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掟 ─ 日本の村の法律 ─


 日本人は法律守ります。人か見ていなくて、キチンと信号無視しない。色々考えてみた。
 一つは宗教、何処にでも神様がいて、人間を見ている。ひどい場合は罰を与える。もう一つは昔の村の掟と順法意識です。
 かっての村は現在崩壊してしまったが、村々の法律、掟を守る意識は失われていないのでしょう。

 古代から村々は自らの生活を守る為、掟を作り守って来た。「罰が当たる」とは、守るべき約束事と自然への信仰、神様の道理と同一だったからです。それが掟最も基本になる約束ごとです。

 掟が最も政治的に強調されたのは武士の時代で、中世です。村の結束の中心に掟があった。神様との約束から、より村民の意志に重点をおかれた掟に書き換えられました。村の自立性が強く、死刑や追放などの重大な犯罪を裁くことすらあった。村と村、封建領主との葛藤が強かったからです。この課程で自分達が選択した、自らの生活を守るために、定めた掟、守るべき掟との自覚が成立したのです。

 近世、江戸時代になると、村を跨ぐ重大事件は、公儀が介入しました。しかし、基本的には村々の自治が認められ、村民の自治が補償されていたのです。は掟に従って生活していた。

 明治以降は、近代法の民法に変わりますが、村の掟は内々の約束事として維持されました。法に対する認識、守へきものとして、大きな変化は起こりませんでした。

 日本の村の掟の特徴は、権利の平等です。脱落者を一人でも少なくしようとする思想です。
 巨大な企業が横並びの企業方針を出すのは、村の平等意識のためです。巨大な企業の村社会です。自由市場と離反する、日本独特の倫理が日本全体の地盤沈下に繋がる、マイナス要因と働くことになりした。

 しかし、少なくとも今回のコロナ禍においては、プラスに作用したと言っていいでしょう。村社会日本は、強力な法を作らなくても、自粛規制だけで凌いでいるからです。

2021.1.30. Mamoru Muto

 大雑把ですが、室町時代に掟を守り団結して村を取り巻く勢力と戦った。村民は自立し、家と公共の区分け、権利の平等など意識生まれた。その後基本的にはそれは補償され維持されてきた。のではないでしょうか。
 大名相手に一揆を起こしたり、戦闘技術買われて忍者になったのは甲賀伊賀の農民です。政治的に自立していたのです。その後政治的な部分は秀吉や家康に奪われたが、経済的自立は補償されました。

 東アジアの儒教社会と違うのは、法は為政者が作るものという概念が強く、村々の掟を補償するということが弱いのではないでしょうか。農民の反乱はあったが徹底的に潰された。
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