが「見立て」という事だと思います。ですから「見立て」るためには己の全知全能をかけて判断し決断しなければなりません。たとえば、お茶の作法を厳しくこと細かに教える師が「良き師」なのか、「そんなものはどうでも良い。お茶をいかにおいしく飲むかが最も大事な事なんだ」とのたまう師が「良き師」なのか、どちらを選ぶかはその人の私心にかかってくるわけです。私はもちろん後者を選択しますが、この当然とも思える「茶の湯」の師を捜すのが、現代においていかに困難であるか明晰なる読者諸子はおわかりになると思います。
 茶道世界は戦後(いやそれ以前より)「茶」を花嫁修業の道具にして教習マニュアルをつくって、より作法を複雑化し、「行儀作法のマニュアル」「家元制という集金システム」でいかにお金を生み出すかばかりに執心してきたように思われます。「茶道」のことを質問すると、師や弟子達は「利休様が、利休様が、」とおうむ返しの様にいいます。かの利休居士は「とどまってはならない、なぞってはならない。」といった様に記憶していますが、当の利休居士が、現在の現状を見たら如何に思うだろうか。晩年「(私の死後)十年ヲ過ギズ、茶ノ湯ノ本道廃スタルベシ。スタル時、世間ニテハ却テ、茶ノ湯繁昌ト思ウベキ也」という言葉を残しているこれは「私が死んだら『茶』は盛んになるかも知れない。しかし本当の「茶」は十年もたたずに廃れるだろう」ということである。しかし現代において本当に「茶道」が廃れ果ててしまったのか否かは判らない。私自身もこれからそれを探ってゆく旅をしてゆこうと思っている。「道楽は創造の泉」であるという。「茶の湯」を真面目に勉強し模索しながら考えてゆこうと思う。
 また「道楽は道を楽しむ」ともかく。もとは老荘思想からの道教の道である。「遊び」ながら勉強することが大切なのだ。勉強中なので引用も多くなると思いますが、それは御理解頂いて、その間に私心を述べてゆきたいと思います。
 次回は「坐る」という事から「茶の湯」を考えてゆこうと思います。よろしく。 
 
後記
 二月十四日から二月二十五日まで「水眠亭」山崎史郎展を相模原のギャラリー「スペース游」にて催しました。武藤守氏の乱蘭通信の読者諸子にも沢山来て頂き誠に有り難うございました。久し振りの個展で、感じたことは私が興味ある全てのフィルターを通して、死ぬまで自分自身を表現してゆこうと再確認したことでした。人間は己の意志で生まれてこない。しかし死ぬときには己の意志で死んで行きたい。その為には自分に近づける作業に全身全霊で打ちこまなければならない。 個展を終えて
 
  「酒水み漬づくとはいやすこと朧かな」 史郎

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