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おはじき

八木 雅弘  

〇色とは関係なのだ。物に色が具わることがすでに物が物と物の関係として成り立っていることのしる しである。色が混ざる。混ざらぬ色はない。色そのものが混ざりであり、また分離なのだ。混ざり、 さらに混ざる。だが色は、物と物の関わりにとどまらない。物と眼との関わりに於ける出来事である。 色は物ではなく事なのだ。色が物にとどまらぬように、とどまらぬものが眼となって生じる。とどま らぬものが物に発し、関わりつつ移り、変る。色は、遅れる。関係はその場ですでに遅れている。
〇近づくにつれ眠りは生じる。何に?何に近づいているというのか?
〇光を物が截きる。物に蔽いつくされた状態での光は。われわれは光を物が遮っている側を見ているこ とになる。
〇殺された者が殺されたまま静かにしているという消息こそが我々の箍たがにほかならない。
〇いかに無傷を誇る演奏、あるいは傷をものともせぬ演奏をもてはやし、有難がってきたことか。それ は他でもない私の責任である。彼の演奏を聴いて私がいたたまれなくなるのはそこでだ。彼の演奏は (音がではない)ぼろぼろである。隙だらけと初め聞こえたものが、じつは過度の傷つき易さ、演奏 することのおし隠しようもない根拠のなさの現れと知るのだ。演奏とはその源初に於てそうしたもの ではなかろうか。演奏が音楽によって、あるいは何らかの文化的基盤によって自明のものであるかに 振舞うこととなじみを重ね、演奏の萎え、というより萎えそのものとして曝される演奏を、素人臭さ、 拙さ、動機の薄弱として一蹴してきたのに違いない。彼の演奏は、おそらく意図してではないだろう が、聴くことが傷でありうるはるか手前で、聴きてに先がけて傷ついてしまう。傷ついたことでさら に傷ついてしまう。いやしくも聴きてに向けて演奏する以上、誰もが何よりもひたかくしにして来た 演奏というものの弱点が、ここには露出しているのだ。ほかならぬ演奏の動機それじたいが演奏を挫 いてしまうという事態。
〇加害か被害かの弁別や追及よりも、結果として加害の側にいなければいいということよりも、選択の 手前で尽きている立場というものをどれだけ自覚するかにかかっている。当事者ではないという立場 の自覚。次いで、当事者でないという立場の当事者であることの苛烈な自覚。
〇私の悲しみが、目の前にある顔を流れる。私の外で流れる。悲しみはこの顔ゆえなのだが、私がふれ たのは顔か、悲しみか。ふれたのではない。響いたのだ。顔は音もなく鳴り響いた。悲しみは響きの 向こうで鳴り響いた。私ではなかった。顔は、悲しみは、響き渡って私ではなかった。響きは距りを 告げた。距ってはじめて私も響きとなった。顔は、寝顔と死顔の間である。ふれても、ふれていない。 ふれ続けても、ふれ終えることはない。死と、顔の間に。私は鬼をすすめる。
〇花ならざるものの花粉。一瞬が零ふる。紛れていたものがさらに紛れる。
〇私のなかで浮動する舳先へさきの舵を取ろうとする。流れを知らねばならない。流れをなさねばならな い。流れにあって流れの手前からはじめるのだ。
〇没頭は、無心である前に無為にひとしい。行為は無為へ向かい、無為は行為そのものとなる。 〇著しいまま紛れてしまう声の孤独。紛れて、去らぬ。紛れたまま存えつづけていることが、理不尽と もつかず、自然なのか。消えつつあるものの歩みは、もはや曖昧ではない。夙とうに剥がれている自 覚には、繰返しても繰返しではない。
〇声はどこまでも複数である。単数の声、声の孤独はない。声に生死はない。生者も死者も声は相伴う。 更に夥しいなにかが声に犇く。
〇楽器で呼吸する。楽器を呼吸する。呼吸するためのあがき。呼吸せねばならぬことへのあがき。呼吸 にどのような手続きを持ち込むか。呼吸(風)と一体になることの対極。
〇声が他者であることの涯で、声は死者である。かって生きた者を世事の勘定に入れてはならぬ。ひと つの声が無数の消息に犇く。だが一度として生きなかったもの、一度も生の側へまわらなかったもの には消息もない。声はそこにも響いているのだ。消息をもたず響く。彼方などない。死者は還らない。 還るところなどない。存在を消したままここにいるほかないのだ。
〇襞をひろげたり引き絞ったりする。いずれ縁へりに終始するのでどこで終ってもよい。というより絶え まなく終っている。終って「いる」。完了ではない。終ることを刻々と進む。だから終っても終える ことができない。
〇衰えをこんなにも軽やかに曝すことができる。曝すに足る衰え、衰えに足る豊かさ。小さくなってゆ く。消えることなく小さくなってゆく。遠ざかることなく退いてゆく。
〇主導権を奪いあうでも譲りあうでもなく、混乱しようのない最小限の人数で混乱のほうへめくれあが り、主導権は放棄される。なおかつ互いに従うこともない。終わるために主を探さねばならないが、 そこから混乱は弛み、冗長になる。すなわち待つ状態になる。
〇顔は断面である。中断である。その先を、消息不通の先を、信じるしかない。信じなくとも目がけて いる。中断によってその先へ放つもの。声を呼ぶ声。
〇騒音には独りで対むかうほかない。対うとき、独りであることを知るしかない。騒音は群れ。静寂も群 れ。
〇凡庸さは見いだされる。確かなものは凡庸であることを恐れない。
〇中心を求めるほど中心はずれてゆく。
〇ひらくことは必ずしもとじないことではない。
〇「水は正面」水が私の正面なのか、私の正面に水があるのか。無数の、層になった正面。正面で私は 立ち、私は紛れる。
〇地へ重ねてか、穿うがってか、池は池をうつす。耳を澄ますかたちで。耳を澄ます高さで。
〇いっぽんの木はいっぽんの陽の差しかた。
〇魂を具えているのではない。魂に具わっているのだ。
〇曼陀羅は仰むけになって真正面に見た空ではないか。いや、仰むけになるには及ばぬ。真正面はその 空であり、曼陀羅なのだ。
〇鏡とて個がある。それぞれにわずかな歪みの差違がある。同じ鏡を使い続けていると知らず知らず鏡 の歪みに沿って自分も歪む。うつっているのはどちらか。鏡はゆえに、事毎に割らねばならぬ。日々 更かえねばならぬ。よしんばそれが鏡に見えなくとも。
〇眠りはとどかない。眠りは響かない。去らぬことで去りつづけている。
〇死もの狂いが常住となれば腑抜けの相貌を呈する。
〇個の事故と取るか衆の事故と取るか。個として神と出会うか衆として神と出会うか。一神か多神かの 前にこの問いがある。被害が試練であると同様、加害も試練である。傍観も無知も課された試練であ る。
〇響くまえにしみる。あるいは響きかたとしてしみる。液体の音、液体の発てる音ではなく、音が液体 としてふるまう。
〇役のほとりには無役。役に立たぬもののほとりには役に立つものが、役に立つもののほとりには役に 立たぬものが。ほとりは舞台にほかならぬ。
〇深さは居たたまれなさから、痛切な場違いから来る。
〇即是というほどにか、色は空そらによる。空の下もとにあり、空に包まれていてこその色。空を出て色は 如何なる。色はそれぞれ空を伴う。空は色による。
〇立つことは雨のようにやむこと。
〇離着。離と着ではなく、離れて着いている。離れて具わる。私が放つもの、発するものが私を生ぜし める。匂いが動く以上に匂いに動くものがある。始まりに先がけて始まりを促す匂いがある。
〇木立ちは天を待つ。待つことが天へ広がってゆく。
〇挨拶は暴力である。返さねばならぬ。
〇垣と垣が震えながらゆっくりとずれつづける。

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