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むとうまもる
情報あるはコンピュター
サブの置いていったコンピュターのメモリーを増やそうといろいろいじくっているうちシステムファイルを消去してしまった。どうやっても修復できない。長嶋君に相談したら持ってきたら直してやるメモリーも増やしてやるとのこと、次の日仕事帰りに秋葉原の寄ったら10万円以下で10倍以上のメモリーのものが買えるとわかり直すより買ってしまった。僕も除々に時代の流れに乗ってしまっている。テレビ寄りコンピュターのほうが情報を能動的に出し入れできるけど、逆立ちしてもそれだけのものそれ以上ではない。何日か徹夜したりして機械をいじくっていたのだが、なにやらストレスが溜まってくる。
データーの壊れたコンピーターもったいないと思っていたら、新しい基本ソフトの起動デスクで修正できることがわかった。星野修ちゃんが使うと言うので修理した。古い方のほうが原理がわかってなれるのにはいいかも知れない。僕もおかげでなれた。
それは情報とはそれを受け入れる人の生活が健全に作動していて初めて受け入れ可能になるのです。受け入れるだけでなしに個人の情報を生産して始めてこのシステムは、インターネットとかいうシステムは有効に機能するのだと思う。受けるだけというのはバランスの取れない病的なものだと思う。かって映画が政治の道具に使われたように、情報の海の中で踊る羽目になる。
個人の情報はマスメデアとは根本的に違って、生活の中から出てくるもの、非常に具体的なもの、限りなく私的なものです。それは世界で一番大切なもの、比較できないものと確認できたら、誰でもこの20世紀の技術は使えこなせます。
世の中の変化は早く、どんどん新しいものが出てきてどんどん古くなる。ついつい僕も新しいものがほしくなる。一つ新しくなったら更に更にと、そうしないと今の時代は成立しない、経済は駄目になるし、国家も社会も弱体化する。そんな恐怖の中に生きている。かって人間は飢饉や災害による飢えの恐怖と共に生きてきたのに。大切なのはそんな社会の業の外に半歩踏み出して見ることです。改めてそう思った。
里山に枯れ葉が舞って
昨夜で大工仕事もひと段落付き、今日から時間を自由に使える。午前中はだらしなく寝たり起きたり、曇っていた空も晴れてきて風も出てきたが、幸い南風らしい。昼頃、車に乗って散歩にでかけた。遅い紅葉も最終局面に入り、時々吹く強風に枯れ葉が舞い飛んでいる。集落の廻りの畑の端から山へと続く土手や荒れ地は芒が生い茂り、冬至のまじかな低い午後の日差しを受け、白く輝いている。穂先がそれぞれ右へ左へ、上に下に舞い揺れ、まるでおとぎの国の小人達がお祭りで森から出てきて踊っているよう錯覚を覚えた。何と気分のいいことだろか。
昨夜は横浜の人混みの中にいた。パシフィコという国際展示場や会議場のある施設で道具の仕事をしていたのだが、桜木町からランドマークタワーを通りQueen's Squareというビルを通りそこに向かうのだが、クリスマスが真近の土曜日と言うことで若者や家族連れで朝の通勤ラッシュ並のこみようであった。年末にかけますます人が増えることだろう。観覧車やベイブリッジなどの港の夜景を皆見とれながら歩いているけど、こちらはじゃまでしかなく、よくもこんな所で気晴とは不思議でさえあった。
それに比べここ談合坂界隈の村々は路があり、村があり畑があり、里山がありその向こうに深山が見える、日本に人が定住し農業を始めた2000年前と同質の里の原形を保存している。クリスマスもいいけどヨーロッパの日本より更に低い太陽への祈り、冬至の祭りこそがその原形で、それを直輸入したまま浮かれるのはどうもいけない。
それにしても何と気分いい風景だろか。旧甲州街道の山路をゆっくり走る。雲は大きく流れ、遠くに富士の山も見える。久しぶりの山のドライブでもある。花吹雪ならぬ枯れ葉吹雪。
亦、蕎麦の季節とあいなり候
今年も田舎の御袋に頼んで蕎麦殻を送ってもらった。叔父が南会津村から取り寄せたいいものだから大切に何度も念を押す。更に甥ッ子が大きいときない服と毛布も送るから、着るものもないだろうからと。そう言えば僕の衣類は3/4は古着や貰いもの、豊かな時代、人のお下がりで何でも揃ってしまう。 僕の豆引きようではなく、山崎さんが蕎麦用の石臼を買った。黒御影石で15万円の値がついてもおかしくないものを値切りに値切って買った。それを使うのが楽しみなのだ。それから、僕もついつい山崎、森ブランドの蕎麦打ちセットの最後のセットを買った。
これでこの冬もおいしい蕎麦が食べられる。食べるなら早いほうがいい、この新聞を発送したら具体的な計画を立てよう。
2001年
四五年前まで20世紀と21世紀の変わり目は、何処か外国で過ごしたい。と漠と思っていた。何のことはない。それは叶えられない夢でしかなかった。なかなか人生思ったようには行きません。夢多き中で生きたいというのが願いなのだが、現実という呪縛でいつもがんじがらめになっている。1999が2000になっても世紀が変っても特別な変化など何もないが、夢を見続けなければ今日が生きられない。又新しい夢を描こう。
僕にとっては来年はちょうど生まれて半世紀になる記念の年なのです。きっといいことがあるに決まっている。きっと新しい季節が始まるのだ。そう思うことにしよう。
猫
春から僕の家の使っていない二階に猫がいる。夜中になると時々運動会をやったりしている。何処から入ったのだろか。秋になり、玄関の前においてある長椅子で茶の雄猫が良く日向ぼっこをしていた。二階の猫とは別の猫である。その身のこなしが余りにもおっとりとしているのでついつい餌をやってしまった。猫は昔飼っていた「蘭」ちゃんを可哀想なことにしたのでそれ以来飼わないと決めていたのだが。その内二階の黒猫が気づき餌を食べに来るようになった。この猫は子持でなかなか野性的、体は雄猫の半分しかないのに餌を横取りする力はすごい。僕も猫は好きだから、わかってはいるけどついつい餌をやってしまう。それが、そうしたら新たに小猫が現れ、更に一匹、又一匹と。二階の黒猫一家が下に降りてきてしまった。
今猫達にこういっている。「ここは別荘なんだぜ。俺はおまえ達の主人じゃない。だから名前はつけないぜ。ちょっと遊びに来ているだけなんだぜ。いつでも実家に戻りな。」と。難しいね。嫌いじゃないから。困った困った。
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