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歴史について、韓国絡みで

 かって日本では聖徳太子といえば、絶対的な聖君でした。しかし、現在では「厩の皇子」と呼ばれらようになりました。聖徳は後から付けられた敬称です。歴史家が当時の呼び名に近い呼びの方が歴史を歪めずにすむという判断からです。さりとて彼のやった歴史的偉業は色褪せたわけではありません。神様のように祭り上げていたより、こちらの呼び名の方が、身近な王家の王子として親しみが湧きます。

 ソウル近くに日本の前方後円墳がたくさん発見されました。日本の一族がソウル近郊まで進出していたということです。そして日本には渡来人の遺跡がたくさんあるのです。それは南朝鮮半島と日本海側の古代の日本は深いかんけい関係があったということの証拠ですが、それ以上のことではありません。半島から来る人がいれば、日本から半島にゆく人もいたということです。相互交流が深かったということです。日本も朝鮮半島も都市国家の連合体であり、強力な王権があった訳ではありません。
2021.8.18 Mamoru Muto
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 朝鮮王朝の世宗大王はハングル文字を作ったり現在韓国では名君の大筆頭あげられ王様ます。名君でもありますが、その一方で明朝に貢女を送っていた事も事実です。それを表に出す事は、現在の韓国ではタブーになっています。
 しかしそれは、冊封体制下では仕方ないことです。聖徳太子同様、タブー視その事実を排除する方が非常に大王の姿を歪めています。世宗が名君が色褪せる事はありません。その事実から彼の苦悩した人間としての王様の姿も想像できる訳ですから、より親しみが増すのではないでしょうか。

 現在の価値基準を歴史に押し付け、色眼鏡で見るの人々が横行しています。そこからは新しい未来は生まれません。発掘されたら発見されたりした資料に謙虚である事。そこから新たな解釈が生まれたら、より豊かな歴史を発見したということです。歴史は未来を開く鍵でもあるのです。